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後悔程度じゃ、人は変われない。だからスキルを身につけた。

3.11が起こった、11年前。

2011年は、私の祖母が亡くなった年です。

私が鍼灸学校に入学したのは、

その翌年2012年の4月のことでした。

私が鍼灸師を目指した理由は、いくつもあります。

物語り的には、一つの決定的な理由があったほうがドラマチックですが、


実際は入り組んだ複数の糸がからみあい、

鍼灸師というところに「落ち着いた」感じ。



高校から大学に進むときも、就職して社会人になるときも、

自分の進路というものを決めなくてはなりませんが、



人間の中身は、10代くらいからたいして成長しません。



高校から大学、大学から就職・・・

つどつど、いろんな動機や、消去法で、

自分で進路を決めてきたものですが、

鍼灸師も消去法と言えば消去法。

というのも、

この世にあるすべての仕事を知っているはずもなく、

知ってる狭い範囲で、自分に合いそうなもの…

と思って決めたのです。



でも、そこで、高校、大学時代と、一つだけ違ったのは、

冒頭の、祖母の死でした。

私も、しょうもない、

身勝手で愚かな人間なので、

若いころは、

「人に尽くさなきゃならない仕事は嫌だ」

と思っていました。



当時、進路を決めるにあたって、

「看護師がいいよ」「教員が安定している」

と周囲からやいのやいの、言われたのですが、

その時の断り文句が、

「人に尽くさなきゃいけないような仕事は絶対嫌だ!」

でした。



長女として生まれ、それまでの半生、親の愚痴を聞いたり、フォローしたりということも多少やってきたので、

社会に出てからは、

自分自身のために生きたい!
自分を大切にしたい!

という気持ちだったのです。

「聖職者」と呼ばれるような仕事は、

まっぴらごめんでした。



私より上の世代、とくに親世代以上の女性となれば、

他人に尽くしているうちに、自分の人生というものがすっかり無くなってしまった人が少なくありませんでしたから、

彼女らを反面教師としていたのです。



そして、その反面教師の最たる例が、

大正生まれの祖母だと、

私は思っていました。



祖母は、おとなしく、

自己主張というものを

一切しない人だったからです。



その祖母と、高校生に入ってから、同居するようになりました。



離婚してシングルマザーになった母の代わりに、子ども四人の食事の支度を

請け負ってくれていた祖母。



その祖母に、私は孝行というものを、まったくといっていいほどしませんでした。

とくに大きな病気はなく、自宅で静かに年老いていった祖母。

最晩年に一度だけ1か月ほど入院したことがありました。



入院直前に、看護師さんから、

「おばあさんは徘徊されたりしますか?」

と確認されて、

「しません」と答えました。

その晩、祖母は夜中に病院のベッドを抜け出し、転倒しました。



翌日、

「徘徊するじゃありませんか」

と叱られ、私ははじめて、祖母の徘徊を知りました。

たしかに夜中に祖母が起きだしていたことがありましたが、私はてっきりお手洗いにたっていたものと思っていたのです。



私だけでなく、私の家族全員がそう思っていて、夜中に階段の下から、

「みほちゃーん、いるかねぇ?」

と声をかけられるのを、うっとうしく感じていました。

それが、徘徊というのだと、思っていませんでした。



そして、理解したと同時に、限りない寂しさが、心にあふれ出てきたのです。

自分はなんて祖母に冷たかったのだろう!と。


思い出すのも辛いことがもう一つあります。



本当に自己主張というものをまったくといってしなかった祖母が、

「背中が痛いから、さすってほしい」

といってきたことがたった数回ありました。

私は、何もしてあげませんでした。


そのことを思い出すと、痛切に心が痛むのです。



今と違い、何の技術もなかった、当時高校生の私でしたが、背中をさするくらいできただろうに!と、思い出すたびに後悔が噴き出します。



この後悔が、かつて「尽くし系の仕事はイヤ」と言っていた私が、医療系の職業を選ぶ理由になりました。


私は元公務員ですが、普通の公務員には、とくにこれという技能は身につきません。

私は、何でもいいので、

「人の役に立つ技能」を身につけたかった。



もう祖母はいませんが、今度、人に何かしてやりたいと思ったときに、その場でなにかできることがあったらいいと思ったからです。



祖母のことで、後悔しているし、反省もしていますが、かといって、

自分の精神成長はあいかわらず10歳程度だと思います。

後悔程度では、人は成長しません。



大事なことなので、もう一回書きますが、

「後悔程度では、人は成長しません」

でも、心は10歳レベルでも、身に付いた技能があれば、幼稚なままの私であっても、「習い性」で動けるだろう、自分なりにそう考えて、鍼灸師になることにしたのです。


大事なことなので、三回書きます。

人間は、後悔程度では、変われません。



私たち凡夫には、自分を立派な大人に変えるほどの後悔はできないので、自分の理性で生きる方向を変える必要があるのです。


後悔は、何歳になっても、終わりがありません。

私が祖母の年齢に近づくにつれ、自分がしたことが一層許せなくなってくると思います。

祖母への後悔は、私の祖母だから後悔しているんじゃなくて、「生物」というものの本質的な哀しさ、寂しさへのシンパシーだから。


鍼灸師として身につけたスキルは、私が自分の後悔を軽くする手段なのです。



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