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サークル・オブ・ライフ_7 森の番人フォレスター

 山が主なフィールドになる日本のフォレスター。しかし自身の持ち山はない。区の山であれば作業も自由が効くが個人の山となればそうはいかない。これは黒滝に限ったことではないが、過去に多くの山の土地が切り売りされていった。山木は投資の対象で、増える資産とみなされていた。国も積極的にキャンペーンを進めたりしていた。多くの人が夢を見て山を買った。だが外国の木にパワー負けして国産木の価格は下落の一途を辿り、山を買った次世代、さらにその次世代まで来ると、資産か負債かわからなくなってしまった山を放置、間伐がなされないままの木々が残された。フォレスターはそんな山々の管理を森林組合と協力しながら推し進めているので、本来多忙を極めている筈なのだが、彼・彼女らから忙しさは微塵も感じられない(人による)。長期的な目で木を見つめ、木との対話を通して仕事をしているからだと言う。

 昨今、スイスからフォレスターが吉野に派遣され精力的に森づくりを説いてくれている。日本人の特性の一つとして、同じ意見でも内側の意見は聞きたくないけれど外側の意見はありがたくアクティブリスニングし、さも初耳かの様に同じ意見を前から解いてきた内側の人に教えるというサイクルが永らく続いており、それは今回も例外ではない。

 それはともかく、吉野の杉桧(すぎ・ひのき)はブランド品とも呼べる品だが、これは過去の人々の努力の賜物である。元々、多種多様な木々が生息していた場所をひたすら植え替えて行った“おかげ”なのだ。おかげでもたらされたのは林業投資や美しく心地の良い木造建築の数々、工芸品の産出などである。

 時は流れて今世紀。外国産の木材に圧倒され、手入れされていない杉山は鬱蒼として久しい。しかも最近になって遂に数十年前に祖父らが植えた木が伐採適齢期を迎えまくっている。ただ孫らは木に無関心であり気にする素振りもない。困ったのが森林組合で、放っておけば土砂崩れ、倒木の問題もあり、杉花粉もバンバン飛散する。持ち山をどうにかしておくれと孫世代の持ち主に連絡を取ると、組合の悩みは孫たちにも伝染し、悩みは拡がっていく。ここの問題についてはまた別の話で触れるとして……。

 杉桧による単一性の高い森林から、元の多様な森林に戻していこうという動きを担うのが、その道のエキスパート、フォレスターなのである。現在、日本人フォレスターを増やしていこうという試みが盛んな上、都市部の若者で林業に興味のある者が次々に移住している。こうやって過去の人間がしたことを未来の人間が補完するのは果たして地球の大いなる意思によるものかどうかはわからないが、良いことではあると思う。

 次回はファンドレイザーとしての視点から黒滝の山木を診ていきたい。

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