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一部を見ず全体を見る

遅咲きの桜が好きなじゅにーです。ヤマザクラやヤエザクラなど。

ソメイヨシノも悪くないけど、満開にならないとなんだかパッとしない。葉っぱが混ざってくるとあまり綺麗な気がしない。ピンクの花だけが評価されているのかなと思います。

その点、ヤマザクラやヤエザクラは葉も花も幹も全部含めてバランスがとれている気がする。

膨らんだ大きな蕾も、咲き始めも、満開も、散り際も、どの時点でも見所があって好きです。


資本主義における医療は、全体を見ず一部を見ることが多いです。

例えば、とある食べ物が健康に良いとわかると、含まれる成分を躍起になって探し、一部分を抜き出してサプリメントや薬にしようと考える。

その食べ物をそのまま食べればそれで良いだけなのに、何故か抜き出したがる。そこには消費者の手軽に良いものだけを摂取したいという思惑もあるのでしょう。

しかし、利便を追求し過ぎるとどこかでしっぺ返しを喰らいます。

自然界の食の掟は全体食、ホールフード。それに背いた結果がかつての国民病と言われた「脚気」です。

糖質代謝に関与するビタミンB1不足で発症するのですが、ビタミンB1は米糠及び胚芽に大量に含有されています。サトウキビにも含まれています。

始めから糖質と一緒に含まれているのに、食味や色合いを優先するがために切り離し、結果として代謝異常を引き起こしてしまいます。

他にも、味が良いから、食べやすいからと魚の身だけを食べ、骨やワタを残すとどうなるか。

身を食べた結果血液は酸性に傾き、中和のために骨のカルシウムを溶出させます。

魚の骨に含まれるカルシウムやワタのビタミン・ミネラルを一緒に摂取していれば影響はなかったはずなのに、捨てたが故に骨が脆くなります。



お米は、糖質やビタミンB1の集合体ではなく、一つの命です。

魚も、タンパク質やカルシウムなどの集合体ではなく、一つの命です。

私達、他の生き物も自分ではない別の命を頂いて生きているんです。一部分を抜き出して他を粗末にするような事がないように体は作られているのです。

現代の「全体を見ず一部を見る」事で産まれた健康になる事を謳う様々な商品は、決して望む結果をもたらしてくれません。

人間だって自然界の生き物。自然の摂理に背いても健康になどなれません。

「一部を見ずに全体を見る」

まずはそこに意識を置くことで、初めて健康への第一歩を踏み出せるのです。



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