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寂しさはネガティブかポジティブか?

寂しいと言うと今はなんかネガティブな捉え方をされていることが多いんじゃないかなって思います。

なんか寂しい=辛い、寂しい=悲しいというイメージです。

寂しさとは、について考えてみました。

寂しいの語源

そもそも寂しいってどういう意味なんでしょうか。
寂しいとは、街中に人気がないという空間的なさびしさ、淋しいとは身体的にとか体感的なさびしさという意味合いがあります。

寂しいというのは、そもそも華やいでいたものが衰退していく様を指していて、金属の錆びもですし、わびさびもここからきています。

日本人の感覚からさびというのは美的感覚なんです。なので「さび」について肯定的にとらえる文化が根っこにあるんじゃないかな思ってます。

実は寂しがり屋だということに気づいた

実はあまり寂しさというのを感じたことがないなーっていうふうに思ってましたが、もっと自分の奥底に問いかけてみました。本当に寂しくないのか?寂しさを自分は求めているのか?

考えた結果、自分は寂しがり屋だってことに気づいたんです。だからこそ見知らぬ土地に入ってもすぐ他の人に話しかけるんです。

交流性は寂しさからか?

ちょっと道を聞くところから仲良くなったりとか、ちょっと荷物見ててもらえますかから仲良くなったり、外国行っても話せる限りの単語と身振り手振りで話してすぐ仲良くなっちゃう。これは自分が寂しがり屋だからこそ行動しているんだなということで腑に落ちたわけです。

寂しさを味方にするための行動を起こした結果、自分の繋がりであったり、人脈であったりが拡がりました。異業種交流会みたいな所に行ったときも、知ってる人同士で固まっちゃったりするのはもったいないなーって思って、一回も会ったことない人とかにどんどん話していくタイプでした。

見知らぬ人ばかりがいる所に突っ込んでいくというのが何でもないというのは、寂寂しがり屋だからこそできる特技なのかと思ったこの頃です。

全国わくわく商店街は、人見知りな仲間も大歓迎です。


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