重い石をどけてみたら、出会えた傷。
心の重い石をどけたら、一人ぼっちの私がいました。心細げに座っている6歳の私。
人に話しかける方法も知らない、話かけようとする気持ちもない。
いても、いなくても、分からない、空気のような子供。
あの1年間の記憶がほとんどないのです。
一つだけ覚えているのは、母と担任の先生がやり取りをしたノート。
「まだ学校生活になれていないだけだと思います」そんな風に書かれていた先生の赤い文字。
母も心配していたんだと思います。
いつも一人でいた私を。
今なら笑いながら話せる、6歳の私。
だけど、
LINEの返事が来なかったりすると心がざわつく。
人に嫌われるのが怖いから嫌われないようにしてしまう。
だから人といると疲れる時があるのです。
だから一人の時間が必要なのです。
ときどき、癒えていない傷がうずく。
いっそのこと、この傷を塩でごしごし洗ったら、新しいきれいな皮膚に生まれ変わるかな。
痛そうだな。
やめとこ。
これをトラウマっていうんですか?
けれど、
アドラー曰く【トラウマはない】らしいです。
トラウマという言い訳をつくって、自分が傷つくような環境をつくらないようにしている。
傷つくかもしれないというのは、妄想。
「私は繊細なんです」と不幸自慢しているようなものなのかもしれない。
過去の自分にしがみついて変わらないことを選んでいる。
でも、嫌だな。
ときどき、うずく、傷。
それよりも、もっと嫌なのは、傷のせいにする弱い自分。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?