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”あらゆるものへのアンチテーゼのようなその存在が”

年明けから調子が良くなく余裕がなくて、noteを書く気になれずにいたけど、これは書いておかなくてはいけない、と思う心震わされた体験があったのでnote。

読んでみたいと思っていた『嫌われた監督 』鈴木忠平 - 文藝春秋をようやく手にして読んだ。泣いた。

「泣いた」ということを中高年の男性がTwitterで言っているのを見ていたけれど、中高年女性の私も泣いた。心が震えた。



東京を離れて実家に戻ってきて、読書を取り戻した。そのおかげで「はぁーーそうだったのか、、」と”この世界を再発見”している感がある。それはとても素晴らしくて、心が喜ぶ体験だ。でも。今回のような「心震える」読書体験はなかなかない。

私は落合ファンでもなければ中日ファンでもないし、野球ファンでもない。女性だから男の生きざま(そういう言い方今の時代はアウトになってしまうのだろうか)というものにそこまで共感ができるわけでもないと思う。

そんなことは関係ないのだ。

強烈な人間くささ、人が本当の意味で生きていくときに放つ熱というか炎というか。それが立ちのぼってくる本だった。


技術の発達で「便利」にはなったのかもしれないが、表層的な情報に覆われて何もかもが薄っぺらく空虚になっている今の時代。

「人間の生までもがそうなってはしないか?本当はこういうことが「生きる」ってことで、こういう生き様を見せてくれる人が昔はもっといたはず。そう思わずにはいられない読書体験だった。

ひとつひとつのストーリーに、落合はもちろん、選手やスタッフの目線、さらに著者の目線もはいってくる。この構成と文章の素晴らしさで、鈍器本と言われる(と聞いた)476ページ3.7センチの本を2日(しかも夜眠る前だけの時間)で読了してしまった。(おかげで少し寝不足)

あほらしいことが多くて、いろいろなことを諦めて、人ごとのように傍観してやり過ごしたくなるようなことが多いけど、こういう心震える瞬間があるから、なんとかやっていける。(小沢健二のLIVEもそう。これはまた別に書く)

本当に男性とか女性とか、若いとか若くないとかそんなの関係なしに、ぜひ読んでもらいたい。

最後に、気づいたら涙が頬をつたっていたところを、これをまた見にきた時の自分のために引用note。

落合はどの序列にも属することなく、個であり続けた。
落合というフィルターを通して見ると、世界は劇的にその色を変えていった。 この世にはあらかじめ決められた正義も悪もなかった。列に並んだ先には何もなく、自らの喪失を賭けた戦いは一人一人の眼前にあった。孤独になること、そのために戦い続けること、それが生きることであるように思えた。

同じ時代、同じ社会を生きながら、明らかに異形なのだ。
あらゆるものへのアンチテーゼのようなその存在が、世の中の欺瞞や不合理を照らし出してしまう。

- 『嫌われた監督 落合博満は中日をどう変えたのか』鈴木忠平(文藝春秋)

画像は全然関係ないけど大阪駅。不思議な椅子。ちょっと寂しそうだった。

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