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適当な人ですが、|エッセイ

わたしは「適当」が大好きです。

丁寧な自分、テキトー(=いい加減)な自分、敢えてテキトーを演じている自分。3つを顔を使い分けてますが、テキトーを演じる自分の時が1番好きです。なぜなら余裕と遊び心に満ち溢れていると思うから。

数年に1度くらいのペースで「適当」の辞書的な意味について伝え聞く場面ってありますよね。どの辞書にもだいたい次の3つの意味が、次の順番で記載されています。

①ふさわしいこと
②程よいこと
③いい加減なさま

普段なにげなく使う「適当」って③だと思いますが、3番手で序列が低いんです。これって辞書編集者の陰謀か何かでしょうか。不思議です。

「③いい加減なさま」は、文字を変換すれば「②良い加減」になります。実際の行為でも同じように③だったのが実は②の意味に変換されてしまっていることが多いです。

例えば、「③いい加減」に食器を洗った自分をイメージしてみてください。後からその瞬間を振り返ると、雑に洗った行為には面倒くさいだったり自分への甘えだったり感情や状況などの要因があり、過去の自分にとって「②ちょうど良い加減」だったのかもしれません。

だから「③の適当」は実は存在していなくて、必ず「①ふさわしい」「②程よい」に変換されてしまう言葉だと思っています。

少し哲学的になってしまいました。まー、ほどほどに適当な日常を送って、適当なnoteを投稿して、、、なにか楽しいことが起きたらいいなと思っている今日この頃です。

おわり。


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