「こんなものに価値はない」という考えの副作用

「この作業ってムダだよね。お金にならんし」

「うわぁ。意味ないわーこれ。めんどくさ」

「これやる価値なくない?」

このようにふと思ってしまうことは無いでしょうか?

私はこういうふうによく考えてしまいます。

この考えは自分の行動を止める時や、昔から残っている慣習が本当に必要かどうか考える時,モノを捨てる時、単純作業を自動化する時、サンクコストバイアスにしばられている時に力を発揮します。

最近のニュースだと「はんこっていらないよね?」っていう考えが日本のハンコ文化をなくし、デジタルに移行しようと政府が動きはじめています。

当たり前なことが本当に必要か考えることは重要だと思います。

だけど、この考えの割合が多くなってしまうと,短期的な効果が出るものしか行動できなくなってしまうことに気づきました。


例えばふと友達にメッセージをしようとした時も「このメッセージ送ってる間に、もっと生産的なことできるんじゃない?ムダでしょ?」とか

気分転換に外に出て買い物しようと思った時も

「明日まとめて行けばいいよね?行く必要ないって」

最近だと絵の練習やピアノの練習をしたいなーと思ったときも「その時間あるんだったら他にやることあるよね?お金にもならんし。」と思って辞めました。

こうなると生産的なこと,有益な仕事をしていないことに罪悪感を感じ,遊ぶことにやる気がなくなります。

なのでこの考えがあまりにも強いときは

「そんなに意味ないとか言うんだったら、どうせ死ぬからかんおけに入る練習今からすればいいよ。死んだらタンパク質になるだけだから,かんおけもい意味ないけど。」

と言って反論します。

どうせ死ぬ。

とても悲観的な考えですが、こう思うと今の自分の行動が多少生産的になったとしても,仕事をたくさんやったとしても,死の前では意味はないと気づきます。

むしろ今この瞬間を楽しんだもの勝ちだと感じることができます。

ちょうどいいバランス感覚で、「これ意味あるかな?」という考えと共存できたらいいなと思ってます。


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