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居場所 —部屋—

二、部屋

私が中学の頃、そう、学校に行けなくなった頃、自分の部屋にはお気に入りのもの、好きなもの、心が落ち着くものでいっぱいになって、はいなかった。


6畳の自分の部屋で過ごす時間が自然と多くなってきた私は、机の位置と寝床の位置、ちょっとお気に入りの小さいライトの位置を週に一回とか、三日に一回とか変えてみて、一番しっくりくる位置に置いていた。


それで、やっと、自分に部屋が落ち着く場所になった。

決して明るい部屋ではなかったけれど、むしろその少し薄暗い部屋の雰囲気は落ち着いていて、居心地がよかった。

学校に通えなくなった私に、好きなように過ごさせてくれる家族のおかげで、誰にも邪魔されない場所になっていた。



学校に行けなくなってからすぐは、リビングに降りることすらも精一杯で、もし降りてこれても一日動けないまま過ごすことしかできなかった。


病院に行って薬をもらって、飲み始めてしばらくしてからは、だんだんと動くこともできるようになった。


症状もマシになってきたころ、一日のうちにすることがなくて時間を持て余すことが増えていった。


何かしようと思っても、特別好きな物があったり、何かできるわけでもなかった。


でも、自由にしていい時間ができたから、前からやってみたかった編み物を始めたりした。

図書館で編み物の本を借りて、編んでみたりした。昔から何かをやり始めると没頭して、時間を忘れる方だったから、気が付くと外が暗くなっていることなんてしょっちゅうあった。


もともとくらい部屋なのに、辺りまで暗いとほぼ真っ暗だった。


作業をやめて慌てて電気をつけて、少し目を休めてからリビングへ降りて行った。




食事中は家族と話したりするけど、みんな私が学校に行かないことに口出しはしなかったし、むしろ、父親は平日にどこかへ連れ出してくれたりもした。


「クラスのみんなは学校に行ってるのに…このままでいいのかな。」



そう思う事も多くあった。


編み物のほかにも楽器を弾いたり自転車に乗ったり、絵を描いたりした。

絵は長く続かなかったけど、編み物と楽器、自転車は楽しくて続けていた。




ある時、焦り始めた。


全く勉強をしない時期が長かったせいだ。


「このままじゃ一人で何もできなくなる。」


慌てて学校の教材で勉強を始めた。

最初は週に一回とか、そんなペースで。焦りから始めたものの、やり始めてみると結構楽しかった。

一度、完全に勉強から離れていた私は、衝撃的だった。


「知らないことを知るのがこんなにも、楽しいのか。」


今まで、”いやでも勉強はしなければいけないこと”だと思ってやっていたけど、実際はやりたいと思ったときにするものだと本気で思った。

もちろん、最低限の勉強が生きていくうえで必要なことも知っていたけど。


それからは毎日のように勉強ができていた。

特に英語の勉強をするときは他と比べて楽しかった。

毎日ページ数を決めて勉強をして、その後は自由に、自分の好きなことをしていたから一日は充実していた。


黙々と作業や勉強ができる私の部屋は、どこよりも居心地のいい私だけの空間だった。


父は私にとやかく言わず、割と肯定的に接してくれた。

もちろん母も。

姉は特に何も言わず、普段の接し方でいてくれた。


何なら勉強を教えてくれた。

それも超わかりやすく。


擬音語で。。。



私が勉強もあまりせず自由に過ごしているのに、家族が学校に行くことを強制しなかったのが不思議でたまらなかった。

行くことが標準だと思っていたから。


でも、常に「自分がどうしたいのか」を気にかけてくれて、私が決めたことを常に応援してくれた。


後になって気づくことだけど、私の部屋も、もちろん家も家族も、その時の私にとって、大きくて小さい居場所だった。


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梔子。


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