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舞台ヒストリーボーイズ観劇記録

2024年舞台ヒストリーボーイズを観劇した。
公式からのざっくりしたあらすじ、登場人物紹介、開演前の必要知識スライドショー(後日HPに追加されたが最初から載せておけばいいのにと思った)、初日を観劇した人の難しかったという感想だけを把握した状態での観劇だった。
外国で賞を獲った戯曲との前触れで、物語への期待値は高めであった。

上記前提のもと、私の初観劇の感想は舞台上の結末の感情と私個人の感情がズレてしまった、だった。
一応物語の流れ等は理解できている、と思う。
スライドショーでやっていた単語知識が無ければ物語の理解がより難しくなったことは確実だ。

物語を頭の整理のためにも書き出してみる。
ネタバレ注意
本筋は1980年代のイギリスの高校。オックスフォード大学やケンブリッジ大学に生徒を進学(合格)させたい校長、これまで長年本校で教鞭を執ってきた英語教師ヘクター(男性)と歴史教師リントット(女性)、頭が良い生徒たち、そこに大学合格のために校長から呼ばれた歴史学者アーウィン(男性)。ヘクターは一般教養の授業も担当している。
物語は、主にヘクターとアーウィンの教師としてのやり方の違いをおおきく見せ、そして生徒の中で一番出来の良い(賢い)とされるデイキン、彼に片思いするユダヤ人のポズナーにより動いていく。
アーウィンは正にオックスフォード大学とケンブリッジ大学の受験対策としての授業、ヘクターは一般教養で詩や文学を用いつつ演劇的な「遊び」の授業を行っている。
最初は「アーウィンの」新しい切り口を見つけろ、個性を出せという授業に戸惑う生徒たち。だが次第にそれを面白いと感じ、特にデイキンはゲームのようだと進んで楽しんでいく。
物語が転換するのは、ヘクターによる生徒への性的悪戯(生徒をバイクに同乗させ性器を触るという行為、なにこれ)が校長にバレた時。最初から校長はヘクターに好意的ではない、受験のためになる授業をしろと思っている、だからアーウィンを学校に呼んでいる。ここで校長からヘクターに早期退職、そして一般教養の授業をアーウィンとシェアすることが告げられる。
教室で絶望するヘクター、そこにたまたま訪れたポズナー、彼らは共鳴する(何かが起きた比喩ではなく、悲しみの感情が言葉を尽くさなくても分かるというか、ポズナーの性的マイノリティではないかという怯えやデイキンへの叶わない恋心への言葉に出せない苦しみ、悲しみが、そこでのヘクターの心理と重なったというか、気持ちがわかるよということ…!)。
※ここでややこしいのは、デイキンがモテの中心にいること…ヘクター→デイキンが一番お気に入り、ポズナー→デイキンに恋、アーウィン→デイキンがお気に入り、そしておそらく恋愛的にも好き、肝心のデイキンは校長の秘書と付き合っている。めちゃくちゃである。

さて、一旦場面は変わり現代へ。
歴史学者としてニュースを収録している車椅子のアーウィンの様子が。そこに現れるポズナー、彼はとても追い詰められた様子だ。そこでポズナーの口から、「大学に進めば何か分かると思っていた、そこがゴールだと思っていた。でもそうじゃなかった、僕は空っぽだと分かった。(ざっくり意訳)」との発言が。将来へ不穏な空気を残し、場面は高校へと戻っていく。
ヘクターとアーウィンの共同授業に生徒たちも戸惑っている。生徒はそれまで、ヘクターはヘクター、アーウィンはアーウィンとしてスタンスを決め、180°違う授業を受けていたのに。それが共同授業というのだから当然だ。彼らもどのようにしてこの授業に臨めばよいのか分からない、スタンスが決められない。
先生に聞こうにも、ヘクターは理由を話さないし(そりゃそうだがそれもどうなんだ)、アーウィンも流れ弾を食らったようなものだから事前に何も決められない。
そんな状態での共同授業。ここで悪いことに、ホロコーストの話題が出る。1980年代、まだその傷は深くヘクター含め当事者はホロコーストを「歴史」にできていない。その場にはユダヤ人のポズナーも居る。その中で繰り広げられるアーウィンとヘクターを中心としたホロコーストを題材として取り上げることへの議論。生徒も乗り気でホロコーストを歴史にしようという者も居れば、その姿勢にドン引き、言って良いことと悪いことがあると否定的な者も居る。その空気で授業は終了。理性的で感情的で倫理的なカオス。教師としての2人の違いを正に生徒に、観客にぶつけたシーンであった。

