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与えよ、そのままのあなたで。愛のままに | そう教えてくれた人

職場に、心から敬愛する方がいる。

もう齢62などになるのだろうか、歳を感じさせない溌剌とした笑顔とバイタリティにはいつも頭が下がる。

その方(以下、Tさんと呼びたい)は一般の主婦でかつては私たちの会社のお客さまだったそうだ(私が入社する前のことなので聞いた話だ)。

今は主婦を続けながら、セラピストの資格をとり、私たちのサロンで働く契約社員となってくださっている。

何をもって私がTさんのことを敬愛しているのかというと沢山あるのだが、最終的には彼女の「与える精神」に集約される。

Tさんはいつも人のことを考えていて、私たちが喜ぶようなことをいつも楽しそうに企画してきてくれる。

初めてTさんの自宅にお呼ばれした時は、特に予定を知らされなかったのだが、まずお住まいの近くの観光地を散歩し、ご自宅でお菓子とフルーツに加え、セラピーを受けさせていただくというもてなし具合だった。

あまりにいただいてばかりだった私は少し恐縮してしまい、ある日お菓子を買ってお礼をとお渡したのである。

するとTさんは目をまんまるにし、こう言った。

「ちょっと、いいのこんなお礼なんて…私がしたくてやっただけなの!本当にこういうのは良いから、あなたのまた次の代に今度はあなたがして差し上げて」

「私もかつてこうやって沢山の人から頂いてきたの」

私は面くらい、こんな方がいるのかぁ、純粋にそう思った。

前職では基本的にギブアンドテイク。貰ったものはお返しする、つまり返してほしくば差し上げる。

見返りを前提とした行動ばかり見てきていたし、そうしてきた自分には、そんな彼女が別次元の人のように見えた。




Tさんはいつも感謝の気持ちで溢れている方だった。
セラピーはもちろん、私が遊びに行かせていただいた時も、「こんな時間をくださってありがとう」とずっと言い続けていた。

前世でどんな徳を積んだらそんな人徳を得られるんですか?

少々茶化して彼女に聞いたことがある。

その時もまた、Tさんは目をまんまるにして、その後笑った。

「自分はありのままでしかないけれど、それを必要としてくれる場所があるの。私は私を嫌いな時があったけれど、そう気づいたから、私もそのままで人に与えてみようと思ったのね。失敗もするけれど!」

本当に美しい笑顔だった。




こんなエピソードがある。

仕事の合間、Tさんにお声がけいただき、社員が音浴のようなセラピーを受けさせてもらったことがある。

Tさんは過去音楽をされていた方だったので、好きな楽曲と合わせて楽器を演奏してくださったのだ。

私はそれを聴きながら、涙が止まらなくなってしまったのだ。

小中高の卒業式などでも涙ひとつ流せなかった私が、涙脆い人間だと周囲から思われる程度には泣いてしまった。

なぜか分からないが、その時心に沢山の感動と思いが溢れてきたのだ。

どうしてこの方は、ここまで純粋に人を想えるのだろう?
どうしてこんな風に愛を注げるのだろう?
私はこんなに自分に精一杯で何もできないのに、Tさんはどうして私を好きだと言ってくれるのだろう?
私もありのままで、よいのかなぁ…

そんなことを思いながら、彼女と出会えたことに感謝して涙が溢れた。

私が自分を好きになろうと、受け入れようと思えたきっかけのひとつがその時の出来事となっている。

明日で私は26歳を迎えるが、Tさんは25歳の最後の日を一緒に過ごしてくれた。
この年齢でTさんのような方に会えて本当に幸せだと思う。

私もTさんに頂いたことを忘れずに、周囲の方、次の代の方へ与える人へと成長していきたい。

最後に、あの時彼女が演奏してくれた曲名は『愛に還る』だったことを思い出したので書き残しておく。
なんだか彼女らしいな、と綻んでしまった帰り道だった。

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