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持っているものを使えない。いらないものでも捨てられない。心の傷。

昔々、結構大きくなるまで、

いや、大人になった今にいたっても、

私はいらないものを、なかなか捨てられませんでした。


その背後に、どんな痛み、傷があるか。

悟ったのは昨日でした。

お金に対するブロックをはずす、

というセミナーに参加したんです。

そこで、お金にまつわる、さまざまな

過去のできごと、記憶、思い出を書き出しました。


ある年のクリスマス。

祖父母とデパートに行って、

弟と二人、プレゼントを買ってもらえることになりました。

私は、あるゲーム機が良いなと思ったんですが、それは8000円。

当時としては、かなり高いものでした(40年前の話ですから)


それを買うとき、だいぶ渋られたんです。

ま、それ単体では、普通、記憶にも残らないはずの出来事です。


でも、祖父母とお金にまつわる思い出は、もう一つありました。

私は当時絵が好きで、ある年、

幼稚園の「おかあさんの絵」コンクールで銅賞をもらったんです。


私は絵が好きだから、

評価されて嬉しかったし、

家族も自分同様、喜んでもらえるものと、思っていました。


銅賞の副賞が、絵具のセットでした。

絵具、です。


祖父母が私に与えてくれたのは、

チラシの裏紙でした。


新聞のチラシが入るたびに、

裏が白いものを

集めててくれたんです。


私は当時も、いや、昨日まで

それをありがたいことだと信じていました。


感謝していたはずでしたし、祖父母の愛情を示す、

良い思い出だったはずでした。

なんであれ、私のためにしてくれたことを

喜ばないのは、悪いことだと。


でも、どうやら、

「感謝は素晴らしいことだ」

とばかり言っていられないようなのです。


私のお金のブロック。

特に、受け取れない相手が、

「高齢の顧客」


私の祖父母はお金がない人たちではありませんでした。

私の顧客も、同様で、

どちらかというと、私よりずっとお金持ちです。


そう分かっているのに、私は高齢のクライアントには、特別安価にサービスしてしまうのです。

そうしてくれと、依頼された覚えもないのに。


「高齢者はお金を持っていても、使いたがらない」

私には、どうやら、そういう「強い思い込み」があったらしいのです。


さらに。


私は、高齢者のクライアントから、

正当な対価をいただけないだけでなく、

こんな風にも感じていたらしいのです。


「私の絵は、祖父母に画材を与えてもらえるほどの価値がない」

「私の仕事も、報酬をもらえるほど、価値がない」

という思い込みです。


私は絵が好きでした。

でも、同時に、「私の描く絵には価値がない」

その証拠に、「画材を買い与えてもらえない」

私の絵は、家族から応援されない、と感じていたらしいのです。


そして、小遣いから画材を買っても、

その買った画材を使って、

絵を描くことができなくなっていました。


だから、画材はたまる一方。

画材にも消費期限はありますが(紙が水を吸ってヘロヘロになったり)

なのに、古くなった画材を、もったいなくて捨てられないのです。


そして、いつしか私は、

絵が描けなくなり、

描けないのに、画材を捨てられなくなりました。


自分の絵に自信がないので、

学校に美術部があったのに

入部する勇気すら、ありませんでした。

的外れにも、ブラスバンド部に入ったりして。


一体何をやってるのでしょうか?

現時点では、からくりが分かっていると思いますが、

当時の自分は、支離滅裂な自分の行動が、分かっていませんでした。


絵が好き、なのに描けない…

そんな自分がなんだか嫌いにもなりました。

苦しい苦しい、青春期だったなと思います。


お金へのマインドブロックを取り除くためのセッションで、

私は、蓋をしてきた自分の傷と向かい合いました。


一見して、お金と絵は関係なさそうですし、

物を捨てられない断捨離の問題も別問題に見えますが、

根っこは一つ。


自分の体験です。


あなたにも、私のような傷はありませんか?

「感謝しなきゃ」という思いが強くて、

自分の傷を見つめられないのではありませんか?


傷は、苦しいです。

放っておくことで、傷が消えたらいいんですが、

消えないようです。


これがこじれてしまうと、

祖父母は悪くない、間違ってないと
考えたいがために、

祖父母と同じことを、
自分の子どもにしてしまうかもしれません。

(まぁ、私は、子どもいないんですけどね)

傷を、傷だと認めることは、
祖父母を否定することになりそうで、

なかなか認められませんでした。

でも、その傷を、見つめることからしか、
傷を癒すことは、始まりません。


きつくても。

傷を、見つめてください。

そこから、癒しが始まります。

傷を暴くことからしか、
私たちは、始められない。



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