天不動説
太古の昔、昼と夜とは巡るものであった――
旅人は、古い伝承を思い起こした。そんなおとぎ話に心を躍らせたころが、己にも確かにあった。なんと平和な時代だったことか。
不意に感傷に囚われ、旅人は足を止めた。〈昼〉の国、小高い丘でのことだった。
天頂には、巨大な太陽。この空で唯一の天体だ。故郷の影は、〈夜〉の姿はどこにもない。
感傷、哀愁、そうしたものを、旅人は抱かぬようにしてきたはずだった。しかし、抑えきれぬものがある。
長い旅路が、ついに果てるのだ。
地平線上に目をやれば、荒野の向こうに立ち並ぶ丈高い建物の群れ。〈昼〉の都、影なきアルナヂルである。
そこに、〈探し物〉があるはずだった。
破滅の痕のみを残して滅び去った〈曙〉の都市国家群を後にしてから、どれほどになろうか。もはや定かではない。
「時を食う魔女がいるのさ」かつて、〈渡り屋〉の男はそう言った。「他に食いものがなくなったもんだから」
だが、そうではない。
孤独だ。果てしない旅の孤独に、人間の精神は耐え得ない。故に心を殺し、時を忘れてやり過ごす。それだけのことだ。
――それでも、感傷からは逃れられぬ。
旅人は自嘲したが、頬に刻まれた硬い皺がわずかに歪むばかりであった。
星を見たいと思った。〈夜〉の暗い空にちりばめられた、神秘の輝きを。
〈昼〉にも、星はあるはずだ。宇宙は確かに空の向こうにあるのだから。だが、身じろぎ一つせぬ太陽が眩しすぎる。曇りなき蒼穹が、星々を永遠に塗りつぶしている。〈昼〉に生きて死ぬものは、星の煌めきを知ることはない。
天も地も病んだ時代である。〈夜〉から〈昼〉への旅などは、極めて強い目的と覚悟なくしてするものではない。旅人には、その両方がある。
果たして、間に合ったのだろうか。湧き出た問いが不安に変わる前に、旅人は終わりへの一歩を踏み出した。
――間に合ったはずだ。世界は、まだ滅びていないのだから。
【続く】
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