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わたしの茶道

 茶道,静謐な空間でお茶を振る舞い,安らぎの場を提供し交流することを目指す道.今回は,筆者の茶道暦を記載していきたいと思う.

中学~高校

 筆者が茶道を始めたのは,中学一年生の時だ.昔から日本の伝統的な文化というものに興味があった.筆者が通っていた学校には,剣道・書道・茶道・華道の4つの日本文化を起源とする部活があった.その中で一番自身の興味を引いたのは,お菓子が食べられる茶道だった.なんとも不純な理由である.(ただ茶道を学生が習い始める理由の多くは,お菓子であるから,強ち不純でもないかもしれない.) 筆者が通っていた学校は,中等教育学校(中学校と高等学校が一つに合わさった学校)であったから,6年間同じ先生に師事していた.部活自体は先生が来られる日,月二回と非常に緩い部活であった.毎年七夕ごろに開催される学祭や,秋頃には市民文化大会があり,それらに合わせて茶会を開く.
 茶会では,点前(正客に一服の抹茶を点てて,道具を飾るまでの一連の動作)や,それ以外であれば半東(点前で使われている道具の説明)や点前だけではお茶を振る舞えないお客様に対するお茶のお運びなどの役割がある.点前と半東は中々ややこしく,特に点前は何回やっても上手くできない.物事には順序があるとよく言うが,茶道において順序とは非常に大切なものである.如何に袂を落とさず,道具を傷つけずに綺麗にみせるか.これらを実現するために順序は非常に大切なものとなる.当然月2回の部活では洗練された動作といったことは二の次で,順序を覚えることが優先であった.茶会の1~2週間前からは先生がいなくても自主練に勤しんでいた.ただ筆者は,人前に出ることがあまり得意ではなく,練習ではできていても本番ここぞというときに限ってポカをやらかすのだ.本番であたふたして一部分の動作を丸ごと忘れたこともあった.自分が頑張ってきていたとしても本番でやらかしてしまうと,お客様側からはやらかしたことしか分からないので,結構へこむ.ただ部活のメンバー・先生には非常に恵まれており,6年間言い仲間に囲まれながら楽しく茶道を習うことができた.茶道と言えば流派というものが存在するが,私が習っていた流派は裏千家の茶道である.裏千家流茶道では,段位のようなものが設けられている.学校の卒業時には,今まで茶道を頑張ってきた証拠として「初級」の段位を取得した.

大学

1年生

 大学でも引き続き裏千家茶道部に入部した.先日の記事にも書いたが,私が入学したのは新型コロナウイルス(Covid-19)が流行し始めた年である.一年生前期は活動すらできず,後期(夏休み)からの活動となった.活動は中高時代からは大幅に増え,週2回となった.また活動内容も中高時代の緩さから一転,かなりハードに.入部した茶道部は80年の歴史を誇っており,地域の茶道界隈では有名な師範を外部顧問として招いていた.それにより礼の所作,歩き方,座り方など全ての細かな所作まで学んでいくことになった.大学から茶道を始める人が多い中,中高6年間で習っていた私は習熟は早かった.しかし,細かな所作を求められたとき今までの癖が邪魔をしてしまい直すのに苦労した.ただ先輩方からは手厚い指導を受けることができ,姿勢の矯正や今まで知らなかった動作の意味を知ることができた.
 1年生の最後には,「お楽しみ茶会」を行った.茶会と言っても,先輩だけを呼び,普通の洋菓子とジュースやお茶を振る舞い,最後に1年生のダンスを披露する,そんなお遊戯会のような会だ.ここで,茶会運営の基礎や段取りの大切さを学ぶ.どうしても不手際が生じるから,それをどうすれば乗り越えられるのか.そういったことを考えることができたから,茶会開催の目的を果たせた良いものであったと思う.

