自分との約束について

自分との約束について。

昨年始めた、noteでの日記執筆習慣。先ほどマガジンの記事数を確認したところ、ちょうど100本であった。毎日書く習慣をつくると自分に約束して開始し、12月までほぼ毎日執筆を継続していた。(数日だけ落とした日があったかな)自分のせいかつの中に確かな場所を確保して、1日のリズムを整える大事な時間となっていた。そのリズムが狂いだしたのが、12月中旬頃。忘年会シーズンが始まり、宴会参加が増えるにつれて、執筆しない日が徐々に増えていった。年末年始を挟み、さらに連続未執筆の日も増加していた。

習慣がこわれた話は、日記執筆が滞るたびに書いてきたので、今日は違う観点で今の状況を考えてみたい。「自分との約束」についてだ。そもそも、この日記執筆開始の直接的なきっかけは、けんすうさんのアル開発室で紹介されていた書籍だ。習慣を行う「時間と場所」を定めることで、習慣定着の確度が上がることが述べられており、その方法を自ら試したことがスタート。きっかけはそうなのだが、日記執筆の営み自体に気持ちが向いた理由は、また別の人にある。こちらはnote有料購読マガジンを毎日執筆している、とある方。その方は、noteで毎日日記を執筆し続けている。ほんとうに1日の抜けもなく毎日。

自分でやってみると痛感するが、毎日書き続けることは簡単ではない。その方は、「ただやるだけ」と述べられているが、ほとんどの人が達成することは困難なのではないだろうか。ほとんどは言い過ぎか。ただ、今の僕は、そのくらい凄いことだと感じている。書く行為それ自体ではなく、「自分との約束を守り抜く」ことに感嘆している。いつかのドキュメンタリで宮崎駿さんが言っていた言葉を思い出す。

「自分との約束を簡単に破るやつに大した仕事はできない。自分を許すかどうかが運命の分かれ道」

そんな趣旨の言葉だったと記憶している。今の僕にはズシンとくるね。もちろん、この習慣は仕事でもないし、運命を決める類のものではないのだけれど、思うところがある。

僕は結構簡単に自分との約束を破る。世の中のひとは大なり小なりそうやって生きている人が大半なんだと思うのだけれど、時には約束を守り抜くことが必要な場面もあるよね。この日記執筆習慣については、その類のものだったんじゃないかなあ。だから、習慣が崩れ始めた時には、少し罪悪感に近いものがあった。自分との約束を小さく破り続けると、それに慣れてしまって、守るべき場面でも自分に嘘をついて逃げてしまうような気がするんだよね。悪い癖が染みつく感じというか。

ダラダラと結論もハッキリとしない文書を書き連ねたが、ここまでにしておこう。やはり、久しぶりに執筆すると時間がかかる。リズムよく筆が進むことは最後までなかった。これからリハビリだね。

頭のもやもやを文字にするだけでもいいんだから。短くても書けばよい。

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