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人はなぜ“焦り”という感情を持つのだろうか?

別に悪いことではないが焦るってないですか?

何か指摘されたり、フィードバックを受けたときに動揺したり、焦りの気持ちが出ることってないですか?

先日、ちょっとしたことで“焦り”を感じた出来事があったので、フリカツしてみました。

フリカツの記録

フリカツとは
昨日の出来事を振り返り、心揺さぶられたことを3つピックアップ。
どんな感情を抱き、どのように反応したのかを自分に問いかけ書出します。

そのうえで、どのように捉えなおしをすればポジティブな出来事だったと感じられるかを考えて行きます。

起きた出来事

「声の魅力を感じ取って、褒めよう」という素敵なコンセプトのルームがclubhouseで開催されており、参加してみました。

主催者から30秒くらいのインタビューを受けて、その後、スピーカーたちが「声の魅力」について、どんなところがステキだと感じたとか、響きが良かったなど褒めるというシンプルな活動です。

わたくしの番になり、インタビュー後、参加者たちが口々に誉め言葉を伝えてくれます。

「若い感じがします!」
「落ち着いていて優しい声。人柄が出ています。」
などなど、うれしいですよね。

ところが、お1人だけ・・

「声の魅力を褒めよう、という会の趣旨には反するのを承知のうえですが・・・。確かに穏やかで優しく、さわやかな印象でしたが、どこか作られているような感じを受けました。」

とフィードバックをされたのです。

どのように反応し、行動したのか

一瞬、「ここって全肯定されて褒めてもらえる場所ではなかったのか?」と違和感を感じたのですが、フィードバックをもらえるのは、ありがたいことだとも思い、そのことに感謝を伝えました。

どんな感情や思いが湧きあがったのか

フリカツでは、感情にフォーカスしていきます。
このとき、褒めてもらえる場所のはずなのに、なぜ指摘されなきゃいけないのだろう。という感情が、最初に出てきました。

が、すぐ後に、「それにしても鋭いツッコミだな!数秒聞いただけなのに、よくそこまで感じ取ったな」という動揺を感じました。

そして、自分の声や話し方のどこにダダ漏れしていたのだろう、という焦りの感情がわいてきたんです。

その反応や行動によって何を得たか

ここからは、どう捉えるのかのフェーズに移ります。

みんなが褒めているモードの中で、感じたことを感じたまま伝えるというのは、ある意味、勇気がいることだと思うので、「ありがとう」という言葉は自然と出てきました。

これは、普段からナチュラルに感じていることです。

ありがとうを伝えられたことで、フィードバックと話したことを自分にとってプラスな体験と考え、アドバイスを受け取ることができました。

どんな思い込みがあって感情がでてきたのか

最初にモヤっとしたのは、褒めるルームであれば、良いフィードバックしかされないはずだという大前提を自分が持っていたということです。

褒めるの範囲について、良いことしか言わないというのは、自分の狭い枠で考えたことです。相手のためを思って伝える「さらに良くなるために」ストレートなフィードバックも褒めることに入ると考える人もいるかもしれません。

それより、もっと大きなポイントに気づいちゃったのですが。

意識してさわやかな声になるように話していたことを自覚していた自分がいました。褒められたいと思って話していることを見抜かれた、いい声ですねと言われたいという気持ちがあった。それをストレートに言われたことで、見透かされたという気持ちが“焦り”を感じさせたのでしょう。

そこには、つくったり演出したりすることはあまりよくない。ありのまま出すとか、さらけ出すことがいいことなのだという思い込みがあったと気づきました。

本当はどんなふうに対応したり、どんな在り方でいたいか

ありのままの自分、素の自分が声にもあらわれるようでありたい。
最初はそう思ったが、TPOもあるので「いい声を出したい」と思い、相手がそう受け取ったのであれば、それがありのままではないかと捉えなおし。

見抜かれたと思って焦る必要なんてなかった、取り繕ったわけではなく、その会において求められていると感じた話し方をしたので、それでいいと自分に〇を出せる在り方でいたい。

フィードバックに感謝できるが、焦りの感情はいらない

この出来事は何のために起こっているのか、どう活かしたら幸せになるか

ありのままで生きることは幸せだけど、ありのままじゃないといけないという反対のジャッジも働いていたので、否定はしなくてもいいと気づきました。

時と場合に応じて、自分を魅力的に見せることができる、見られたいと思っている自分がいることに気づけた出来事でした。
最近、ありのままで生きていきたい、素の自分を見せたいということにフォーカスしすぎていたことにも気づき、状況に応じて対応できている自分に〇をつけました。

まとめ

ちょっとした出来事ですが、自分の中に生まれた「モヤっと」を、そのままで流してしまわず丁寧に振り返ったことで、生きていきやすさにつながる、気づきがありました。

毎日のちょっとちょっとの積み重ねを記録することも、一つ価値を生み出すかもしれないので、「フリカツダイアリー」というマガジンを新しく作ることにしました。

興味が湧いたら、事例集のような感じで読んでみてくださいね。


https://note.com/8989ld/m/m0848091aa3a7



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