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天地人

こんばんは。2021年6月21日夏至。

陽極まりて陰に転ず

万象学は王暦であって途方もない年月の天地人の運命を記し理論にまとめ上げた学問です。天、つまり太陽が昇り陽に転する冬至が一年の始まりで本日は折り返し地点です。

昨年末2020年12月21日冬至。風の時代に入ったと西洋占星術で言われていた時です。西洋でも東洋でも同じ天体を観ているので当たり前ではありますね。そこからちょうど半年、混沌とした世界で人の間をみて時空での事象を感じて理解し答え合わせと整理整頓、再出発の時です。

今朝方、ドキュメンタリー映画を。
『I AM/アイ・アム ~世界を変える力~ (字幕版)』作品に魂があるようで2回も観ました笑 よかった。

私が東洋の陰陽五行をセラピーに使い始めたのはちょうど4年前。心理学や人体の生理学、脳科学、情動反応などをセラピストという仕事柄データを取っていた時です。

ある日突然、数億の負債がある事業の再生役に任命され、新たな多額の投資を受けて事業を引き継ぎ社長になることが決定しました。当日、30歳。勢いで引き受けましたが、あまりに無知で。今考えると恐ろしい💦

よくわからない不安を抱えながら、やるしかないという状況は人に不思議な能力を開花させます。その頃から以前よりあった共感覚や直感やいわゆる鋭敏すぎる感覚で観ていたものには大きな法則があり、それは変えられない気質のようなものがあるのではないか?と別の頭で考えながら事業を進めていました。〝顔立ちを変える、人生が変わる〟ビジョンを掲げ、テーマに沿ったコンテンツ(1年間グリム童話の初版を参考に美醜と心、母娘の関係と男)をデジタルサイネージを特注で造り心理美容の臨床的実験を行いました。繰り返しますが今考えると恐ろしい💧でも、大運天中殺という幸運も不運も波瀾万丈になり得る、自分の運の枠外に出てしまう宿命(20年)に入ったとわかっていたら当時、状況の捉え方は違ったかもしれません。

今夜、なぜこんな話をしたくなったのかな。きっと極に至ったから棚卸しな気がします。文章は、ことばは恐ろしいです。人は意識にぼんやりと浮かんでいることが、描いて音になってしまったらその響きを頭で反芻してしまいます。だから、何も書かない、言わない、残さないに越したことはないです。ですが、厄介なことにその思考実験してきた経験的観測の気質でみても暦学でみても何でみても集への伝達によって世の中の役に立つように生まれいるようなのです。もちろん平気ではないです。皆さんと同じように、いやもっとビビりですし体裁が気になる。それでも浮かんだもの、体感したもの、発信すべきものをそのままありのままにお伝えすることをお役目だと理解してこうしています。

運命は軍をしんにょうで移動させると書きます。

算命学では運の総量があり、兄弟、夫婦、家族や組織でも闘いなわけです。(例えば、有名人が一人大きくLv.200ほど人生を光らせると家族の中の誰かが身弱でLv.20しかないとあればその方に不運がまとまって降りかかると考えられています。)つまり、大きく人生を好転させる時、世界の秩序に変化が生じその摩擦をどこかの誰かが吸収するということです。歴史的にそういう不平等さはずっとあり、算命学は王様や参謀のための帝王学なのでそういうことを理解した上で天地人を繋げる。よく導き陽の光の優しさで照らしていくために使うべきものなのです。

では、どうしたらいいでしょう?

これは一例ですが、私も小さい頃から両親とは運がシーソーしてしまうことがよくありました。子供ながらに家族と違う運命なのだと察知していました。その後、家族とは苗字を別にし、同居をしない選択をしまた、自分がやるべきことの為に家族から影響を受けず、わたしが陽転することで彼らに不幸がこれ以上起こらないように関わりを断つ覚悟をしました。二度と会わず遠くから幸せを祈ろうとしていました。。。最近のことです。

ですが、甥っ子が私と同じ星に生まれていることがわかり考えを改めました。結果は死ぬまでわかりませんが、きっとつかず離れずでいい距離感で一族みな向上させる道がある気がするんです。いまはできる限り精一杯やって白黒つけない第3の選択肢を模索しています。幼い頃に抱いた、死んだら無だ。と霊を感じても尚、死後の世界になんの意味があるかと絶望を抱いていた頃を懐かしく思い返しています。きっと血縁だけでなく、袖の触れ合っただけの人とも愛だけではなくせめて慈悲があれば闘わずにいられる気がする。数多の先祖が負った傷があるならば癒し、ただ生を楽しみ、徳を次の世代へ送り平和を創造することができる気がするんです。

ジャッジしない

昨年の春に急に空から飛び込んできた声がいま、肚に落ちてきています。

すべての運命はその者の時間と空間の命で成り立っています。それならば2019年冬至に感激し書評した『時間は存在しない_著カルロロヴェッリ』のように自然から分けられた自分の魂と続いていくこの世界に起こりうることをすべての境界を設けなければいいのではないか?と感じています。

すべては繋がって繋がっていない

神さまも仏さまも あなたもわたしも

この世界も 過去も 未来も 現在さえも

すべてはあるようでない

ただのゲームで バーチャルだとしても

心のある触れ合いは 気持ちがいい 

氣がいい

人の間でいるなら信じられる気がします

2020年元旦 おみくじで教えていただきました。「ただ此世かぎりの生命ではない。幾千万の末までつづく魂の世界がある。」

海も 空も いっしょにいられます


おやすみなさい。

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