見出し画像

上に立つということ

『もっと強くなりたいです』

泣きながら彼は言った。

心が掻き乱れる。

高校2年の秋頃に開かれる新人戦。
部長である私は後輩達を引き連れて会場へと向かう。
1回戦や2回戦敗北が当たり前なほど弱小校である。
新人戦では読んで字の如く、新人も出場する大会だ。

剣道は団体戦というものがある。先鋒を始めとし、次鋒、中堅、副将、大将と5人編成で同じ役割同士で試合をし勝敗数を競う。

私達の高校では次鋒と副将が1年生、その他を2年生が担当するように編成した。1年生にとっては新人戦がデビュー戦である。


弱小校であることもあり、心のどこかで「どうせ1回戦落ち」という気持ちが存在していた。そのためか、部内の練習も部員全員が身に入らず、緩い空気が漂っていた。その中でも特に副将を担当した1年生はサボり癖があり、来ても真面目に取り組む様子は見られない子だった。

そして迎えた大会当日…
対戦相手は前回の優勝校。
『勝てるはずがない』試合前から諦めムードが部内に漂っていた、1人を除いて。
先鋒から中堅戦を連敗し3敗。すでに団体戦として勝敗は決しているが続けて副将戦、大将戦が行われる。
副将戦へと向かう彼は『仇を取ってきます』と初めて見る真剣な眼差しと共に試合場へと向かった。

私が呆気に取られている中、始まった副将戦は惨敗。手も足も出ず瞬殺。
戻ってきた彼に声をかけようとしたが、咄嗟に言葉が出なかった。防具の面を外したその表情は『苦悶』。見てはいけない気がして目を逸らしてしまった。

試合が終わり、先生からの指導を受けた後、彼が私に声を呼んだ。

『もっと強くなりたいです』

泣きながら彼は言った。
心が掻き乱れる。
この後、私は彼に何と言葉をかけたのか覚えていない。1つ確かなことは、私の中の『何か』が変わったこと。

『彼のことを見ているようで見ていなかった』
『真面目ではない、そう思っていたが自分はどうなのか』
『私は「先輩」として彼に何かしてきたか』
『私は「上に立つ人間」として…』

そんな自問自答を繰り返す。
部内の雰囲気はガラリと変わった。大会で見せた彼の表情と普段の表情のギャップが皆の心を打ったのだろう。私もその1人だ。

変わるきっかけは得た。何から変えるか、何なら出来るか、迷い混乱し進まない。
そんな中、先生から『優先順位をつけなさい。目の前のことから1つずつ、1人ではなく、皆で進めてみなさい。背伸びばかりしていたら足元が見えなくなるよ』と教えられた。

武道場や部室、練習内容等、順々に改革を進めた。
1人では限界がある。定期的にミーティングを行い皆の意見を寄せ集めて統合していく。上手くいかないときは、その都度その都度、原因と解決策を考えればいい。大局を見据えられない人間は大成しないと思う方もいると思うが『最低ライン』の向上が平均レベルの底上げに繋がると信じて行っていた。

高校3年最後の大会にて新人戦と同じ組み合わせで試合に挑んだ。相手は準優勝校。またも強豪校であったが部員の顔つきが違った。試合結果は全敗だった。結果だけみれば変化はないが各々、内容に成長を感じていたようだった。

私達の引退日に副将の彼から『この剣道部に入って良かったです。上手くは言えないですけど、先輩達との部活、凄く楽しかったです、充実してました。特に部長、俺の思いに応えてくれてありがとうございました。』

この部活動で心身共に最も成長したのは彼かもしれない。そして最も周囲に影響も与えたのも彼だろう。
新人戦での一言をきっかけに大きく部内の空気が変わった。いつかの自問自答を思い出す。『私は彼や彼らに「上に立つものとして」何か出来ただろうか』答えは無いし、一生悩み続けるだろう。しかし、彼のような成長と周囲の成長を促し見守る、時に先導出来る人間になりたいと改めて思った。思わせてくれたのは彼の存在だろう。

彼は元気だろうか
近いうちに連絡をとって食事にでも誘おう。

この記事が参加している募集

よろしければサポートお願いします!いただいたサポートはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!