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話をしながら気づいたこと

今朝主人と子どもと朝散歩に行った時のこと。

子どもが公園で遊んでいる間に主人と話をして待っていました。

どのような話の流れだったかは忘れちゃいましたが、自分の幼少期のときの話になりました。

私は三姉妹の真ん中っ子です。
手がかからない子というか、大丈夫そうだと思われている立ち位置。

出会う真ん中っ子はだいたいそう言います。笑

ないがしろにされた記憶はないです。
でもどこかで、「もっとかまってほしい、私を見てほしい。」という思いがあったんだなと最近になって気づきました。

今漫画原作のドラマで「けむたい姉ちずるい妹」(テレビ東京)というものがあるのですが、こちらを観ていて、妹の気持ちもわかるなと思ったのもきっかけでした。

「たぶん寂しかった。でも母親に甘えたいなと思っても、長女や三女のことで忙しそうだなと諦めてたのかもしれない」
と主人に話したときに泣きそうになりました。そんな自分にビックリ。
こんな思いを抱えていたんだと。自分自身が全然気づいていませんでした。

そして私の母は手をつないだり、ギューっと抱きしめたりなどのスキンシップは苦手なようで、赤ちゃんや歩きたての頃は危なくて手をつないでいたとは思いますが、物心がついてから、手をつないだ記憶はありません。

今孫にはしてます。できるようになったのかな。こうすればいいとわかったのかな。
母の親の時代なんてそれこそ、スキンシップなんて皆無だったでしょうから、その環境で育ってきているから無理もありません。
主人に聞いても、自分の家もそうだったと言ってました。

「周りの目が気になる」という話から、こうなったのでした。
思い出した!
「人の顔色を窺っていると思うんだよね」というところから。
人が少ないといいけど、多い場所では過度に疲れてしまう私なので。
それで幼少期からの癖だなと気づいたのでした。

「そしてもっとこうしてほしかった。」ということが溢れ出てきました。

自身の幼少期の、「こうしてほしかった」という思いを、自分の子どもにしてあげることで、それは解消されると聞いたことがあります。
だから意識してやっているときもあります。
ギューっとしたり、手を繋いだり、頭を撫でたり。眠ってからほっぺにチューしたり。

朝散歩のおかげで自分のこんな感情に気づけました。
ラッキー♪
いつもは一人時間がほしくて、土曜日のたまーに開催される朝散歩はパスしていたのですが、今日は「行ってみよう」と思ったので、参加しました。

そして散歩はやっぱり誰かと話をしながらのほうが、長い距離歩けるなと
実感。(子どもではなく、話ができる大人。そして気心知れた人限定)
一人でいる時より、周りの目も気にならない。

一人で行くときは、スタバで休憩するために行くぞ!とご褒美をセットにして、やっと行ける感じで。
寂しがりやなので、一人でランチも行くけどやっぱり誰かと食べた方がおいしいなとも思います。

これからは主人とお散歩、積極的に行こうと心に決めました。


最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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