こわれた習慣

習慣が完全に壊れてしまった。

以下は経緯と事実を述べるものであり、壊れた要因はすべて自分の「怠惰」だ。書こうと思えば書けたのだから。

始まりは、子どもの体調不良。最後の日記が「プール熱」であるから記録どおりであるが、その後、子どもの回復までに予想以上に時間を要した。二人同時であり、看病に精神と体力をさかれてしまい、PCを開き執筆を開始するにいたらなかった。前述のとおり、書こうと思えば書けたのだが。怠けた。

子どもの体調不良に追加して、自らのコンディションもあまりよくなかった。発熱まではいかなかったが、どこか風邪の雰囲気を感じる状態。発症との境目だったと思う。そこも自分への言い訳にして、筆を取らなかったわけだ。

つくづく、自分に甘いね。自分との約束、プライド。そこを守れるかどうかが「分かれ道」。宮崎駿がいつかのドキュメンタリで言っていたね。最近、noteで有料購読を続けている方も同様の発言をされていた。振り返れば、僕が目にとめる、「凄いな」というプロフェッショナルは、総じて「自分との約束を破らない」と見受けられる。

他人との約束を守るのは簡単だ。失敗が公然となるため、怠惰や嘘が制御される。半面、自分との約束は「破ること」が簡単だ。誰も見ておらず、咎められもしない。自分で自分を許してしまえばそれで終い。3日もたてば忘れてしまえるだろう。

大なり小なり自分を許している人がほとんどだと思うが、なかには「許さない」人もいる。自ら望む姿をつかんでいる人は、安易に許さない人が多いのではないだろうか。人間は放っておけば楽な道に流れていく。これは脳の構造上致し方ない事らしい。生存本能要因か何かだったか。

人が出す成果を左右するのは、本来寝てるだけ、サボるだけが大好きな脳の矢印の向きをいかに変えることができるか。キーワードは習慣と環境かな。よりアクションの頻度を増やさなければ。

壊れた習慣を再構築。放置しなかったことだけが収穫。

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