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【#2000字のドラマ】凍る夜風、漕いでは逸れて

店の裏口を開けるとヤマジが手をすり合わせながら待っていた。
『ごめん、あがる前に忙しくなった』
と言うと
『ミサの揚げるポテトは人気だもんな』
と言って腰をあげ、さっさと歩き始めた。誰が揚げても一緒だよ、マニュアルですから、と言うのがいつものやり取りで、でも確かに私がシフトに入る日はよく売れる。それでなんだか褒められてる気になってしまい、ずるずる辞めないでいる。
自転車に乗ろうとすると、また鍵がうまく回らない。何度かやると開くけど、漕ぎ出すと今度はチェーンがガタつく。ずっと気になっているけど、なんだかんだ動くのだ。
『それ早く自転車屋行けよ』
ごもっともなことを言いながら、彼がカゴに白い箱を入れた。
『ケーキ買っといた。あ、タミーには遅くなるって連絡入れたから』
『ありがと。いくらだった?』
大事なケーキ。自転車を押しながら歩く。

街路樹が落ち、11月の深夜はキンキンに冷えている。冬はよくおでんを買ってタミーの家に行った。
ヤマジを見ると、コートの下にボロいTシャツを着ている。このTシャツは彼の一張羅で、特別な日、例えば彼のライブの日とか、誰かの誕生日会によく着ている。有名なバンドのTシャツらしい。
今日はタミーの就職祝いだ。

タミーは家賃4万円のアパートに住んでいる。木造で燃えやすそうなオンボロだけど、マメな彼女は室内をカフェのように仕立てて暮らした。
学生時代から私は店でポテトを揚げた後、油っぽい顔でここに来て『香ばしいかおり!』と出迎えられ、シャワーを借り、布団を並べて眠った。朝起きると味噌汁を作ってくれた。
ヤマジも実家の居心地が悪くなるとここに来て、『働け』と笑われていた。彼はギターの弾き語りでプロを目指し、それを口実に週2回しか働かない。そりゃ親からは苦い顔をされる。
その点、私は週5日は労働しているからマシに思えるけど、やりたいことがあるだけ羨ましくもある。

タミーは優等生で、私達からすると就職できないのが不思議だった。そのまま卒業を迎え、顔面蒼白になっていた彼女は(何もしていない私は掛ける言葉が見つからなかった)、その後もめげずに真っ黒のスーツで面接に出向いた。彼女の玄関で、カチコチに緊張する背中を何度も叩いて見送った。

この部屋で、沢山の時間を3人で過ごした。冬の冷たい隙間風も、夏に堂々と入ってくる虫に騒ぐのも、朝にカーテンから差す光が埃っぽい空気を通って2人の寝顔を照らすのも、それを眺めて二度寝するのも好きだった。
私たちの人生はふわふわしていて、いつ本番が始まるのだろうなんて思っていたら、先週ふとタミーの人生がカチッと動いた。

彼女は小さなケーキに漫画のように喜び、紅茶を淹れてくれた。引越し前で皿が無いので、フォークでそのままつっついて食べる。
『あんまり会えなくなるね』
『そうね。私だけ土日休みで、2人と合わなくなるね』
タミーは寂しそうで、でもそれより満足そうだ。そりゃそうだ。
『地域密着の小さい会社だよ。建材の商社なんだけど。私は地味にデータの打ち込みばっかりみたい』
相槌を打ちながら私は大人なふりをする。会社とか仕事の話なんて正直何も分からない。何でも立派に思えるし、でも私はやりたくないなと思う。

『ミサはこれからどうするの?』
今後の話をするのは久しぶりだった。どうせ私とヤマジは何もしないので盛り上がらないのだ。
私はいつもの台詞を言う。
『やりたいこと見つかるまではバイトしてようかな。なんとなく就職したくないし』
と言って、あ、タミーがなんとなく就職したってわけじゃないけど、と慌てて付け足した。
ここで何となく終わると思ったのに、ヤマジが言った。
『見つかりそう?』
『ん?』
『やりたいこと』
2人は優しい目で、でも私を見ないようにしている。
どうにか何か言おうとした時、タミーが、のんびり探したらいいよ、と言った。
うん、と言ったかどうか、目の前の冷めた紅茶に砂糖を入れ掻き混ぜていると
『チンしようか?』と聞いてくれる。
大丈夫。私はこれを溶かしていたいので。
『ヤマジはどうすんの』
と矛先を変える。
答えは知っている。
30まではプロを目指す。
…のはずだった。
『俺ね、バイト先に就職することにした』
え!とタミーの声がする。彼は、高齢の夫婦が経営する純喫茶でバイトをしていて、たまにそこでライブもする。
『マスターが言ってくれたの。後継がないかって』
よかったね!おめでとう!と言うタミーを見ると涙目になっている。よかったね、なのか。彼の就職がこんなに喜ばれるものとは知らず、慌てて私も言う。おめでとう。
『でも急だね。歌、やめちゃうんだ』
彼は
『違うんだよ。社員はライブ、無料でやっていいって』
と今日1番の笑顔で言った。

紅茶を飲み干し(砂糖は溶けなかった)、明後日に引っ越しの手伝いに来る約束をした。
『その日、ミサの誕生日祝いもしようよ!』
と2人が言って、ぬくい空気を纏って家を出た。
ラーメン食い行こうよとヤマジが言うのを背に、急いで自転車に乗る。鍵は3回目で開いた。
『ごめん、急ぐ!』
コンビニに寄ろう。求人誌もらって、履歴書買って帰ろう。少し漕いでから、ケーキ代を払ってないことに気づく。
振り返って『800円、明後日!』と叫ぶと、彼は大きく手を振った。

本当にそれでいいの?
私だけとどまってたなんて知らなかった。
いつの間に?
急ごう、でもどこに急いだらいいだろう。
全然慌てたくない、でも少し慌ててみよう。
チェーンがガタついた。明日修理に出しに行こう。
あー、なんだよ、冷たい空気が頬に痛い。
熱々のおでんが恋しくなって、ついでにたらふく買って帰ろうと決める。

#2000字のドラマ

*後書き
若者の日々というと、私の場合、学生時代よりも20代前半でもがいた記憶のほうが痛烈でした。昔描いた"未来"はもう既に"今"なのだということを実感できず、年齢だけずるずると大人になり、人生から逃げながら過ごしていた頃の気持ちを思い出して書きました。
しかし2000字は短い。

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