彼らの違いを浮き彫りにしながら、生徒たちの高校生活は進んでいく。面接対策、記念撮影、そして受験本番。
それぞれの受験の様子が生徒の口から短く語られる。皮肉にも、ポズナーはホロコーストについての質問を受け、アーウィンに教わった新しい切り口での解釈を発し、奨学金を貰いオックスフォード大学に合格する。
なんだかんだ、アーウィンによる嘘か本当かは関係ない、独自の視点を持て、個性を出せという指導の成果で生徒全員大学に合格する。
そして校長も大変喜び、アーウィンに深い感謝を、リントットにも感謝を伝える。ヘクターについては総スルーだ。(それを生徒の前でやるな)
さて、詳細を記述してこなかったが、実はここまでにアーウィンとデイキンの仲が良くなっていき、デイキンがアーウィンのことを好きかも、等と発言するシーンが挟まれていて、大学合格で物語が終わらないことを観客は悟っている。
案の定、卒業を控えたデイキンがアーウィンを飲みに誘う。そこでデイキンからの、アーウィンの母校を受験したが、その時生徒名簿にアーウィンの名前が無かったという発言。ショーン・Kなのかよアーウィン。
誤魔化すアーウィンに対し、わざわざ言われた母校まで行ったのにという誠実さと、でも嘘か本当かはどうでもいいんですよね?とアーウィンの授業を引用して許容を見せるデイキン。本当にこいつは頭が良いというか、賢いというか、高校生じゃないだろ。
ヘクターについて、校長が校長秘書に迫っていることを材料に「交渉」し、ヘクターを定年まで学校に居られるようにしたのもデイキン。書き出してないが彼の頭一つ抜けた有能さは本編の様々な場面で表現されている。
その中で、有能な者特有の無意識な傲慢さも持つデイキン。
彼は直接的単語や比喩を使い、アーウィンの教師を剥がした本人に触れ、さらに知りたいと口説き落とすことに成功する。(アーウィン役の人が勝手に濃厚なシーンにしてるって言ってたけど、流石に分かりやすく濃厚だろと思った。人間の心の機微がまじで分からない私が分かるんだからよ。表現の受け取りで物語を観客の責任にしないでくれますか?腹がたった。お前もそのシーンやりたくなかったのかもしれないけど、こっちだってこんなシーン見せられると思ってなくて観に行ってて、しかも舞台だから強制的に見せられてるんですけど??そういうのは無視かい。なんやねん)

全員合格、デイキンとアーウィンの約束、ヘクターの早期退職無し等ハッピーエンド(?)に向かおうとする物語。悲しいかな、語り手スクリップスからも、現代の車椅子のアーウィンからもそうはいかないことが示される。
なんでもないある日、ヘクターがまたバイクに生徒を乗せる。そこでこれまでできるだけそれを避けてきたヘクターお気に入りのデイキンが立候補、そんな楽しそうな教室に校長とアーウィンが入ってきて校長はヘクターに怒る。バイクに生徒を乗せるなと(当たり前である)。
そして乗せるならアーウィンをと言い、アーウィンも了解。その流れで解散した彼らだが、そこで悲劇が訪れる。その二人乗りしたバイクで事故が起き、ヘクターは亡くなってしまう。
アーウィンは事故の後遺症で車椅子に。悲劇的な出来事が、あっという間に発生し、物語を一気に収束させる。

