病気がくれた特別切符

子どもたちの寝かしつけとともに眠りについたため、就寝は22時過ぎ。途中何度かまどろみながら目を覚ましかけたが、起き上がることはせず、そのまま睡眠をつづけた。その後、さらに覚醒度合いが高まったタイミングでカーテン越しの光をみると、まだ暗い。近頃は内服薬の影響からか早く目が覚めてしまうのだが、早すぎる起床は日中の活動に影響が出てしまうため、できれば5時-6時台の起床におさめたいところだ。時間を確認するために目覚まし時計をみると、まだ3時半過ぎであった。これは少し早すぎるね。活動開始を躊躇し、しばらく布団のなかで過ごした。ただやはり一度覚醒モードに入った脳はなかなか元には戻らず、あきらめてリビングに出てきたのが4時15分頃、水を飲み、YouTubeで自然映像を流しながらの瞑想を終え、現在ソファのうえで、昨日の寝落ち分の日記を執筆しているところだ。

それにしても、病気をしてからというもの、生活リズムや日々の行動が大きく変わった。まずは、先ほど書いたとおり起床時間が明確に早くなった。おそらく内服薬の副作用の一環だと思われるが、本来懸念されていたリスクが「不眠症」だったのが、僕の体の場合は単純に眠りが少し浅くなり、起床時間が早くなるという、程度としては軽い部類だったのだろう。いいバランスに落ち着いてくれたものだ笑 朝が早くなったことで、時間に余裕ができ、1日のはじまりを有意義な思考・行動にあてることができるようになった。瞑想、日記執筆、読書、思考、朝食づくりetc.. これらのいわゆる僕の言葉でいう「後味のよい行動群」は、これまでの生活では、朝に行うことはほとんどなかった。そんな時間もないくらいバタバタしていたからね。それが、起床時間が早まったことで、自然とよいリズムで朝の行動を組み立てることができるようになった。正直この点に関しては、ポジティブな側面しかない。実際、日中の気分への好影響も感じるし、何より朝、その行動をしている時点でなんだか心地よい時間なのだ。病気から得た良いものの一つなのである。

そりゃあ病気せず、完全なる健康体が一番よいのだろう。しかしながら、発病・入院から約2週間経過した今、僕は病気から得たポジティブな側面をいくつも感じている。こういうことを書くと、強がり・自分に思い込ませるための暗示だと思われるだろうが、いや、ホントに違うのよ。誰にもコントロールできない「病気」というイベントをきっかけとして、入院記でも書いた「死」への意識、当たり前の日々の有難さ、感謝の気持ち、誰もが・どこでも言っているこれらの言葉たちが、僕の心根に深く根をおろしたのだ。根をおろすとはまさに字のごとくで、この病気はおそらく一生付き合っていくものになるはずだから、今回心根におかれた想いは揺らぐことなく死ぬまで僕の信念としてあり続けるだろう。それはわるくない。だいたいこういう類の言葉たちは何かの瞬間は大切さに気付くが、すぐに忘れて日常のせいかつに戻ってしまうものだから。その点、僕は今回の人生においては忘れることない特別切符をもらったようなものだ。感謝しながら旅を楽しみたいと思う。


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