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自分を大事にして欲しい

先日、私が18歳で社会に飛び込んだ当時それはもう本当にお世話になった親愛なる人の命日だったので、晴れた日の午後御墓参りに行ってきた。
ラベンダーの香りがするお線香に火をつけ、私は今年もまだ春を待っている事を独り言のようにお墓に向かって話していたら
お前はきっと一生嫁になんかいけないな とあの垂れた目でげらげら笑われているようで、嬉しくてとても悲しくて、また泣いてしまった帰り道 地下鉄に揺られてあの頃私が見ていたテシさんの事を思い出していた。

私の知るテシさんは、いつも自分の事は後回しで、社会の理不尽にも戦ってばかりで、おまけに仕事に関する闘いは自ら挑むような人でもあった。お子さんや奥様もいたけれど、果たしてその愛や安らぎに頼った事があるのかは私は知らない。ただいつだって真実を好んだし、義理堅く優しい大人だった。何週間も徹夜をしていても誰より早く会社に来てたし、風邪が流行れば周りの不調ばかりに気遣ってるテシさんが本当は1番拗らせている事を私は知ってた。

こうゆうタイプの人に大丈夫?と言っても駄目だという訳がないんだけれど、それ以前に当時まだ20歳そこそこの小娘だった私は、あの時1番テシさんの側にいたかも知れないのに、私自身が彼に甘えていたし まだまだお荷物でしかなくあの頃の自分の未熟さと若さを今少し呪う。

けれど人生には大人になる為のジャンピングチャンスはなくて、今だってまだまだテシさんの歳と人間力には追いつけないけれど、テシさんは永遠にもう歳をとらないから、私がどうにか生きればこの先同い年になれる日も来ると考えたらなんか妙で可笑しくなった。

テシさんは唯一私が父親に見捨てられてしまった過去や家庭の事情を詳しく知っている人物の1人で、私にとって父親のような存在だし社会人としての軸を作って下さった方でもあるのだけど、彼自身も波乱万丈な人であり、酔うと口癖みたいに 俺みたいな奴は永く生きないよ と私によく言っていた。
その度私は絶対長生きすると言い返していたし、実際こんなに人思いで信頼も厚い人間は必ず努力や苦労が報われ長生きして、老後は静かで穏やかな死を迎えられる人だと漠然と思っていた。思っていたのだけど。

テシさんの死は恐ろしいほど呆気なく
ある日突然45歳でこの世を去ってしまった。

その日私はテシさんの笑顔を別れ際目にしていたのに、次の日には管だらけのテシさんの心臓が呆気なく止まってしまった。

信じられないというより、悔しくて。どうして世のため人の為といつも自分の事より誰かの事ばかりに生きてきたような人が、こんな呆気なく死んでしまわなきゃいけないのかという運命みたいなものが悔しくて。あの頃、デタラメな自分は毎日神様を恨んだ。

なぜ。

神様は意地悪だ。神様なんて大嫌いだ。

なんてどうしようもない怒りみたいなものを抱きしめて生きていた時期があったのだけれど、これには紛れもなくエゴが含まれていた。その怒りは、私が心の支えにしていた存在を奪われた事実と、急死という現実を運命だったと片付ける事に折り合いをつけられない22歳女の単なる遠吠えだったのかも知れなくて。

テシさんは何故死んでしまったのか。

そこを風化せずに向き合ってきた事で湧いてきた思いがあった。

テシさんは、バチが当たったんじゃないか。

彼は、いつも人に尽くしてばっかりで、テシさんが自分の為に費やす事や時間なんて私はほとんど知らなかった。仕事に関して置かれた立場や責任と闘いながら人の支えばかりになって、付き合いでよく呑んでは胃を壊し、きっとキャバクラのお姉ちゃんにですら気を使って、家庭や子供の為に頑張って、身体のシンドイ警報を何度も無視して、きっと私の前で笑っていた。

テシさんという人は、私や周りを大事にしても

自分を全く大事にしない人だった

沢山の人間から愛されていたテシさん。その想いに応えて行く事が何より大事だったテシさん。そんなあの頃のテシさんに今の私がもう 1度会えるなら、頑張ってとか 大丈夫だよなんて事より、もっと他人より自分を大切にして欲しいと言いたい。言ってあげたい。せめて私だけでも。

私が言う自分を大事にして欲しいと願う気持ちは、自己愛の話じゃない。自分大好きな自意識過剰な人間が自分が満たされるものだけで生きたいと言い出すエゴの話じゃない。

誰かの為に、何かの為に、自分の事を省みず優しく強くあろうと生きる人に伝えたい祈りだ。

#コラム #エッセイ #命

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