「選択と集中」について、最近思っていること - その1

メインは社内SEとしての開発寄りのエンジニア業なんだけど、採用とか社外登壇とか色々やりだすようになってから、ふと思うところがあったりするので書いてみました。いわゆるお気持ちの文章です。とくに結論もありません。

自社ではもうじき来期が始まるので、社内異動など含めて自分の身の振り方考えたいよねという時期に来てます。いくつか選択肢がありつつ、まだ自分の中では悶々としている部分があり、雑に言葉にしてみました。

あと、タイトルのテーマは少し大きすぎるかも。

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今の自分は IT エンジニアとしてものづくりする「本業」の領域でいくつかのプロジェクトを持っている。以前はもっと細かく多数のものに分散していたが、ここ1年で人が増えたこともあり、かつて持っていた担当が分散できるようになり、今は 2,3 個になった。

その代わり…という話ではないと思うが、採用の面接担当としての役割が入ってきたり、また自身の社外登壇活動(+同僚氏の登壇支援)も細々とやってきたりしていた。登壇に関しては前から趣味でやってきたことなのであまり変わりないし、なんならここ1年はかなり実績が減ってしまったが。
エンジニアとしての技能で直接的に貢献できる「本業」的な仕事とは少し軸をずらした活動が増えた、という感じだろうか。

成果を語る上で、「選択と集中」という言葉をよく目にする。最大限の成果を出したいなら、リソースを集中して本当に大事なことに注力しなさいな、という文脈で使われることが多い言葉だと思う。
この言葉は(もちろんケースバイケースという前提はあるにせよ)ある一定は真実だし、そうでない側面も持ち合わせているように思う。

この言葉に対して自分が実感として思うことのひとつは、ここ1年で現場のエンジニアとして受け持っているプロジェクトが減ったこと。担当が減ったことで、それぞれのプロジェクトでのアウトカムが幾分出しやすくなった。
ここは紛れもなく良かった点だと思う。とはいえ、社内システムのメンテをやる立場だとどうしても「積極的な開発はしない/できないが、なにかあったときのために」と担当に入らざるを得ないプロジェクトや把握すべきソースコード、AWSアカウントなどなどがたくさん出てくる。このへんは社内SEの性質とか、人的リソースの懐事情でどうしようもない部分があると思う。

まあ、仮にエンジニアとしてアサインされる案件が1つに絞られたとしても、今の自分は社外向けの活動やら採用やらを意識した別の活動を兼務しているので、どのみち特定案件にはフルコミットできる状況にない。

完全に 1 か 0 かで割り切れる話なんてそうそうないのも承知しているので、「フルコミットできない」状況に不満があるわけじゃないし、またそれ(=特定案件のみへのフルコミット)が理想的とも思っていない。そうすることによって普段の活動の視野が狭まることが怖いし、何よりプロジェクトレベルで活動が限定されることによって、自分の「成果」が組織的なレバレッジに対して寄与しないものになってしまうかもしれないと心配になる。

「もうちょっとうまいこと、もっとクリティカルなミッションにだけリソース (or 成果) を集中できないものか?」と悶々とする時間も、それなりにたくさんある。このへんは組織 or 会社的な力のかけ具合の話もあるし、自分ひとりの担当配分に着目したミクロの視点でもよく思う。

ここまでをまとめると、最近私がよく感じている悶々のうち主要なトピックのひとつは「もっとうまく "集中と選択" ができたはずでは?」という話だと思う。

結局、大きな意味で「成果」を出そうと思ったら、いろんな専門領域、部署や職種、そうした周囲の世界に対して無関係ではいられないんだよな、ってのが最近強く思うところである。
(これは担当する仕事のリソース配分の観点もあるし、どういうスキルツリーに自分を振っていくのか、という観点もある)

これは主に現場のエンジニアとしての自分をイメージした話になるが、私の基本的な価値観は「弱い奴は問題解決の方法を選べない」である。ここで言う「弱さ」にはあらゆる能力、知識、経済力、思考、などなどが当てはまると思うが、ひとまずはエンジニアリングに関連する能力のことを念頭に置いたものとして書く。

