ルッキズム至上主義は必ず不幸になる。

容姿の良さ=若さは武器であり財産だ。

「容姿の良さ」というカードを持って生まれたなら最大限に生かして、
「若さ」というアドバンテージがあるうちにできることをした方がいい。
達成したい目標があるのならなおのこと、これを使わない手はない。

自分の容姿に自信のない人は、この考えに嫌悪するだろう。
でも事実だからしょうがない。

しかし、容姿の良さや若さは必ず減っていく財産だ。

どんなにアンチエイジングや整形にお金や労力をかけたって必ず減る。
50歳で20代に見える人はいない。
もちろん「80歳には80歳の美しさがある」のだが、皆んなが固執しているルッキズムはそこではないだろう。

故に、自分の価値を「美しさ」に置き過ぎると
自分の価値がどんどん減って行く恐怖を感じながら生きることになるだろう。

無職を経験したことがある人はわかると思うが、たくさん貯金があったとしても無職で通帳の額面が徐々に減っていく日々は精神的にきつい。
「人生の夏休みだと思ってゆっくりしよう」と思ってたとしても、そのストレスに耐えかねて焦って転職活動してしまうのが人間心理だと思う。
お金はいつでも増やせるが、「若々しい美しさ」は不可逆なので絶望的な気持ちになるだろう。

特に女性は仕事でも恋愛でも「美」によって評価される比重が大きい。
それによって人生が左右されてしまうのだから、「美しさ」に固執するのは当然だと思う。
でも何度も書いたように、減り行く財産であることは変えられない。

若い頃そこそこ美人で、自分のアイデンティティを「美」に見出していた人こそアラフォーあたりから暴走し始めるように感じる。

アンチエイジングに時間と労力を全振りし、美容整形を繰り返し、ヒアルロン酸で不自然に頬がパンパンになり、若い女に嫉妬し、心がトゲトゲする。
(これからの時代は男性も、より容姿が求められるようになると予想しているが)

私は人生経験積めば積むほど、自己肯定感が下がるのは嫌だ。
努力した総時間が増えてるんだから、その分自信も積み上げていける人生がいい。
だから「容姿」はそこそこに、他に趣を置いていきたいと思う。

主観であるが、歳を重ねて幸せそうな人は家族や趣味、仕事などに意識が向いている人が多いのではないだろうか?
これらは「積み上げられるもの」「減らないもの」である。

若さがなくなるのは残念だが、そんなことは最初からわかっていることだ。
生まれたら死ぬのと同じ。絶対的な事実。

人はそんなに割り切れないけれど、でも変えられないことに苦しむのは無駄である。
"年相応"の美しさを求めつつ、仕事と趣味を充実させよう。
若いうちに「積み上げられること」に自分のアイデンティティを見出していこう。

アラサーの独り言でした。

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