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25になって、少しだけ両足で立てたように思う

前回の記事から、およそ1年が経った。

私は25歳になった。

前回のnoteで自分がどんな人間か知らないと書いてから、(自分にとって)様々なことがあったので、ここに記録したい。

▼書籍

・『なにものにもこだわらない』森博嗣著

・『新 「感情の整理」が上手い人 下手な人』和田秀樹著

・『人の気持ちがわかる人、わからない人』和気香子著

・『自分を許す心理学』加藤諦三著

・『「大人になりきれない人」の心理』同上

・『消したくても消せない嫉妬・劣等感を一瞬で消す方法』大嶋信頼著

・『アダルト・チャイルドが自分と向き合う本』アスク・ヒューマン・ケア研修相談センター【編】

・『アダルト・チャイルドが人生を変えていく本』同上

▼資格

・メンタルヘルス・マネジメント検定Ⅲ種

・こころ検定2級(メンタルケア心理士®︎申請級)


…上記が、私が今年10月までにインプット&取得したものである。

ここまで見ると自分でもよくやったなと思う反面、恐らく病んでいたなとも思う。実際どんなものなのかとチャット型ではあるがカウンセリングも受けた。

どんなことが私に起きていたのかというと、とかく自分というものを知覚し自立しようと努めていた、と一言でまとめようとすれば言えるだろう。

他者の評価でしか自身を測ることができず、常に周囲と自身を比較して「もっと」を自分に強いていた。逆に言えば、「なぜこれしかできない?」と常に自身を傷つけていたとも言える。

先のことやいない自分を考えてマイナスの気分でいるのではなく、「今、ここ」にいる自分を見つめ、まず大切にしてやるということをとにかく意識するようになった。自分で自分をカウンセリングしたような状態である(自分で自分をカウンセリングするのが良いかは不明だ。一流の精神科医も定期的に他者にカウンセリングを依頼するらしい)。

しかし結果、1年前に比べて自分を好きだと思えるようになった。

もう少し詳細に言えば、綺麗でいようとする自分が可愛いし、努力する姿勢をまず自分が真っ先に褒めていこうとできるようになった。

もちろん他者軸での「可愛い」と自分軸の「可愛い」は全く違う。私は昨日の私より可愛いことを指して自分を「可愛い」と言う。つまり他者に「可愛くない」と言われたとて、それは他者の価値観・審査軸で言われたものなのであり、自身が考える自分の価値とはなんら関わらないということが分かるようになったということだ。

日々これが無意識的にできるようになるまではきっともう少しかかるだろうし、「もっと」を求める気持ちは変わっていない。しかし自分の中でさらに良い自分を求める「もっと」へと考え方は変わっていると感じている。あとは自身の傷つけ癖に気づいて、ここまでよくやっていると自分を褒めてやることだろう。


これが世間一般でいう「自立」かは分からないが、少し一人で立つことができるようになったとは言っても良いのではないだろうか。

まだまだ思考の練習が必要だとは思うが、この1年は人として少しばかり変われた期間だったと感じている。自分がどんな人間か、ゆっくり向き合っていこうと思う。

私に気づきを与えてくれた方々へ、感謝申し上げたい。


続く?

(※見出しのイラストは"nininice“様よりお借りしています。ありがとうございます)

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