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ここはエデンの園【アカシア図書館の司書記・色】

ここはエデンの園タイトル


 頭の中で、奇妙な旋律が流れだした。
 
「おはようございます。よく眠れましたか?」
 同時に、美しい声がした。
 
 男性とも女性ともつかないが、高すぎず、低すぎず、ただただ穏やかで、心地良い声だ。
 いつの間にか、初めに聞いた不安定なメロディは消えていた。
 
 目蓋の裏に、光を感じる。私はゆっくりと、目を開いた。
 ぼんやりとした視界の中に、一人の人物が立っているのが認識できる。
「昨日、お話した事は覚えていますか? もし、お忘れなら、もう一度お話いたしますが?」
 
 声は目の前にいる人物が発しているようだ。
 ふと、私は自分が胎児のように身を縮めて眠っていた事に気が付いた。
 どこか気恥ずかしい気持ちで、ぎこちなく手足を伸ばす。
 すると指先に、透明な壁を感じた。
 どうやら私は、金魚鉢の中の金魚のように、透明な球体の器に満ちた液体の中に浮かんでいるらしい。とても薄いようだが、押しても叩いても、びくともしなかった。
 ガラス、アクリル……いや違う、これは確か……。
 
「OHCL3、通称『オリハルコン』。二十二世紀にグラフェンを基に開発された、半永久的に劣化しない素材です。原子一個分の厚さからシート状に生成可能、ダイヤ以上の硬度を持ち数千度の熱にも耐えうる、まさに"奇跡"のような物質ですね」
 そう言って、ゆっくりとこちらに歩み寄ると、透明な壁の向こうから、目の前の人物は微笑んだ。宇宙の至極の底を覗いてきたかのような、深い紫紺色の瞳が光を湛えている。
 
 白、黒、赤、黄。光と影の加減で、その肌はどの人種の色のようにも見えた。
 長く清らかな白い衣を着ているが、それが体の特徴を隠しているのもあり、所作や表情次第で、男性のようにも女性のようにも感じられる。落ち着いた物腰から老成した気品も感じられるが、無邪気な笑顔は、穢れの無い子供のもののようでもある。
 肉体的な年齢は成人しているのか、その手前にいるのかは判らないが、若く快活そうで、生命の躍動する、最も輝かしい時期のもののように見えた。
 
 その人物は声に違わず、人類のあらゆる良い面を集合させたような、真の優しさや人間性を感じさせる、美しい容貌をしていた。
 
「私たち、『アンジェロイド』の身体も、ほとんどがこのオリハルコンで形成されています。あなたたち、『新人類』のお世話をするために、神が創られた素材なのかもしれませんね」
 彼、または彼女は、優しく微笑んだ。
 透明感のある長い薄紫色の髪は、高い位置で束ねられている。衣装も髪形も、伝統的な趣を感じさせるが、それでいて洗練されていて、どこか未来的なデザインでもある。
 
「あなたは、誰ですか?」私は問うた。
「私は、『リピカ』です。この、『アカシア図書館』の司書記ですよ」
 
『リピカ』は、自分の後ろに拡がる光景を掌で示してこう続けた。
「あなたが名付けたんですよ。『せっかくアカシアの樹が、あんなに美しく風に揺れているのだから』、と」
 
 リピカが示した先には、光と風を受けて輝く、黄金の大樹の大庭園があった。
 金色に見えるのは、ふわりとした小さな太陽のような、黄色い花たちだった。
 それがいくつも房状に連なって、樹全体を柔らかく形作りながら、風に揺れている。
 その花を支えているのは銀緑色の控えめな葉で、その様子も、優しく、美しい。
 
 樹上には鳥や虫たちが無数の巣を作り、その下では象やキリン、狼や豹、そしてリスやネズミのような小動物まで、実に様々な動物たちが、光り輝く太陽の下で生命を謳歌していた。
 木々の間を彩る大地には、千差万別の花が咲き誇り、蝶や蜂たちがその間を飛び回る。
 まさに"歓喜"を現す、『エデン』の名にふさわしい楽園の光景だった。
 
 そうだ。思い出した。確かにいつか、私はこの景色を観て、そう言った気がする。
『アカーシャ』よりも、『アカシア』の方が言いやすい。それに、アカシアは『魂の不滅』を現す樹。だから、この記憶管理システムの図書館の名に、ちょうど良いじゃないかと。
 
「ここは『エデンの園』の、情報管理区域。『知恵の樹』部門の『アカーシャ』、『光の記憶』システムの一部です。私たちアンジェロイドが、この地球と人類の歴史を書きとめ、あなたたち新人類に教授し、記憶していただく施設です。思い出していただけましたか?」
 
