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三軒茶屋から渋谷まで、バスで一時間以上の大渋滞(ほぼひとりごと(10月29日(月))

(写真は、渋谷道玄坂の入り口付近を撮りました。昔、玉電が渋谷駅から出てくるところです)

#散歩日和 #三軒茶屋 #渋谷 #国道246号線 (玉川通り)


若者の街、下北沢にくらべ、三軒茶屋は、江戸時代、大山街道の途中に、3軒の茶屋があったと言われているくらいで、イメージが違います。駅前の飲み屋街も、昭和仕様というか、今風ではない店が多くあります。玉電時代は、二子玉川方面と、下高井戸方面がここで分岐していました。


1969(昭和44)年に玉電(東急玉川線)が廃止され、三軒茶屋から下高井戸までが、世田谷線として残りました。実家が世田谷線沿線の松陰神社前にあったので、よく利用しました。廃止当日の5月11日には、渋谷まで乗りに行った記憶があります。今ほど、大騒ぎではありませんでした。


1964(昭和39)年の東京オリンピックで、国道246号線(渋谷から都心方面は青山通り、二子玉川方面は玉川通り)が大幅に拡幅されたあとも、玉電は路面を走っていました。すでに新玉川線として、地下鉄になる計画があったので、都内の他の地域の都電同様、なくなる運命でした。


玉電とバスしかなく、地下鉄のような大量公共交通機関がなかったこと、マイカー激増などで、玉川通りは大渋滞。バスが動きませんでした。途中で、渋谷までは、歩いた方が早いというアナウンスがあったほどです。三軒茶屋から渋谷までの約3キロ、1時間かかっても着かなかったことがあります。


国道246号線沿いに住む人が増えていた時期、新玉川線が開通するまで、渋谷でバスに乗り切れず、歩く人がいたため、玉川通り沿いに、ラーメンやおでんの屋台が出ていました。順調ならバスで10分の自宅から渋谷ですが、世田谷線・小田急線・井の頭線経由の方が早いこともあったほどです。


エアコンなし、乗り切れないほどの混雑が普通でした。今でも、玉電廃止後に出来た新玉川線(今は田園都市線)は最混雑線区のひとつですが、梅雨時の通勤で、雨に濡れ、汗びっしょりの苦痛は多少マシになっているのではと思いますが。右肩上がりが信じられた時代のことです。


今は、楽しく仕事をできる環境の中で、自分たちで迷子にならないよう判断できる仕組みが必要だと思います。痛勤ではなく、行くことが楽しい職場にできないか、「ごきげんプロジェクト」をお手伝いし、心身ともに、組織と人が健康で、結果として生産性が高くなればと思っています。


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