場面は最後に、リントット先生の語りによる登場人物の現在紹介へ。大人になった生徒たちが現れる。様々な道で彼ら自身の人生を歩む姿。輝く同級生の中、心を病んでしまったポズナーの姿も共に。
そして彼らは口を揃えて言う。
大学入学がゴールじゃなかった、そこからさらに人生は続く。人生を歩むという点において、支えになったのはヘクターの授業だったと。余白のような、余興のような、昔の映画や文学、詩を学んだあの時間が活きたと。
そんな、答えを残して舞台の幕は降りる。

以上が3時間の舞台の主な物語だ。畳に畳んでこの長さ。

ていうかこうやって長々書き出したが、この舞台の本質はこういったお話を通しての登場人物の振る舞いや感情の揺れ、演出されたそれらを直に浴びることにあると思うので、 最初から脱線したような…
話が大切だけどそれだけじゃない!と言いたい…

事実の羅列に徹するべき箇所だが、言いたいことがありまくったのでそれが漏れ出ている。分割して後から個別に言及するのもだるいし、本編の内容自体は私の認識ではあるがただの羅列をしているから許してほしい。

さて。
この物語が前提で、色々感想を書き連ねていこうと思う。


・感動的な劇の終わりと私の気持ちのズレ、その原因

感動的締めの物語だったが、私はその感動に至れていない。ひっかかる所がありすぎたのだ。
その説明のために、私の立ち位置(経歴?人生?考え?)を軽く書いておく。
・女性
・大学院修士卒、理系
・大学時代に教員免許をとる、教育実習行った
・性犯罪は許してはいけない
・先生と生徒の恋愛関係はダメ
・性的マイノリティであるかに関わらず、これからも関係性を継続しなければならない相手に好意を抱きそれを発言することに否定的

一番大きいのは、「性犯罪を許すな」という思想だと思う。
いかに人物として優れていても、性犯罪をしたという一点で私はその人間を絶対に否定する。
なかなか下ネタというか、下世話な会話が多かった本劇だが、同意なく生徒の性器を揉むってどういうことだよとなった。生徒達はネタというか、ヘクターのその行為を笑い話にしていたが…そもそもお気に入りの生徒が居ることはそうじゃない生徒も居るということで、それは人間しゃーないとは思うが、それをバイクに乗せたがるかどうかで生徒に伝わっているのもナシだ。
悪戯された生徒が嫌がってなければいい?そんなわけないだろ、性的悪戯をしたという事実が何をしてもダメなのだ。
それが、物語の終わりでヘクターが人生の為になる授業をしてくれていたと言われても、同意できない理由だ。

途中先生になった理由や、教師という職業についてヘクターが語る部分がある。私は教育実習というほんの僅かな部分だが、高校で先生として教壇に立ち、様々に考え生徒の人生を背負えないと教員を諦めた。私がそうというだけで、この考えを誰かに、架空の人物であっても押し付けようとは思わない。ヘクターの大半の語りには聞き入ったが、生徒の性器を触ることを祝福だと言われたとき、何を言ってるんだこいつはと本気で思った。

確かに高校の先生として、アーウィンとヘクターではヘクターの方が師となる授業をしていたと思う。
アーウィンの受験対策は、現代日本で言うなら塾の先生としてやりなよという感じ。めちゃくちゃ大学入学においては有効だと思うけどね。その思考に影響されるかもしれない生徒の未来については、全く考えていないから。ホロコーストを議題にしたシーンでも、自分のことをあまりに理的だと述べているが単に人の心が考えられない研究者だからじゃん…となった。結局先生として続いていなかったことからしても、彼の本質は先生ではなく起爆剤、刺激、研究者であるのだろう。

そのアーウィンがデイキンの誘いにのったのもまた私を渋い顔にさせる。
先生が!生徒に言いくるめられて許すな!犯罪じゃボケェ…
エモも何も無いと言われるかもしれないが、いや法律でダメだろと思ったらそれしか思えなくなる。
デイキンはまあ有能でね…憎たらしいほど有能で、示された未来もアーウィンの思考を上手いこと使ってノリノリだが、陰キャとしてはどこかで痛い目を見ろと思ってしまうキャラクターだ。
魅力的だからこそ人に好かれるんだろうとも分かるため、悔しい。無敵の学生生活を送りやがって。

