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居場所 —本—

一、本
大学生になって、本屋に行くことが多くなった。
事の発端は、誰にも邪魔されない静かな場所を求めて立ち寄った図書館だった。
少しずつ本に触れる機会が多くなっていく私の話。



田舎で育った上に、持病のせいでまともに中学に行けず、高校は通信課程のある学校に行った私は都会の方にある大学に進学した。


今までできなかったことができると嬉しいな、なんて少し気合を入れすぎなぐらいの心持ちで入学した私は、すぐに、前みたいに、自分が嫌になってしまった。


というのも、自分と周りとの色々な違いに疲れてしまったのだ。


「誰にも邪魔されない静かに過ごせる場所に行きたい。」


そう思っていた時にふと立ち寄ったのは、帰り道にある図書館だった。


それは、—今までそこにあるとは知らなかったほど—鄙《ひな》びた古いレンガ作りの建物の狭い一室に入っている、小さな小さな図書館。


ムシムシと熱い外とは対照的にクーラーがきいた涼しい環境はとても心地よかった。


私以外には、貸出カウンターで作業をしている司書さんだけだった。


静かな空間に、時々トントンと司書さんが作業をする音が小さく、心地良く聞こえるだけだった。


「いい場所だな。もっと早く気づけばよかった。」


もともと本が好きでよく読んでいたわけではなかったけど、静かで涼しそうだという理由で立ち寄った図書館が少しずつ心が落ち着くような、そんな場所になっていった。



しばらく通うようになったけど、本を借りることはしなかった。

あまり本を読まない私には抵抗感があるからだ。


綺麗な表紙の小説を見ては、パラパラとページをめくってみた。

しっかりと文章の頭から目を通さなくても、その物語の風景や登場人物の心象がはっきりと浮かんできた。


本を読んでいるときだけ、私は私を嫌う理由や窮屈な感覚すらも忘れることができたんだと思う。


図書館に足を運ぶようになってから約一か月が経った頃だった。


私は「言葉」や「言語」が好きなことに気が付いた。
というのも、よく移動中に聞いている「ことば」についてゆるく話している—とはいえ、ゆるくない回もあるが—ラジオがきっかけだった。


最初は暇つぶし程度に聞いていたのに、いつからかラジオの内容が面白くてたまらなくなった。


ラジオで話している2人の会話もそうだが、決定的なきっかけは、川端康成の「国境の長いトンネルを抜けると雪国であった。」という一文について語られている回だった。


「この短い一文が読者をその作品の中へと引き込む素晴らしい表現だ」


というようなことを言葉の機能で解き明かすように詳しく言っていた。


そんな風に本を読んだことがなかった。
その回を聞いてからだんだんと本を読みたいと思うようになった。



「ちょっと前なんか本読むことすら抵抗あったのに」

なんだか笑えてきた。


私は早速、小説や図書館で目に留まった本をちゃんと読んでみることにした。


借りた本や買った本を抱えて家に帰る時、ふと小さい頃に新しい漫画を買うために本屋へ行った時を思い出した。


「こんなに読むのが待ち遠しいなんて」


少し嬉しかった。


本を読み始めてからは不思議な感覚だった。
本に救われている気がしたのだ。


私は昔から周りとは—良くも悪くも—少し違っていた。

周りとの違いは時に、私を傷つける凶器になった。


相手を責めることもできず、結果自分だけを責めて苦しくなることの方が多かった。

少しは大人に近づいている今も、子どもの頃とは何ら変わることはなかった。


でも、本を読むことで自分と周りとの違いを少しは埋めることができるような気がした。


本を読んでいる間だけは誰かと一緒にいる気分になった。


一人じゃないんだなって。


本をひらいて読んでいる時間だけは、本が私の居場所になる気がした。


傷ついた分、本の言葉で埋めればいいと思った。


穴の空いた心を言葉で塞いでいけば、いつか、きっと誰かに寄り添える。




多分。

そんな気がした。


最後までお読みいただきありがとうございます。
他の作品たちも読んでいただけると嬉しいです。

梔子。


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