ボカロ通史③ 「全盛期」〜マスメディアとの対峙

今回は長いので、目次をご活用ください。

メルトショック後のボカロ〜VOCAROCK

メルトショック以降ボカロ界が大きく変わったのは周知の事実だが、ここからボカロは「全盛期」と呼ばれる群雄割拠の時代に突入する。
この頃になると鏡音リン・レンや巡音ルカなどが登場し、クリプトン以外からも「Megpoid(通称GUMI)」(インターネット社)、「IA -ARIA ON THE PLANETS-(通称IA)」(1st PLACE)などのVOCALOID製品が発表され、ボカロの「声」にも変化がみられた。
また歌い手界とボカロシーンを繋げたエピソードとして、歌い手としていち早くメジャーデビューを果たしたピコ氏の歌声をサンプリングした「歌手音ピコ」が2010年に登場した。上記のソフトと比べると投稿された作品は少なかったものの、VTuberなどといった後のネット発コンテンツとの組み合わせを予期させた。
この時期の楽曲の特徴として、音楽性が大きく広がったということが第一に挙げられる。
現在では主流となっているVOCAROCK(ロックテイストのボカロ曲)も、この時期に登場した。初音ミクの紹介文に「ダンス系ポップスが得意」と書かれていたこともあり、それまでダンス系ポップス一色だったボカロ曲にロックが加わったことで、元バンドマンやギタリスト出身のボカロPも多く参入することとなった。
代表的な作品では、164氏の「天ノ弱」やジミーサムP氏の「Calc.」、DECO*27氏の「モザイクロール」などが挙げられる。また、ロックとエレクトロを融合させた楽曲も多数発表された。
ロック以外にも、現代音楽やヒップホップ、ジャズ、フュージョン、演歌など、VOCAROCKほどのヒットはないものの、実に多種多様なサブジャンルが生み出されていった。
ラップに関しては、駱駝法師氏の記事にて詳しく紹介されているので、そちらを参照されたい。

一方でダンスミュージックを突き詰め、EDM的な楽曲を世に送り出したギガ(Giga)氏も2013年からオリジナル曲の投稿を開始した。

また、ボカロ特有の音楽性を見出したのもこの時期である。
ハチ(現米津玄師)氏やwowaka氏を筆頭に、高いBPMや16分音符の多用、転調の繰り返しなど、高速かつ複雑な密度の高い楽曲が「ボカロらしい」とされ、その音楽性は現在でもアップデートされながら受け継がれている。
これらの要素を多分に含んだボカロPの代表としてはkemu氏(KEMU VOXX)がいる。「人生リセットボタン」「六兆年と一夜物語」などで上述の手法を駆使した疾走感のある楽曲で人気を博した。
KEMU VOXX作品の特徴として、「kemuキューブ」と呼ばれる立方体を用いたアイコンがある。彼らはこれを用いてMVを見るだけでボカロPの存在を想起させる手法を用いた。このようなMVに統一性を持たせることでボカロPとしてのアイデンティティを示す試みはwowaka氏やギガ氏の作品でも行われていた。後のナユタン星人氏やかいりきベア氏、さらに後の世代である柊キライ氏やKanaria氏、原口沙輔氏も同様の手法を用いており、MVありきのボカロにおいて非常に有効であることは明らかだ。
これを実現させた背景としてke-sanβ氏(KEMU VOXX)やお菊氏などの動画製作者の存在も大きい。現在ではイラストレーター(絵師)がその役割を果たしており、アルセチカ氏(「グッバイ宣言」など)、WOOMA氏(柊キライ氏の作品を多く担当)が代表例だ。後者のようなイラストレーターの場合は動画製作者も兼任している例が多く、よりMVによるボカロPの演出に一役買っていると言える。

ボカロと著作権

音楽に限らず、芸術作品の権利関係において第一に挙げられるのが著作権である。
当然ボカロ曲にも著作権はあるわけだが、ネット発のジャンルという前例のない作品群の著作権問題は、ボカロ界において大きな騒動となった。
2007年末の時点でボカロ曲がJASRACの管理下に置かれたことで、それまでの2次創作が出来なくなることが危惧されたというものだが、これは「みくみくにしてあげる♪【してやんよ】」が着うた配信される際にアーティスト名を「初音ミク」としてしまったことに起因する騒動だった。
当事者たるドワンゴとクリプトンはこれらの騒動を水に流すことを発表したものの、これをきっかけに作曲者であるika氏やJASRACとの信託契約を主張したデッドボールP氏にボカロの商業化に対する批判が浴びせられる事態となった。
アンダーグラウンドなジャンルにおいては往々にして起こる「音楽とカネ」の問題だが、その後のボカロの発展を考えれば、ボカロの誕生から半年も経たないこの時期から著作権に対する動きがあったことは評価されるべき点である。