2年生~3年生

 2年生になってからは代の中で係分けを行いながら,執行部として茶会を運営していた.筆者は部内では「道具」係という係についていた.茶道では多くの道具を扱い,練習用であれば別であるが,茶会で使うような道具には,焼物・漆器としての種類・窯元・作成者・形・あしらわれているモチーフなどがある.係として所有している道具のそれら全てを把握した.茶会ではモチーフがあるものは使用できる時期が限定されるし,なるべく様々な種類のお道具を見せるために種類・作成者も被らないように,更に全体として道具を見たときの色のバランスを考えながら道具を決めていた.デザインセンスが問われる….やることが多く,責任も重い係だったから他の係が代ごとに1人しか居ないのに対して2人で係を動かしていたが,2人で決めるにしても中々大変な業務だ.茶会では,部長・会計が茶会の大枠のテーマや予算を組むのに対して,筆者の係は事前の道具決めに加えて,お運びの動き,茶会内での動きの想定,道具の配置,当日はお茶点てのタイミングを見計らうタイムキーパーの役割など,茶会全ての細かいプラン決めをし,当日も人を指揮する立場にあった.茶会以外の通常の部活動でも,練習用道具を清潔に保ちつつ時間を無駄にしないような効率的な管理,お運びを動かす指揮練習などをしていた.他の係も他の係なりの大変さがあったと思うが,正直今でも部長などの他の係よりも道具係が一番キツいと思っている.ただその分,部内では色々と他の係と折衝して融通を利かせてもらうことも多かったし,同期は大変さを理解してくれたから愚痴もこぼさず手伝ってくれた.大学でも非常に良い同期に恵まれたと思う.
 年で開く茶会は,一般公開のものが年2回,部内(身内)のものが年2回の計4回である.部内の茶会は,先に紹介した「お楽しみ茶会」と,新年初めての茶会として開く「初釜」がある.一般公開のものは梅雨時期~初夏の「春季茶会」(もはや春ではない)と晩秋~初冬の「秋季茶会」.毎回友人や他大茶道部,OB・OGを招き,練習の成果を披露する.私達の代は,コロナの影響で一般公開茶会も校内・更に身内(呼んでも友人まで)だけでの茶会が大学3年生の春までの茶会であった.身内だけだからと言っても,クオリティを落とさないように必死に練習を行い,来てくださったお客様からは良い評価を得ることができた.コロナ下での茶会は今まで引き継がれてきた茶道具の扱いを変えることを余儀なくすることも多かった.3年生の秋は部活の80周年記念と表して初めての外部公開茶会を盛大に行うこととなった.周年記念であるから,今までに無いほど非常に多くのお客様にお越し頂いた.外部会場は不慣れなことやハプニングも相次いだが,無事に終わらせることもできた.

4年生

 4年生になると1~3年生秋までの忙しさと打って変わって,就職活動や卒業研究に追われるため,実質幽霊部員,気が向いたときに行くかなといった自由な雰囲気で部活動に参加していた.しかし,茶会の際には最高学年として後輩の運営を見守りつつ,練習にも参加し,何かあれば相談に乗っていた.
 大学の規定により部活動は大学院生はできないから,最後の集大成として「卒業茶会」を行う.これを開催するために,色々と苦労した.普段部で開催する茶会は正装としてスーツを着て参加するが,卒業茶会は集大成という触れ込みであるから着物を着用して行う.当然今まで洋装で練習してきたから,袂や裾の扱いに慣れず苦労した.また,そもそも卒業茶会の開催は3月.卒業研究や就職活動が終わった頃を狙ってのことなのだが,当然それまでに練習を行わねばならない.つまり,1月~2月まで,いわゆる卒業研究の繁忙期に開催準備と練習を行うことになる.予定が合う日があれば這ってでも行くぐらいの覚悟でもって練習していた.
 3月9日,卒業茶会当日だ.朝からヘアセットと着付を行い,注文していた和菓子を回収して会場に向かう.ハプニングが起き,私が会場に到着したのは茶会開催時刻ギリギリだったが何とか間に合った.茶席は7席用意し,各々の点前には家族・友人・先輩後輩を呼んだ.着物で行う最初で最後の茶会,顔見知りしかいない中で行う茶会は,同期間にちょっとした緊張を孕みさせつつ,それでも今までの練習を信じて行うことができた.どの席も盛況で,和やかな時を提供することができたのでは無いかと思う.大学生最後の茶会は,辛いこともあったがとても楽しく終えることができた.

これから

 大学院生になった今部活は引退し,OGとしてしか部活には関わることはない.茶道を習うことも当然無いかと思われるかもしれないが,まだまだ筆者は茶道を学んでいくつもりである.というのも実は筆者は大学2年生の冬から,部活で外部顧問を務めてくれている師範が個人で開いている茶道教室に通っているのだ.茶会運営などに携わることは滅法少なくなったが,点前を行う練習は未だに欠かしていない.茶道は筆者が自分自身と向き合う場として非常に役立っている.今後も人生の趣味として続けていければと思う.

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