19才のとき是枝裕和監督に手紙を書こうとした29歳のぼくの話。
是枝裕和監督が、カンヌ映画祭で最高賞のパルムドールを受賞されました。そのニュースを聞いて、苦手な文章を書いてみようと思い立ちました。
何の発見も学びもない内容ですが、ファンレターを盗み見るような気分で読んでもらえるだけでも嬉しいです。
中学2年。14才のときから、学校帰りにひとりで映画館に通うようになりました。学校から家への通学路に有楽町・日比谷・銀座という映画館には困らない環境がありました。
中学から高校と観る映画は様々で。アメコミ映画の原点ともいえる「X-メン」を観てミュータントに興奮したり、ときには背伸びをしてアレクサンドル・ソクーロフ監督の「太陽」を観て眠くなったりしていました。いまはもうない銀座シネパトスに学ランで並んだのが懐かしいです。
大学生になっても学校終わりに映画館に行くことは変わらず続いていました。いや、正直、学校に行かずに映画館に直行する日のほうが多かった。なんだか真っ暗闇のそこでは、少年・青年時代ならではの自意識にしばられて疲れることもなく、自由でいられる感覚が好きだったような気がします。
大学1年。19才のとき、「歩いても 歩いても」を、当時、有楽町のビックカメラの上にあった「シネカノン」にひとりで観に行きました。2008年の夏だったようです。
是枝裕和監督の映画を劇場で初めて観たのは15才のとき。「誰も知らない」を、同じくシネカノンで観たときです。
「歩いても 歩いても」を観終わったときの感想は今でも覚えています。
この人はなんでぼくのことを知っているんだろう?
そう感じるほどに、「歩いても 歩いても」に出てくる登場人物は、自分そのものであり、どの人物にも身の回りの人間が投影されているようでした。
阿部寛演じる主人公の良多が、歩くのが遅くなった年老いた父と歩く場面。
プライドが高い父を傷つけないように、わざと携帯電話を触るふりをして歩調を遅らせる。その歩調の合わせ方。そんな愛の表現を見たことがありませんでした。これは自分だけがやっていることだと思っていました。
というのも、ぼくの母方の祖父がまさに、プライドの高い引退した医者そのものでした(そんな祖父が大好きでした)。祖父と外を歩くときは、なるべく彼を傷つけないように道草を食ったような歩き方をして、わざと歩調を遅らせていました。
「自分しか知らないと思っていた感情」
「好きだったり嫌いだったりする自分の中のひとつひとつの心と挙動の揺れ」
そこにやわらかく光をあてて、抱きしめて、肯定してもらった気になっていました。
なんだかどこにも自分のことをわかってくれる人がいない気がしていた19才のとき。
「歩いても 歩いても」という作品に出会い、是枝裕和という人に出会い、ぼくのことをわかってくれる人に出会ったような気持ちになっていました。
是枝裕和という存在の大きさに気づけることが、自分のステータスのようになっていました。
19才。勉強に励むことも、サークル活動に励むこともできないぼくは、単純に暇でした。それがときには苦痛でもありました。時間はたっぷりとありました。
その息苦しさから逃げるように、是枝監督に向けて手紙を書きました。大学入学のお祝いに両親から買ってもらったMacbookで、ひたすらに長文の手紙を書きました。
書いた内容の詳細は覚えていません。書ききったのかも覚えていません。書いて伝えることが目的ではなく、書くこと自体が目的になっていたんだと思います。
でも。書いたときの気持ちは覚えています。
是枝監督のことを一番理解できるのは自分だ。それを伝えたい。
そのまま手紙を出さなくてよかったと今では思います。ストーカー的な心理状況ですね…。
それ以降、劇場で観られなくても、是枝監督の作品は必ず観るようになりました。結局手紙は出せなかったですが、是枝監督自身の言葉が聞きたくて、実際に生で2回ほどお目にかかることがありました。
1回は武蔵野美術大学の授業に忍び込んで。1回は渋谷にあった「シネマライズ」という劇場でのティーチイン付き「空気人形」上映時にて。
好きな作品は何度も観るんですが、「歩いても 歩いても」は2008年の夏以来、観ていませんでした。観るのがこわくて意識的に観ないようにしていました。
こわさの理由。それは、時間を経て「あんまりおもしろくなかったな」と感じてしまうことに対するものでした。自分のすべてが投影されているような、ずっと「人生のベスト1だ」と、そんなふうに思っていた作品。それを自分で否定することが、勝手にこわかったのです。
それは是枝監督を否定することであり、自分を否定することでもありました。
25歳。最初に観た2008年から6年後の2014年5月。「歩いても 歩いても」を2回目に観たのは、大学を卒業して社会人になってからのことでした。2回目を観た感想。自分でも驚きましたが、Twitterを遡ってみたら出てきました。
そのときから4年が経過したのが今年。2018年5月。是枝裕和という映画監督は「カンヌ映画祭で最高賞のパルムドールを受賞」したんですね。
19才のとき、「最も理解できるのは自分である」と思っていた是枝裕和という存在は、世界で認められる存在でした。
これからも同じ時代を生きていけること、だからこそリアルタイムで是枝監督の作品を観ることができること、人間や家族という身近だけれどなかなかわからないもの、人間の業、それらを深く愛して、理解しようとすることができること。それがなによりも嬉しいです。
29歳になって、あらためて手紙を書くつもりで書きましたが、10年前の19才のときの内容と変わりがないんじゃないかなあと思っています。
人生は、いつもちょっとだけ間に合わない
かもしれないけれど。
どこかで直接御礼がしたいと思っています。是枝作品で育ち、是枝作品をとおして人とつながったこともある。そして、これからもつながっていくと思っています。だから、勝手に自分自身も是枝監督の作品のひとつであるような気になっています。
是枝裕和監督、おめでとうございます。大好きです。
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