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『人間らしさ』とは何か?

『人間らしさ』とは何でしょうか?私たちは、自分たちが人間であるという自覚を持っていますが、それはどのように定義されるのでしょうか?人間とは、どのような性質や行動を持つ存在なのでしょうか?

人間の性質には大きく分けて二つあると考えています。それは、『クリオジタス』と『グピディタス』という造語で表現できると思います。それぞれの意味は以下のようになります。
・『クリオジタス』は、ラテン語で「創造的」を意味します。『クリオジタス』とは、希望を抱いて邁進する人間です。
・『グピディタス』は、ラテン語で「貪欲な人間」を意味します。『グピディタス』とは、強欲を貪り続ける人間です。
この二つの性質が、いわゆる人間の本質を表すと考えています。もちろん、善悪併せ持つのが人間であり、多くの人はその間を揺蕩(たゆた)っている存在と考えられます。しかし、人間は状況に応じて創造的にも貪欲にもなり、どちらかの性質が優勢になることで、人間らしさが決まると考えています。つまり、人間は『クリオジタス』か『グピディタス』かのどちらでもありうる、ただし、人や状況によって偏りがあるということです。

さて、『クリオジタス』と『グピディタス』の間には、どのような相互作用があるのでしょうか?私は、以下のように考えています。
・どちらも協力します。ただし動機が異なります。『クリオジタス』は目標に向かって得意を活かし苦手を補い合います。『グピディタス』は相手を利用し漁夫の利を得ようと企んでいます。
・どちらも競争します。しかし競争の方法が異なります。『クリオジタス』はフェアな競争を好み、自分の能力や努力で勝負します。『グピディタス』は不正な競争を好み、相手をいかに出し抜くかを考えます。
・基本的に『クリオジタス』は『グピディタス』に無関心なことが多いです。『クリオジタス』は自分の目標に集中しており、『グピディタス』の存在に気づかないことが多いです。しかし『グピディタス』は『クリオジタス』に嫉妬や恨みを持っている場合が多く、『グピディタス』は『クリオジタス』の足を引っ張って利益を得たり満足感を味わったりする傾向が強いです。

このように『クリオジタス』と『グピディタス』は、人間の性質や行動の二極として、混沌とした世界を作り出しています。この二つの性質の割合は、時代や地域によって異なると考えています。例えば(あくまでも一例です)、
・古代ギリシャやルネサンス期のヨーロッパでは、『クリオジタス』が多く存在できる環境が整い、芸術や科学や哲学などの分野で多くの成果を残しました。
・中世ヨーロッパや現代の一部の国では、『グピディタス』が多く存在し、戦争や搾取や暴力などの問題を引き起こしました。
私は『クリオジタス』と『グピディタス』の割合は、人間の歴史や文化や社会に大きな影響を与えていると考えています。

人間らしさの本質は、『クリオジタス』であると信じたいのです。『クリオジタス』は、人間が持つ創造性や希望や協力性などの美しい側面を表していて、人間が新しい価値や意味を生み出し、世界をより良くする力を持っていることを示しています。しかし、人間らしさの本質は『グピディタス』であると危惧してもいます。『グピディタス』は、人間が持つ欲望や利己性や暴力性などの醜い側面を表していて、人間が自分の利益のために他者や自然を破壊する危険性を持っていることを示しています。

ここまで思考想像してみて、人間はどのようにして『クリオジタス』に傾くことができるのかと思わずにはいられません。それには以下のような方法があると考えています。
・創造性を発揮する:私たちは、自分の頭で考え、新しいアイデアや作品を生み出すことができます。それに自分の感性や知性や想像力を使って、世界に価値や意味を与えることもできます。自分の才能や情熱や目的を見つけて、それに向かって夢中になれるのです。
・希望を持つ:私たちは、自分の未来や世界の未来に対して、良いことが起こると信じることができますし、自分の夢や目標に対して達成すると確信することもできます。それに自分の可能性や能力に対して、高い自信を持つことができます。
・協力する:私たちは、自分だけでなく、他者や社会や自然とも関わることができます。また、自分の利益だけでなく、他者や社会や自然の利益も考えることができます。自分の力だけでなく、他者や社会や自然の力も借りることができるのです。

これらの方法を実践することで『クリオジタス』に傾くことができると考えています。
かくして世界は……。

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