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雨がしとしと。

今から、30年前になるだろうか。
仕事で 客先を訪ねた時のこと。
90歳を越えての、女性の独り暮らし。
行けば、必ず、戦時下での中国東北部での
ご主人との暮らしぶりを、語って聞かせる。
子どももなく、連れ合いだけを頼りの
異国の暮らしのこと。
日本に帰ってから、小さなこ向けの商売を
営んだこと。
独りになった、その後の人生のこと。
うんうんと うなずくだけの時間だが

楽しかった。
それが、
だんだん、身体が弱り、表に
出かけられなくなった。

その日は、雨。
しとしと、トタン屋根をたたく雨音だけが
部屋を満たす。
手続きが済んで、去りがたく
ふすま一枚隔てて、少しだけ、話す。
ふすま越しでの、かすかな息づかい。

ろうそくの火のような、いのち。
その後、施設に入られ
それが彼女との最後の時間になった。

雨の季節になると、この日のことが
よみがえる。
担当者にメールで知らせると、返信がきた。
「手続きができて、よかったです。」
の後、「雨音のなかの静けさが、美しく感じられる」
との個人メール。


「いのちの灯瞬(またた)く時の愛しさよ しとしと落ちたる雨粒のごと」

「では、これで」のみこむ言葉あてどなく駆けおりて見ゆ煙る街灯

「歩道橋テールランプの洪水よひたすらにきみ思ひし夕に」




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