心の中の落とし穴
ひまわり組のお友だちが砂場に集まり、こちらを見て何やら楽しそうに笑っている。ひとりぼっちのわたしは少し距離を置いたところにしゃがみこみ、地面に絵を描くふりをしながら、周りの会話に耳をすます。
「落とし穴を作って、はっちゃんのこと、はめようよ」
どうやら、わたしのために落とし穴を掘ってくれているらしい。
5人がかりで膝が埋まるほどの穴を掘ったと思ったら、蓋をせずに掘り起こした砂をぜんぶ穴にかけている。わたしはその様子を(それじゃあ、ただ穴を掘って埋めてるだけなのに……)と思いながらチラチラ様子を伺った。
ほどなくして歓声が上がり、
「はっちゃん、ちょっとこっち来て!ここ歩いてみて!」
と言われた。今思うと落とし穴への誘導にしてはあまりにも素直で笑ってしまう。
そこはただ砂を掘って埋めただけだと知っていたわたしは、堂々と指示された場所を歩く。
「あれ〜おかしいな〜」
「なんでだろう〜」
「ここなのにな〜」
これで今日もわたしの任務は完了だ。
4歳の頃の話なのに、にたにたと笑うお友だちの顔や、砂まみれの手、一部分だけ少しへこんだ砂場を今でも鮮明に覚えている。
幼稚園という生まれて初めての社会において、わたしに与えられた役割はいじわる遊びのターゲットだった。他のポジションを知らないわたしは、当たり前に受け入れることしかできなかった。小学校に上がってだんだんと疑問を持つようになったけど、それでも2年生が終わるまで、同じような日々が続いた。
あの日、彼女たちが砂場に掘った落とし穴は失敗に終わったけれど、わたしの心にはしっかりと穴をあけていた。
穴のあいた心が傷つかないように、必死で自分を守りながら過ごした。そんな幼少期についた癖は、今も心の穴と一緒に残っている。
弱さを見せるのが苦手で、強いふりや鈍感なふり、バカなふり、賢いふりをし、ときには偽りの弱さを見せてまで穴のあいた心を守る。
人前で泣かないと決めていたせいで、涙腺が強くなってしまい、卒業式で泣いたことがない。
なんでこの子はいじわるするんだろうとずっと考えていたから、飲み会ではこの人はどんな人だろうと、ぼーっと人間観察をしてしまう。
いろんな癖が染みついていった。
さらに成長するにつれ、頭の中で頻繁に起きるようになったことがある。
それは、何かに負けそうなとき、もうだめだと辛くなったとき、誰も味方がいないと思ったときに、幼き日のわたしがわたしの前に現れること。
ボロボロになったわたしの前にはいつも、友だちの前で泣くのを我慢して、一人で泣きながら歩く幼いわたしが現れる。小さな心にあいた穴は、今より何倍も大きく見える。
そんな幼き日の自分が顔を出すたびにわたしは、
「大丈夫、大丈夫だよ。よく頑張ったね。あなたのことはわたしが絶対に幸せにしてあげるからね」
心の中でそう言って小さな頭を撫でる。彼女の姿に何度救われたかわからない。いつも、こうしちゃいられないと前に進ませてくれる。そこに他の誰の言葉もいらない。
わたしはあの頃を人生のどん底と勝手に決めている。だからあの頃に比べたらへっちゃらなことしか起こらない。しかもどん底のわたしがいつだって未来のわたしを支えてくれる。幼き日のわたしに、わたしは感謝しかない。
「いつもありがとう。ずっと幸せを更新していくよ」
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