失敗から学ぶが、失敗し過ぎは"学習性無力感"を生む
若いうちはなんでもチャレンジして、失敗から学ぶんだ🔥(`・ω・´)
そう言われないだろうか。
基本同意。
私自身も沢山失敗してその中で気づいたことや得たことはある。
もがいてジタバタしてたら泳げるようになってた!ということや、
「無理」と思っててもやってみたら「あれ?こんなもん?」ってなことも多い。
成功を掴むには100000回チェレンじして、そのうち1回がたまたまヒットするのだろうと思うから。
取り返しのつかない失敗でなければどんどん失敗していいと思ってる。
が、
最近は、むやみやたらに策もなく突っ込むのは良くないと思うようになってきた。
元来私は「やってみてダメでも"向いてなかったということがわかっただけで一歩前進"😉」というポジティバー。興味関心があることはどんどんやる女
今では30%の勝算、30%の逃げ道、30%代価案、10%賭け
こんな塩梅でイケそうなら「よし!」と思ってから行動するようにしている。
そういう考えになった理由を書いていこうと思う。
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失敗し過ぎは"学習性無力感"になる
象使いが使う手法を例に挙げる。
巨大な象を逃さないために子供の象を鎖につなげておくのだ。
子供のうちは鎖がついているから逃げられない。
「ひっぱっても取れない」ということを学習した象は、大人になって鎖を引きちぎるだけの力があるにもかかわらずけして逃げないのだという。
人間だって、そういうことは多くあるだろう。
効果のでない"無駄な努力"を繰り返し、"努力したけどダメだった自分"と思い、
努力することを避けるようになる。
ただがむしゃらに考えなく、なんでもやって、なんでも失敗を経験しろ!
と思えないのはこの点が大きい。
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人生の時間も、気力も、資源も有限である
年齢を重ねれば重ねるほど、人生の残り時間を意識するようになるのではないだろうか。
体力も無尽蔵じゃないし、本当にやらなきゃいけない事以外、雑務も増えてくる。
お金だって限りがある。
あれもこれも!とやっていたら、あっという間に人生終わる。
(最近1年が3ヶ月くらいの体感で過ぎていく。怖い。)
本当にやりたいこと、やるべきこと、それに繋がることに
貴重な時間や労力やお金を投下したい。
もちろんチャレンジは回数が大切なのだが、
むやみやたらに無駄うちする余裕はないのだ。
努力して失敗して、ちゃぶ台返しになってまた振り出しに戻り一から積み上げる、、、、
全てに対しこれをやっていては100年の人生では足りないだろう。
できるだけ無駄にならない工夫をしてから挑むべきだ。
「目隠しでマシンガン連弾して当たったらラッキー」
は、まだ自分のやりたいことが定まってない子供や若者はいいが、
有緒なことを言ってられない大人は
「猟銃で、一発ずつ確実に相手の眉間を撃ち抜く」
スナイパースタイルに切り替えた方が良いのではないだろかと思っている。
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上手くいかないのはやり方が悪いだけかもしれない
繰り返し失敗を続けると"学習性無力感"を感じてしまう。
「自分はダメだ。やっても時間の無駄だ」と。
人には向き不向きがあるし、本当にダメなやつならさっさと切り替えて次行った方がいいと思うが、一度立ち止まって欲しい。
本当に"ダメだったのは自分"なのか?
努力の方向性を間違えてたのでは?
ちゃんと教えてもらってたらできていたのでは?
環境があってなかったのでは?
無策で同じことを繰り返してたのでは?
当たり前だが同じことをしたら、基本同じ結果が返ってくるだけ。
私は「対人関係構築」に対して無力感がある。
無力感というよりコンプレックスかもしれない。
それは幼少期から何度やってもうまくいかなかったし、
あと何度転職してもうまくいかず、人間関係が原因で安定して仕事につけなかった。
その時は「人と付き合うこと」「会社組織で働くこと」に「向いていない、無能である」と学習してしまったのだろう。
本当に私の個性は"集団"に馴染めない性質なのかもしれないし、
所属していた場所が合ってなかっただけかもしれないし、やり方が悪かっただけかもしれない。まだ検討の余地はある。
どちらにせよ、何度も同じことを繰り返して同じ失敗して「どうせダメだ」と諦める前に、立ち止まって己のやり方を見直す必要はあると思う。
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"正しい"努力をしよう
努力には"正しい努力"と"間違った努力"がある。
"間違った努力"で時間や労力やお金をいくら消費しても目的は達成できないだろう。
脳科学者の中野信子先生がこのような主旨のことをおっしゃっていた。
ぎくっとした。
私は何事もがむしゃらにもがいてはいた。けして怠惰にしていたつもりはない。
しかしそれは向かいたい方向に前進するもがきだっただろうか。
ただ同じ場所でジタバタして、溺れていただけでなかったか。
(ジタバタしてたから沈まなかったのだ、と頑張り自体は肯定したい)
また、「月に行く」というような明確なゴールを設定できていただろうか。
自分の目標「ゴール」を明確にして、それに近づくための「ロードマップ」を作り、それを一歩ずつ進んでいくこと。これが「正しい努力」なのではないかと思う。
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失敗毎に少し変化させていく。
正しい努力をしていたって最初からうまくいくことは少ないだろう。
たった一回で諦めてしまっては何もなしえない。
「失敗の連続」は必ず経験する。
では失敗を繰り返しても"学習性無力感"にならない方法は?
私は、「毎回少し手法を変える」ことだと思う。
そもそも目標設定や手法が間違ってるから失敗しているのである。
単にスキル不足だったら繰り返しの習練で上達する可能性もあるが、それでも頭を捻ってやり方を変えていくのではないか。
ビジネス界でよく言うとこの「PDCAサイクルを回す」というやつである。
これが"学習性無力感"になりづらくすると思うのは
「自分自身」ではなく問題を「行動」や「目標」に着目しているだからだ。
自分自身に問題がある場合、そうは変えられないので落ち込む。
でも行動や目標設定は今すぐでも変えられる。
婚活を例に
毎回毎回お断りやいい相手に出会えず時間ばかりが過ぎているとする。
どんどん自信がなくなってきて「どうせ自分に結婚は無理だ」と自分にフォーカスし自信をなくしていき、
結婚相談所も退会して、もう婚活をしなくなってしまうかもしれない。
結婚しない幸せもあるが、本当はしたいと思ってる人が諦めてしまうのは不幸だ。
これを「行動」「目標」に着目するなら、
「今回はうまくいかなかった。ファッションが悪かったかもしれない」「プロフィールにこう言うもんもんを書いている人は⚪︎⚪︎な可能性が高いから、今後は気をつけよう」「お店選びでもたついたから次は事前に決めておこう」などとなる。
悪いのは自分ではなく、方法。
では学んで変えていけば良い。
PDCA回してる方が「今間違った努力してるな」ことにも気づきやすくなると思う。
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自分にも思い当たるところが多いので、
戒めとして脳裏に刻んでいこうと思います🙂
自分なんてどうせダメだと無力学習してしまっている人がいたら、
正しい努力の仕方を、ノートに書いて見るのもいいかもしれません。
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