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歯が折れて覚悟決まる 人生の後半は離島で

就職氷河期のロスジェネ(ロストジェネレーション)は今まさに人生を折り返している。SDGsと共に世間に広がった「生きがい」とか「ウェルビーイング」という言葉を実践できるかどうかは別として、仕事や家庭以外での充実や社会貢献に気持ちが向き始めている世代でもある。今まで気づかなかった何かとの出逢いによって本来持っていた内面の思いとか個性が開花し時間と共に積み上げていくものが生きがいだとしたら、ウェルビーイングとはどういう状態のことなのか。


「歯ってこんな短期間に2本も折れたりするもんですかね」 歯科医のどんなセリフを期待してそう質問したのかわかならい。ただ気休めの言葉が欲しかったのかもしれない。

「歯も老化するからね、よほど歯を食いしばってきたってことかな」 そうよその通りだ、私は歯を食いしばって生きてきたんだ。硬い食べ物を食べたわけでもないのに1ヶ月の間に左右の奥歯が音を立てて折れるなんて。

片方の奥歯は存命できたがもう片方はインプラント一択になった。人生で初めてのインプラントは50万円だった。失ってわかるその存在感とありがたみ、自分の歯で最後まで生きられるように真面目に歯科に通院しようと固く心に誓った。

思えば5、6年前から小さな異常はさまざまにでていた。冬に手袋をつけずに外出していたら急に指先一関節分が真っ白になり痛くて曲げられなくなった時はショックだった。これはいわゆるレイノー症状というもので、検査入院の結果では免疫異常の膠原病という病名がついた。

自分の免疫を自分自身で破壊するってどういうことよ。この病気の明確な原因はわからないそうだが過度なストレスも一因らしい。確かにそれには心当たりがある。しかしそれを責めたり悔やんだところで事態は何も変化しないこともわかっているので受容するまで放置しておくことにしたら、陰の気がいつしかスッと軽くなっていた。

人生の棚卸しと壮大な断捨離を決行し離れて手放すことを決断すると、人生の後半をどういう生き方にするかを考える日々が始まった。歯を食いしばらない生き方、半径2メートルの良好を作る生き方だ。それが私の場合、離島への移住という選択だった。

「海を守りたかったら山を守ることだ」 離島に通って活動すること10年。馴染みの漁師の親父さんに言われた言葉は今も離島に向き合う大きな動機になっている。

従来品種の甘夏みかんの畑が島内に点在しゴールデンウィークごろになると収穫目的で来島する観光客も多くなる。七夕祭り発祥の地とも言われ、世界遺産を有する島としても名前が知られるようになった。遥か60キロ先に見える神宿る島を一望できる砲台跡地から見る夕陽は海に溢れるほどの絶景だ。自分自身を取り戻すことができた場所がこの島だった。

幼少期から海に親しんできた海好きD N Aは海洋学部水産学科に進学。在学中には海が有限であることを知り、近年の海洋異常や深刻な海洋ゴミ問題の現実に直面するたびに胸が痛んだ。資本主義経済の恩恵で豊かな生活を享受できた自分たち大人の不始末の影響範囲が広がっていて未来にも影響を及ぼすことがほぼ確定的ところまで来ている。今ある海を未来に引き継ぎ持続可能な島の暮らしを目指すために、当事者を明確にした具体的な一歩を踏み出したいと考えるようになった。これは多分、ソーシャルやコミュニティウェルビーイングのきっかけなのだろう。

コロナ前から頻繁に聞こえてきたSDGsという言葉はまったく都合がいいよなと思う。トレードオフをはらみながらも経済合理性に合うように解釈され、企業の社会貢献活動を後押しする形になった。そこから一歩踏み込んで社会課題をビジネスで解決しようとすると途端にハードルが上がる。

「この家を貸してもいいよ」 離島に通い続けて10年。これまで全く縁がなかったのに離島の住宅を貸してもらえることになった。家はご縁、まさにその通りだ。

幼少期からたびたび島に遊びに連れてきていた子どもたちも一人暮らしをする年齢になったことでお母さん卒業宣言。島で自分自身が稼ぎながら長年の思いを叶えるためにいよいよ始動する。

「ある意味そういう生き方を選べることが羨ましい」 個人事業主となって自分の決めた道に進む決意を話した時に言われた。ただ当事者にしてみれば憧れからの出発ではなくて退路を絶つことを選んでしまったので自分自身と向き合いながら築いていくことの始まりに過ぎない。


離島の課題に当事者を明確にして多面的に取り組んでいく一般社団法人を設立しました。島外、島内の様々な立場の人、将来の当事者となる子どもたちと一緒に活動しています。そこに携わることがどのぐらいジブンゴトになれるかが結構大事だと思っています。半径2メートルの良好、これからも続きます。

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