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メロンソーダを前にしたときのワクワク感について考えてみようじゃないか

突然だけど、メロンソーダ好き?

あちこちで言ってるのだけど、メロンソーダってワクワク感の象徴だと思っていて。

舌が緑色になるとかね、合成着色料満載じゃん!身体に悪いよ!とかね。そういうのをメロンソーダを頼んだ人に言うのって野暮なことだと思うのよ。


前に、仕事で作ったものを試食するのに、きゅうりが必要になった。そのときに、おつかいに行ってくれた人が「〇〇に売ってたのは福島産しかなかったから、別のスーパーに行ってきました」とわざわざ一言添えてきゅうりを持ってきて。

そこのオーナーが福島産の野菜を買わないって言う人だったのね。

確かにその人は、海外から帰ってきて、子どものカップラーメンを作るのに、エビアンを使っていた。そして子どもの学校の社会見学旅行が福島に限りなく近い茨城だったことに怒って、子どもを参加させなかった。

その人は、わたしが「い○はす」のオレンジ味を眺めていたときに「すんごい身体に悪いから買っちゃダメだ」と言ってきた。

その人はわたしのことを思って言ってくれている。それはわかる。

そして身体に良い素材を選ぶのは、とてもすばらしいことだ。

だが待ってくれ。

だからって自分の価値観だけで他者の「良い/悪い」を決めるでないぞよ。

得てして健康のことに関わると、身体に悪いものを選んでいる人は、悪者になっちゃう。

マクロビオティックの久司先生は、死ぬまでタバコを辞めなかったそうで。吸う時のタバコの煙の向きで、陰陽の法則に沿った吸い方ができるって言っていたと聞いたことがある。

確かにアーユルヴェーダでも、野菜を摘むときの向きとか、そういうのでもエネルギー変わるとか言うしね。そういうのがないとは言い切れない。

癌で亡くなった恩師も最後までタバコを辞めなかった。1日1本のタバコを美味しそうに吸っていた。「タバコは身体に悪いから吸わないで」とは看護師だった奥さまも言ってなかった。


今夜、獅子座新月を迎えるのだけれども、自分なりの楽しみ、小さい頃に熱中したこととか、今熱中してることでもいいんだけど、

なんと言われようとコレが好きっっ!

というのを数えてみようじゃないの。それって「自分らしさ」に直結してると思うんだ。

自分らしさ、自己表現って言うと、苦手意識を感じる人は少なからず多い。

あと、自己表現って言うと、自分をさらけ出すことだと思ってる人も多い。

さらけ出さなくても全然いいし、誰もが自分らしさっていうものを持っている。

でも苦手意識を感じる人は、それを受け入れられていないのかもしれない。

人はないものねだりをする生き物なので、理想を追ってしまうと自分の欠けたところに意識が向いてしまうのよね。

完璧な丸ってコンパスとか使ったら誰にでも描けるじゃない?でもちょっと形の違う味のある丸って、その人にしか描けないんだよね。

そして完璧な丸よりも、ちょっと歪んでいる方が魅力的なんだよ。



幼稚園生の頃、近所のお絵かき教室に少しの間だけいってたんだけど、その時に、自分の家から描きたい物を持ってきてと言われて、わたしは親戚のお姉さんからもらったお気に入りの犬の貯金箱を持っていったんだ。

そして、先生がみんなが持ち寄ったものを並べて「じゃ、みんなこれを描いてみて」と言うと、みんなの場所取りが始まるのね。

わたし、自分でお気に入りのものを持っていったのに、犬の後ろ姿が見えるところしか空いてなくて、後ろ姿を描いたのよ。心の中では泣いてたよ。「わたしが持ってきたのに!」って思いながら描いた。

でも出来上がった絵を、先生がすんごーーーーく褒めてくれたの。「後ろ姿いいね!うまく描けてるね!みんなと違っていていいんだよ!」って。

正面を描かなくてもいいんだ!

と5歳児の目からウロコがぽろりと落ちた瞬間(笑)

それから絵を描くことがそれまでの何百倍も楽しくなったの。このことは、わたしのクリエイティブの支えになってたんだな〜って感じるのだよ。

わたしにとってのメロンソーダの素になった出来事


そういう自分の中の楽しみの素になった経験をちょっと考えてみてね。

獅子座新月の記事はこちら。


Life with the Moonの記事がぜーんぶまとまっているnoteはこちら。



じゃ、まったねん。

暑いからね、みんな水分補給するんだよー。感染にも用心してね。

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