近所の野良猫に「猫と仲良くなる方法」を試してみた

近所でよく会う老猫は、寄ってくるのだが、常に一定の距離を空けている。

私は猫と打ち解けるという方法を実践する事にした。
その方法は「猫に臀部(尻)を向ける」という至ってシンプルなものであった。

私は相撲の構えの様な体制で臀部を向けた。
その際、高い声で優しく喋り掛ける事も重要であり、私は怖くない存在であるという旨を猫に伝えた。

そこまで行った後に猫の方を確認すると、呆然としたおじさんが立っていた。
猫の姿などとうに無い。
その刹那、江戸時代に橋の下から生尻を出して現れ通行人を驚かせていた者が、反射的に武士に斬られたという記述が頭を過った。
まさか廃刀令に感謝する日が来ようとは思いもよらなかった。

夕陽の余韻が残る薄暗い空は、辺りの景色をうっすらと朱色に染め、風が草木を揺らす音だけが響いた。
その空の下、おじさんは初対面の臀部に「怖くないよ」と囁かれている。
怖く無い訳があるまい。

意図せぬ臀部の怪異との遭遇におじさんは言葉を失っている。
怪異と合間見える運命ならば、せめて臀部以外の形状の怪異であって欲しい事だろう。
万が一襲われれば、尻状の何かにやられたと己の歴史の最期に刻む事となってしまう。
しかも私は柄物の衣服を身に纏っていた為、この怪異は毒も含んでいそうである。
おじさんと臀部は両者共に引かず、緊迫した空気が漂った。

私は「ボールが見つからないなあ」などと呟き、苦し紛れにボールを探すふりをした。
尻子玉でも落としたのだろうか。
言葉を発した後、臀部の妖怪が落とす物などそれくらいである事に気が付いた。
おそらく天敵は河童だろう。
臀部の妖怪というだけでも身に余るというのに、その上「尻子玉を失った」という悲惨な肩書きまで、己に課してしまった。

これまでか…と観念し、私は姿勢を正した。
日が沈むと呪いが解け人間に戻るシステムだと思われたかもしれない。
あまりの気まずさに私の尻子玉は今にも弾け飛びそうである。

私はこれ以上不審者だと思われぬよう、おじさんに臀部の化身となっていた理由を正直に話した。
おじさんもどうやら同じ猫と仲良くなりたいようで、その方法で効果があったのかと訊いてきた。
検証の結果、気がつけば猫ではなくおじさんが佇んでいた旨を話した。
我々の間に再び気まずい空気が漂った。

おじさんが猫缶を開けると、茂みから先ほどの猫が再び姿を現した。
近くにいたなら早めに出てきて欲しかった。
猫は私と目が合うと何とも言えぬ表情をした。その目は、朝の誰もいない教室でヒゲダンスをしていた私を目撃してしまった担任の目に似ていた。

奇怪な出会いであったが、これをきっかけによく話すようになり、猫よりも先におじさんと打ち解けていった。
臀部の効果は猫ではなく、おじさんに発揮されたようであった。

後に近所の人の話を聞くと、このおじさんは「人間よりも猫が好きで、よく地域の猫達の世話をしてくれている人」らしい。
おじさんが私と仲良くしてくれている事を考えると、私は妖怪の類いとして受け止められているのではないかと心配になった。

いつか、猫は私に慣れてその身を擦り寄せてくれるだろうか……淡い期待を抱きつつ家に帰ると、その猫が何故かうちの車のタイヤに尻を撫で付けていた。
臀部を掲げた効果だろうか。
距離は少し縮まるが、肛門を撫で付けられるという副作用もあるのだろうか。
猫はこちらを見つめたまま勤しみ、その動作は止まる事がなかった。
存分に擦り付けるが良い。

そんな猫も、ある日からおじさんと一緒に暮らす事となった。
おじさんと散歩をし、いつもの場所で、おじさんの膝の上に乗り目を細めている。

外で生活できなくなった猫達は、最後はこの優しいおじさんの側で生涯を終える。

人が苦手なこのおじさんは、近所の人々と猫達に好かれている。


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