「千本桜」の衝撃〜プロジェクト系の登場

2011年9月27日、黒うさP氏によって「千本桜」が投稿された。
現在ニコニコにて最も再生され、名実ともにボカロの代表曲となっている楽曲だが、単なるヒットにとどまらない活躍を見せた。
企業とのコラボや小説化など、その後のプロジェクト系作品を思わせるようなメディア展開がなされ、楽曲のみならず初音ミクの名を一躍有名にすることとなった。
これに付随して、2015年9月23日のテレビ朝日「ミュージックステーション」への出演がある。
初音ミク"自身が"ボカロ曲をテレビ番組で"披露"したという点で、「千本桜」が残したボカロの歴史の重要な1ページと言える。後にも先にもこのような事例はないが、テレビメディアの影響力が下がっている昨今、もうこのような光景を見ることはできないのかもしれない。
また、小林幸子氏によるカバーも無視するわけにはいかないだろう。
ベテランの演歌歌手がボカロ曲をカバーするという前代未聞の事態。このカバーによって初めてボカロ曲がNHK紅白歌合戦に送り出されることとなった。

ここからボカロ曲は本格的にボカロファン以外の層、いわゆるマス(大衆)を相手にしていくこととなる。
その先鞭を付けたのが、mothy(悪ノP)氏による「悪ノ娘」シリーズと、じん氏による「カゲロウプロジェクト」だ。
次々に発表される楽曲に付随したキャラクターやストーリーが展開され、小説、漫画、アニメといったメディアミックスを行い、ボカロの枠を超えた支持を集めた。
またこれらに並ぶ作品として、れるりり氏による「脳漿炸裂ガール」に始まる一連のシリーズもまたメディアミックスの対象となった。
こちらも小説化などが行われたほか、ボカロ曲を原作とした作品では初の実写映画化を果たしている。
そのほかにもLast Note.氏による「ミカグラ学園組曲」など、メディアミックスを前提とした作品が多く登場することとなった。
このようなプロジェクト系の作品はボカロPと企業がタッグを組むことで行われることがほとんどで、もはやボカロPが企業と密接に関わることは当たり前の光景となっていた。
しかしこの「ボカロと企業」の組み合わせは、後にボカロ界におけるタブーもとい「闇」を作り出すことになってしまう。

ボカロPと企業〜ボカロ全盛期の負の遺産

皆さんは、このタイトルである1人のボカロPを想像したはずだ。
スズム氏である。
この当時のボカロをわずかにでも味わったことがある人ならば知らない人はいない、有名なボカロPだ。
最初に断っておくが、この話題は10年近く前の事象で、この先当事者がスズム氏に関して言及することも無いと思われるので、断片的な情報で執筆していることに留意されたい。
スズム氏(現在の名義は敢えて書きません。ご自身で調べてください)は、KEMU VOXXやあすかそろまにゃーずで活動していたボカロPで、個人名義でも「過食性:アイドル症候群」などの楽曲を残している。彼もまた「終焉ノ栞プロジェクト」という150P氏のプロジェクト系作品に関わっており、上記のメディアミックスと並ぶ一大作品となっていた。
しかし2015年、突然彼は活動停止する。
そこでは歌い手界をも巻き込む「事件」が起こってしまっていた。
その中の一つが"ゴーストライター騒動"である。
事の発端はスズム氏が活動停止時に発表した声明の一節だ。
ゴーストライターと名はついているが、実際のところは他者の作品を許可なくスズム氏の名義で
発表したことを本人が認めた、いわゆる「盗作・盗用」にあたるものである。

・作詞、作曲、アレンジ、演奏の中で自分が行っていないものを自分が行ったように伝えていたことがあり、それが自分の利益となっていたこと。

・各所に「事実ではない当事者にとって不利益のある事」を吹聴してしまったこと。

・自分の管理不足により金銭的なご迷惑をおかけしていたこと。

「スズム」の活動につきまして。- Amebaブログ

「盗作・盗用が行われた作品がどれなのか」「スズム氏が吹聴したこととは何なのか」についてリスナーの間でも議論が繰り広げられたが、これについて正確な情報は明らかになっていない。
しかし本人がこのように発言している以上、自身が作ったものではない作品、もしくは他者と共作した作品をスズム名義で発表したというのは事実だろう。
この問題の被害者や関係者とされる歌い手とボカロP(ボカロファンにとっては周知の事実ではありますが念のため名前を伏せます)がSNSやブログ上で断片的な情報を語ることはあったものの、先述の通りもはやこの話題についての進展は無いだろう。ボカロファンの間でも今や話題にする者も居らず、半ば風化している状態だ。
しかし、スズム氏と関わりがあり「東京テディベア」「ロストワンの号哭」で著名なNeru氏が「活動者には教訓として伝えていかなければいけないこと」として、syudou氏に事の詳細を語っていることからも、「ボカロと企業」「ボカロと利権」の問題を象徴する事件であることは間違いないだろう。
現在でもnote上でスズム事件に関する考察記事が見られるが、彼は「ボカロと企業」の弊害を味わったボカロPの1人なのではなかろうか。
いずれにせよ、この事件が全盛期と呼ばれたこの時期のボカロの「負の遺産」であることは間違いない。

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