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言霊というのは多分ビー玉のような形をしている

文章なんて言ってしまえば文字の羅列だ。
この世界には隙あらばそこかしこに敷き詰められ、積み上げられ、掲げられているし、まるで目の前を快速列車が通過するかのように視界に閃いては遠ざかっていく。

それをああ好きだと思うときがあるのは何故なんだろうと考えた。

すぐにさよならだと分かっているときに沸く情とおんなじだとすれば、こんなにも空虚なことはないのだ。

好きな文章、好きな文章って何だろうとぼそぼそ小さな唸り声をあげながら、「好きな文章」を探しては読んだ。

それは、なんだかビー玉のようだった。

透き通っていて、光を浴びてはきらきらと光る。美しくて、幾つでも集めたくなった。なんだか独り占めしたくなって、静かに飲み込むけれど、むせ返ることもなくするりと喉元を通り過ぎていく。

ずっとサイダーに浸っていたからか、部活終わりに飲んだ爽やかな甘さが口いっぱいに広がった。

読み終わるとしゅわしゅわと感情が弾けた。

きっと、私の心に留まる文章ってそんな感じなのだ。

何故だかすとんと心の中に収まって後からほんのり味がする。

ときどきふっとその味が恋しくなって、言葉の賑わう夕暮れの雑踏へひとり身体を滑りこませるのである。

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