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「ダメだとは解ってる…」ままならない感情について思うこと

"ままならない”
…「思い通りにならない」「自由にならない」

私も含め、皆さん日々こういう感情に出逢うのではないだろうか。

例えば、そろそろ痩せないと…と思っている時。
ダメだと解っているが、マックのLポテとナゲット、それとコーラで最高に背徳的な時間を過ごしたい時があるのではないだろうか。

例えば、寝不足だな…と感じている時。
早く寝たほうが良いと思っているが、今日(正確には日を跨いでいるかもしれないが)を終えたくないという気持ちから、いつの間にか丑三つ時になっている日もあるだろう。

なぜ、自分の心はままならないのか。
強い意志を持てば、こういうことにはならないのか?

例えば、お相手のいる方に好意を寄せてしまった時。
時間の無駄、良くないこと、全て分かっているのに、目で追わずにはいられない。
例えば気持ちが繋がったとして、それが既婚の方だった場合は更に質が悪い。

恐らく全員が分かっている。
ダメだと解っている。

だがここまで書いてきてなんだが、私は「ダメだとは思っている」と言うのをやめた方が良いのではないかと思うのだ。
理由は単純で、当人たちは恐らく本当に悪いと思っていないからである。

いくらカロリーの高いものに罪悪感を覚えると言ったところで、それを感じるのは恐らく食後ではないだろうか。もしくは購入前。
あー、今日も寝るのが遅くなった、そう思うのはスマホの画面を消した後ではないだろうか。

何が言いたいかと言うと、その行為の最中に悪いという気持ちはほとんどないと思うのである。

(事例がひとつ適切でないため念のために断りを入れると、決して不倫を助長するつもりはない)

つまりは、罪悪感を覚え、自らを責めることで結局自分を嫌いになる手伝いをしてしまうことになると考えるのだ。

その時自分が決めたことなのだから、ぜひ覚悟を持ってその時間を楽しむのはどうだろう。
その後自分の体重が幾許か増えようと、仕事の生産性が下がろうと、それも覚悟の上。死んだりはしないのだし。
まぁ…そんな修行僧のような厳しいことを自らに言える人間かと問われれば、私もそうではないのだが。

先のことまで考えずとも、自分が決めたことをきちんと受け入れ、楽しめたら良いと思うのだ。
後から後悔して、自分を嫌いになるかもしれないことであれば、やめておく勇気も必要かもしれない。

決定の尺度は、自分を好きでいられるか。
日々のちょっとのお菓子に目が眩む自分も可愛いさ。
自分の最大の味方は自分なのだから、二人三脚で歩いていきたい。私もそう思う。

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