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会えない世界だから。思い出のねむの木の便箋をつくりました。 (2020.2.6 追記)



魔法みたいなねむの木と、出会い、別れ

夏休みで祖父母の家に行った時のこと。空き地で見つけた夢みたいにきれいな木。それがねむの木でした。

祖父母の家は山を背にして開かれた団地にあり、長い階段をずーっと登っていきます。木漏れ日のトンネルの中、息を切らしながら階段を登りきった先の空き地に、ねむの木がありました。

糸のように繊細なピンクの花をいちめんに咲かせていて、足元は、零れ落ちた花びらでできた絨毯が敷かれていました。

あざやかで、でも優しさも感じる色合いの光景。まるで魔法がかけられた姿のようで、どきどきしながらみとれたのを今も覚えています。

残念なことに、そのねむの木は駐車場を作るために切られて無くなってしまい、幻のような思い出となりました。


ねむの木と再会

時は10年ほど経ち、昨年の夏。引っ越した先の街で、ねむの木との再会を果たしました!

最寄の駅のロータリーに、見上げるほど立派なねむの木が植わっていて、見事な花を咲かせていたのです。駅まで歩いていって、あの美しいピンクがぱっと目に入ったときは感動しました。子どもの頃の記憶が蘇るとともに、「あ、私って植物にこんなに感動できるんだ...!」と、心惹かれるものを見つけた時の感動も同時に訪れました。

ねむの木との再会がきっかけで、すきなものに心がうきうきする感覚が蘇りました。近年うまくいかないこと続きで疲れ、萎れていた「つくりたい」という気持ちがむくむくと湧いてきました。

余談ですが、夢中でねむの木の写真を撮っていたら、休憩中のタクシー運転手のおじちゃんに声をかけられました。「これって花なのかい?」「なんて名前なんだい?」「ねむの木っていうんですよ!」みんなで木を見上げてのんびりしました。

道端で花や鳥の写真を撮っていると、すれ違う人が表情を緩めてくれるような気がします。「おや」というお顔で私が撮っている先を眺めたり。自然と触れ合うと、人は力が抜けるのかもしれませんね。


会えないから、便箋にしよう

思い出のねむの木を絵に描きたい、それでなにかつくりたい、と考えて...これだと思ったのは便箋でした。

コロナ渦で、会えない世界になったから。

今、祖母は単身老人ホームに入っているのですが、コロナ渦で直接の面会は禁止になってしまいました。耳が遠く電話も難しいため、ここ1年で、定期的に手紙を書くという習慣がつきました。

そしたら、手紙を書くって、とても楽しいんですね。いろんな柄の便箋を選ぶのもうきうきします!スマホですぐ連絡がつくことに慣れ切って筆不精になっていましたが、手紙を書いて出す、という行為が思いがけないほど日々の癒しになりました。

それで、自分で描いたねむの木の絵をデザインした便箋をつくりました。手紙を開いた人が、ねむの木の花に癒されますように!


これからは、「便箋に添えられた花の絵に心がほっこりする」ような、そんなものをつくっていきたいと思っています。

noteのストアページにminneを連携させましたので、そちらのギャラリーも見てもらえたらとてもうれしいです!

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2020.2.6 追記

作品写真を更新しました。写真の撮り方=伝え方。とっても難しく奥深いですね。撮影も、ちょっとずつ練習中です。


また、インスタグラムもはじめました。こちらもよろしくお願いいたします!


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