ポズナーの性的マイノリティについて、ここまで全面的に描かれるとは思っていなかった。彼の人生について……分岐はあったと思う。思うが…変な話、彼はアーウィンに出会わなければ良かった側の人間だと思ってしまった。繊細なポズナーと、繊細を無視した授業を行うアーウィン、さらに想い人のデイキンはアーウィンのことが好きかもと言うし、まあ…苦しまないほうが無理では?と。
ただデイキンに好きと発言したのは、大学生が同級生に告白し付きまとった上で自死した、告白された側が本当に可哀想なあの事件を思い出し、良くないと思った。
劇中で同級生は彼の性的マイノリティを特段否定もせず居て、ポズナー自身がその性的嗜好に悩むという図なので色々違うのだが…相手は無敵のデイキンだし…
シーンとして、デイキンとアーウィンが仲良くなり、またアーウィンもデイキンを好きだとポズナーが察し、焦りや不安、葛藤、苦悩等で言わずにはいられなかったのだとは思う。
繊細な人は生きづらいだろう。大学に入っても応えが見つからなかったというポズナーに、分かるよ…と無意味に大学入学し院なんて進んでしまった愚かな私は共感した。高校って、とにかく良い大学に入ることが最良だという思想の所あるけど、まじで良くないと思う。母校は色々晒されています。もっと晒されろ。

物語の結末や、描きたい対比、様々な事情についてちゃんと理解する頭もあるのだが、初見の感想は劇と私の気持ちがズレてしまったになる。手放しでヘクター万歳!になれない。死んでも犯罪者は犯罪者だ。
勿論これは演者誰も悪くないです!!私個人の思想と物語がバトった…みたいな…そういう話で。
むしろ芝居、歌はとても良かった。
しっかり演劇を味わった余波が残っている。

できたら映画版を見て、次の観劇に備え、舞台をもっと味わいたいと思う。
てか映画について調べたらジャンルがコメディで、こ、コメディ!?!?と驚いた。舞台はコメディでは無かったと思います…でも人間として欠落しているので分かりません…どうなんだろう…

・物語の書き出しで触れてこなかったリントット先生のこと
心のままに書こう。
私は彼女が大好きだ。彼女の発言に一番共感した。そして彼女の心からの言葉に対する男子生徒、ヘクター、アーウィンの態度に心底腹が立ち、だがその様すら覚えがあり、虚しさを納得するしかなかった。
彼女だけが、ヘクターの性的悪戯を正面からぶった切った。否定した。
私はリントット先生の時代を生きていないが、彼女を抱きしめたくてたまらなかった。

彼女以外全員男性で、先生どころか生徒まで無意識の底の底、思考の大前提に女性を入れていない。お前らは誰から生まれているんだよとうんざりする。社会が男で構築されているからそうなるのだが、そこで生きる女性はたまったもんじゃないなと強く思う。面接に女性が居る可能性を理解しているか?というリントット先生の言葉。それに続く彼女の言葉に、うるせーめんどくせーと言わんばかりの生徒たちの顔が忘れられない。てめぇら一生女に縋らずに生きろよ!これが良い大学に入り、将来国や会社を動かす人材となることには絶望しますよ。どうせどこも同じなんだから。
現代日本も、ぜーんぜん男に下駄はかせまくりで無意識差別すごいもんね。
正直演技じゃなくてガチだろその顔、と思わないでもない。
全編通して男の物語と感じたのも、やたらと男性同士の恋愛?性的関係?が組み込まれている上、女性が彼らの思考に組み込まれていないからだろう。
年代を考えたら仕方のないことだが…
いつか、現代日本も含め、クソみたいな時代だった、仕方ないで済まされることではないってなったらいいな。なれないと、思うけど。

・終わりに
つらつらと思うままに初観劇感想を書いた。
ヒストリーボーイズ、演劇としては面白い、これは本当。
だからこそこうやって色々考えるのだと思う。

円盤化されないと明言されている本作品。
当日券等あるようなので、この感想内容で何をと思われるかもだが、この分量の感想が抱ける作品なのだということをもって、観られる人は観てほしいと置いておく。
人の感想を聞きたい!

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