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一択だから手法は無限

なにか選択するときの軸は一択で、
わたしは人間でありたい。
相手が大企業でも、私の心を無視された状態でも、相手どうこうではなく私はただの人間でありたいねん
その為の手法は無限にあると思う

わたしが人間であるために、ロボットみたいな選択が有効な時はロボットを愉しむ
自分で選んだ選択は、そのときの自分にとって正しい

混乱してる間に巻き込まれたら、後から軌道修正する 

やめる、とか、やっぱりこうする、とか言ってもいいし、

そこまでは言わず、ただ素直な気持ちをとりあえず述べてみるのも有効 それだけで自然と軌道修正されることも多い

自分で出来ないときは人に頼る


でも、全部が全部、全員に正直に伝えなくて良いことにしてる

自分の中で舵を切れたら、気持ち良さはすぐ戻ってくる


自分が気持ち良い一手を打つ。の一択なので、
気持ち悪い一手を打ってしまったときは、「気持ち悪いわ。ごめんね。でも、お陰でわかった」と実感する。それでも気持ち悪かったら、自分のために打ち直す。

物事の進行が、人間同士、双方向の一手一手の積み重ねであるなら、
結果は余興なのでね、
そうこうしてる内に「思いの外」の面白味が出てきたりして、どちらにせよ愉しい

逆に、気持ち悪い一手を打たれた時、

「あんな奴、二度と会わないから」という理由で、社会的正論の尻馬に乗って物申していると、それが癖になり普通になるので、

相手がなんであれ、わたしは気持ち良い一手を返す

「あんな奴」は二度と会わないかもしれないけど、
あんな奴に対しての自分を、自分はずっと見てるから
「自分」は生涯付き合う人やねんで٩( ᐛ )و

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