まず、「弱い奴」はスタート時点で解決策のレパートリーが少ない。これはカードゲームに例えるなら手札が少なく質が悪い、そしてプレイヤー自身も自分の択が見えていない状態だと思う。そもそもの択が少ないし、そして特定の発動条件(コストやスキル)を要求する強い択が選べない。ある案が中長期の成果を毀損するトレードオフを伴う方法だとわかっていても、弱い奴にそれをえり好みする自由は与えられない。なんなら自分が検討する案に重要なトレードオフが存在していることすら気づかないかもしれない。そもそも、弱い人がいくら集まったところで、出せるスループット(つまり成果)なんかたかが知れている。優れたソフトウェアエンジニア1人の生み出す成果が凡人N人の働きを凌駕する、なんて話はよく知られていると思う。きっちり成果も出しつつ、その過程での学習や結果の振り返りなど通して自分のスループット向上に繋がるスキル・知識を身につけることはとても重要だ。

※成果を重視しすぎるあまり、度を過した「技術は手段に過ぎない」思想に傾倒するエンジニアも、きっとこの「弱さ」の類型だと思っている。技術がビジネス上の目的を達成するための手段のひとつであることには同意するし、エンジニア業以外のスキルの掛け算が成果やキャリアの観点において非常に有用であることも認める。でも、それは技術の領域を不当に軽視していい理由にはならないし、普段の爪とぎをサボっていい理由にもならない。

言葉にすれば普通の話だが、技術で物事を解決する職業を名乗る人間が技術を武器にできなくてどうする、という話である。サブウェポンでもいいし、自由に掛け算してくれればいい。でも使用可能武器に「技術」を挙げられないならそれは違うでしょうと。私自身は技術がメインウェポンの人間でありたいと思っているし、そのうえで掛け算できるスキルが複数ある状態を目指したい。そのため、エンジニアとしてスループット出すための能力がスキルツリーの最優先事項だし、その中核要素として多様な IT 技術に関する知識の引き出しや実務スキルが位置づけられる状態が(私自身の)目指すべき姿だと考えている。

…とまあ、このように "私は" 技術で尖りたい願望を持っている。上澄みの方々には逆立ちしても及ばないと自覚はしている。まあ、願う分には自由なのでいったんそれはそれで良しとしておく。

他方で、尖りすぎるパターンもまた「成果」にとって良くない結果を招く考え方だと思っている。
自分の興味分野にだけ閉じこもっている、もしくは周囲の(特に異なる職種の)人や組織に対して無関心な奴が考える「解決策」が、本当にビジネスによって最良の貢献になるのだろうか?独りよがりで、総体としての最適解を見ていない可能性が高いのではないか?と思う。
卓越したハッカーであれば、きっとそれでも必要とされる以上の代えがたい成果を出せるのかもしれない。しかし、残念ながら自分はそんな人間ではないし、きっと大多数の人もそうだと思う。だとすれば、異なる領域や人に興味を持ち、協調し、調整することも、「成果」にとっては本質的な要素と言えるんじゃないかと思う。

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望ましい「成果」の在り方とは、中長期の視点でも結果が出せていて、かつそれが持続できる組織を目指していくことだと(自分なりには)考えている。そう考えたら、とても単一の案件とかミッションのレベルに閉じた視野ではいられないし、目を向けずにはいられないよなと思う。最近の自分の状況だと採用あるいは採用広報の領域でそうした思いが強い。このへんをどう塩梅するかで、自分はジレンマを感じている。

現状の自分は現場以外にも多少の役割を持っている一介のメンバーに過ぎなくて、まだまだエンジニアの本分領域でのスキルも満足いく水準にない。エンジニアとしての自分の理想像では、もっとソフトウェアエンジニアとしてのスループットを高めたいと思っている。
現場メンバーならまず与えられたモノをちゃんとやれ、という話も当然あると思う。そして、特定のプロジェクトにリソースを集中できなかったために心残りしまくっているプロジェクトも過去たくさんあった。そうした見方から、もっと「集中」する選択ができていたら、するべきだったのでは、と内省する部分が多々ある。でも、最大限「成果」を出すために何ができるかと考えたら、エンジニアリング以外の様々なことに関して自分は無関心ではいられないし、そうした掛け算の領域で自分が拾えるポテンヒットゾーンのボールが今の自社にたくさんある、という風にも思っている。

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結論はまったくないんだけど、実際どうやって塩梅を加減していこうか、というお悩み、お気持ち表明でした。

リソース配分やスキルツリーの選択、もっと尖りたいなって願望があるんだけど、でも自分が考える「成果」ってその延長線上だけ追いかけても到達できないんじゃない?とも感じていて、どうしたらいいんだろうな〜、という話でした。

追記)
続編書きました。こちらも特に結論はありません。


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