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居場所 —人—
学校に通えなくなる少し手前、保健室登校という形で学校に通えていた。
保健室登校をしているときは、朝礼と終礼、昼休み以外はほとんど教室に顔を出すことはなかった。
特にいじめられているわけでもないし、誰かと喧嘩をしたわけでもない。
なのに、教室の中は変に居心地が悪かった。
少し怖いのだ。
みんながわからなかったのだ。
周りが何を考えて、何を思っているのかわからなくて、それがすごく怖くなっていった。
「行かないと。」
教室には私の入るスペースは見つけられなかった。
明るいはずの教室は暗く、クラスメイトは黒い影の形をして見えた。
そんな感覚が長く続いた。
精神的な辛さもあったけど、それ以上に体がもたなかった。
病気や障がいだった。
「行かないと。」
しんどくても行かなければいけないと無理やりにでも朝学校へ行くものの、顔色も体調も悪くて早退したことが何度もあった。
ついには目が覚めても体を起こすことができなくなった。
「行かないと。」
そんな時に担任と保健室の先生が優しく言ってくれた。
「もう十分頑張ったから、体調が良くなるまで休みなさい。」
私はずっと—物心ついてから、小さいころからずっと—何かに押し付けられ、自由に行動できないようにされている感覚がある。
何度も自分を呪った。
でもその先生の言葉を聞いて許された気がした。
かかり付けのお医者様からも自宅療養するようにと言われ、家で過ごすようになった。
それから9か月ぐらいたってから少し変わったような気がした。
たまにでも学校に行こうと思えるようになった。
相変わらず授業には出なかったけど、行事の準備や当日に見に行くことから始めた。
今まで黒い影の形をしていたクラスメイトは、私のことを解ってくれていた。
黒い影なんかじゃなかった。
多分、担任が私のことを説明してくれていたのだろう。
体育祭や文化祭の準備をしているときに、クラスメイトと話したりするのが楽しかった。
みんな私を機にかけてくれていて、すごくうれしかった。
準備が終わって、保健室に戻って先生たちと話すのも楽しかった。
みんながあまり話す機会のない先生とも仲良くなった。
行事以外でも、たまに学校に顔を出すようになった。
その時も、クラスメイトが私の顔を見ては必ず話しかけに来てくれたし、クラスメイトだけじゃなくて、先生たちも話しかけてくれた。
正直、こんなにも学校に行っていなければ、忘れられていてもおかしくないのに、みんなが私を気にかけてくれていた。
みんなが家族のように感じられた。
保健室の先生やあまり教室にも顔を出していない私を解ってくれた担任のお陰で、学校が、というよりも、先生とクラスのみんながいつか私の居場所になっていたのだ。
中学のことをこんなに鮮明に思い出したのはいつぶりだろうか。
ずっと心の奥にしまい込んでいた。
あまり思い出したくなかったから。
でも、思い出しながら書いてみて、思った。
場所じゃなくても、モノじゃなくても、居場所になることはできると思った。
人が居場所になることもできるんだと。
昔のこと、どこかにずっとしまっておきたい過去がたくさんある私は、もしかすると、誰かの居場所になれるかもしれない。
誰かに共感したり、話を深く聞くのは昔から割と得意な類だった。
誰かが苦しいときに、力になりたいと思える。
それは、私が苦しかったから。
今も尚苦しいから。
だからこそ、誰かが苦しいときに一緒に居たい。
自分がそうして欲しかったから。誰かがそうしてくれたから。
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梔子。
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