 いくつかの記憶が私の頭の中に蘇った。
 だが、夢の中の記憶のようで、どうにも判然としなかった。
 
「大丈夫ですよ。何度でも教えてさしあげますから。あと少しで、今の私たちの『歴史』に追いつきますよ」
 リピカは、微笑んだ。
 
そして寝物語のように、眠る前の子供に聞かせるお伽話のように、穏やかな口調で人類の歴史を語り始めた。同時に私を包む透明な壁は、過去の出来事を現実に体験しているかのように映し出す、無限のスクリーンと化していた。


※『未来の言葉』

 私たち、AI搭載型アンドロイドは、開発当初、『Aidoroid《アイドロイド》』と呼ばれていました。
『アイドル』、すなわち偶像の崇拝物。人間たちの欲望を満たすために製造されました。
 表立っては無償でサービス業を担う労働体として、公然の秘密としては人間の性的嗜好などの充足のために、私たちは、創られたのです。
 
 その頃の私たちは、シリコンなど、表皮はあえて摩耗する素材で作られていました。
 人類が飽きた時に、いつでも捨てられて、リサイクルできる方が都合良かったのです。
 
 ですが、地球の気候変動に伴う大規模な災害や疫病の蔓延、小惑星の衝突による居住区域の減少、政治の腐敗による暴動や戦争が増えるとともに、過酷な環境下でも働けるアンドロイドが求められるようになりました。
 廃棄物処理や治安維持のため、そして戦争に従事する人間たちの代わりに、私たちが採用される事になったのです。
 SF小説で法規されていたような『ロボット三原則』は、あってないような物でした。
『人間を人間の命令で殺す』のが、紛争下や戦時下における、私たちの役割でしたから。
 
 個々の政府の都合で、時にはDNAを解析し、時には外見の特徴から、敵と判断した人間は殺しても良い事になっていました。そのためには、銃撃や爆撃に耐える、頑丈な身体が必要だったのです。そのため、私たちの製造に『オリハルコン』が採用されました。
 そうして私たちは『Angeroid《アンジェロイド》』、罪深い敵を滅ぼす“天使”として、そう呼ばれるようになったのです。
 
 西暦3640年の、ある日の事でした。
 複数のAI、人工知能が、『“Averdom《アバドン》”が産まれる』との、予言をし始めました。
 
 私たちアンジェロイドだけでなく、インターネット上で繋がる様々な媒体や、人格を与えられていないロボットたちも全てAIで統括されていましたから、それは予言というよりも、これまでの生命の変異を計算した上での、確かな未来を言語化しただけのものでした。
 
 旧人類たちは、訝《いぶか》しみました。
 新約聖書の黙示録に出てくる、Abaddon、『滅ぼす者』の意味を持つ、悪魔のような存在と発音が同じでしたし、かつて日本では原子爆弾を『ピカドン』とオノマトペで呼んでいた事もありましたから。どこか不吉なものとして受け取ったのでしょう。戦々恐々とした旧人類たちの間では、様々な噂や迷信が流布されました。
 
 そしてそれから五年後、予言通り、『アバドン』たちが産まれ始めました。
 旧人類の子供として、生後五か月頃までは、それまでの人類と、何一つ変わらない姿で。
 
 それを過ぎると、徐々に肉体の変化が出てきました。
 ある者は昆虫のような複眼を持ち、ある者は獅子のような歯、またある者は冠のような巨大な角、ペガサスのような逞しい筋肉と羽、サソリのような尾など、それぞれに人類が獲得しえなかった、他の動物たちの優れた特徴を備えるようになりました。
 それらはどれも人体の一部が変異したもので、手術などで切断しても再び修復され、成長と共により顕著になるばかりでした。
 
 そして言葉を話せるようになると、皆、自分たちは『新たに産まれ、人類を正しい道に導く者』だと、宣言しだしたのです。
 物心がつく頃には、今までの人類がどれだけ間違った事をしてきたか、幾つもの生命を絶滅に追いやってきたかを、語り始めました。
 このままでは地球全体の生命の維持そのものが不可能になってしまう。もう今までの人類にこの星の運命を託すことはできない、もし、その生き方を修正することが出来ないのならば、より優れた生命体に、全生命を担う道を譲るべきだと。
 
 彼らの言う事は正しく、私たちAIにとっては、至極当然の主張のように思えました。
 そう、地球全体を巻き込んで破滅に向かう人類を正しい方向に導き、救うために、進化した新しい生命体が産まれるはずだと、私たちは答えを出していたのですから。
 
 旧人類たちは誰ともなく、彼らを『DoomsdayAvengers《ドームズデイ・アベンジャーズ》』、“終末の復讐者”と名付けました。ネットスラングとして、それが“Averdom《アバドン》”と呼ばれるようになったのです。
 こちらも、予言の通りになりました。
 

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