見出し画像

昭和ノスタルジー・平成レトロ・令和エモーション

わたしは昭和に生きたことがない。

なのに、小さいころ行ったナンジャタウンのあの雰囲気とか、西武遊園地のあの感じとか、駄菓子屋とか、白黒テレビとか、聖子ちゃんとか、そういうものを見ると無性に懐かしくなる。

でも、その懐かしさは親とかテレビとかから与えられた「偽懐かしさ」であって、昭和=懐かしいものという認識のもと生まれているもののようにも思う。

わたしは、1994年1月生まれ。平成6年。
1月生まれの都合上、今の言い方をすると93ラインと呼ばれるものになる。

生まれも平成、青春もすべて平成だった。

小学校の頃はシール交換をして、授業の板書をにおい付きペンとキラキラペンで行って、モー娘。歌いながら帰った。


涙が出そう

クラスメイトは赤西がいいか亀梨がいいかで二分されていたし、伊藤家の食卓とトリビアの泉は必ずみんな見ていて、次の日そのネタで盛り上がった。

そうして段々インターネットが日常に紛れてきて、フラッシュを見ていたのが動画へと変わっていった。

ニコニコ動画、ドナルドMAD、陰陽師、東方プロジェクト…。

こういう懐かしさはエピソードと共に思い出されるので、昭和ノスタルジーの「与えられた懐かしさ」とは解像度が当然違う。

思い出しながら涙と吐血と汗と様々な液体を吐き出しそうになりながら今この記事を書いていて、あの平成の頃の新しいものをたくさん見つけてわくわくしていたあの感覚は時代のものだったのか、若さゆえのものだったのかと考えてしまう。

まだ携帯電話はガラケーだった。
ガラケーでニコニコ動画を見ようとすると、謎に5のキーを連打しないといけない仕様があったり、LINEもブラウザでみるような感じだった気がする。

当時のパソコンは高価で、今使っているものと同じくらいの値段のものを買ったはずなのに、動画を見ながら作業をしようとするとファンがうるさく回り、熱くなって触れなくなる。

不便さはたくさんあった。
でも、楽しかったなと思う。

あんなに日々新しいものに感動していたのに、あれは全部過去のものになってしまった。

FREELY TOMORROWの調教に感動したのに、今もっと人間みたいな声で歌うボカロだらけになってしまった。

ハチは米津玄師になって、ジブリの曲歌ってる。

平成はよかったなって思うようになるともういよいよ年寄りなんだろうな。

令和が終わるころどうなっちゃうんだろうね。

コロナでみんなマスクしたよね~。マスクなんて布じゃん意味あったの?

AIイラスト揉めたよね~。え、自分でイラスト描くとかタイパ悪くない?

そんなふうになるのかな。

どんな時代でもきっと素敵だよね。

素敵な記事をきっかけに、今回書かせていただきました。
ありがとうございました!


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?