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カジュアル統率者のジレンマ2 『そもそもカジュアル統率者とは何者か』

 皆さんこんにちは。
 先週の記事が零細個人アカウントとしては過去イチの反応を貰ってしまい、困惑している84gです。

 真面目な戦術記事でもないし、公共性はないぜ……?
 「統率者ってレベル調整大変だよね」って言ってるだけだし、マジでわからん……。

 ただまあ、貰った反応の中で思うところが有ったところとか、その辺りの話。
 個別にレスするのも重複するし。



『いただいたお便りのご紹介です』

 色々とご意見・ご感想をいただいた(というかツイッターとかで流れてた)ので、そこから僕の中で発展した意見とか。
 一部、「前回の記事でも言ってたよね?」って内容が含まれますが、
 その辺り、僕の文章力か、その方の読解力の都合で分かりにくかった部分は重ねて説明。

 MTGにおいての注釈文みたいなもんです。
 書かなくても良いけど、書いた方が分かりやすいなら書く。
 余剰のダメージを本体に割り振って良いし、1点で致死ダメージになるし、飛行も到達もないクリーチャーにはブロックされない。

 「前も言ってたよね」って思える部分は読解できてた読者さんなので、筆者のアレな文章を理解できる読解力が有ったとして自慢してください。
 僕も、常盤木キーワード能力を暗記していることを自慢します。
 ……でもさ、使嗾って注釈文削っちゃダメじゃない? 統率者って常に初心者入って来るし独特な挙動するから。
 (何の話?)

『Q:筆者、高レベル統率者を否定してない?』

 A:してない。
 これ、複数見たんだけど、繰り返しだけど、僕の文章力とその人の読解力のどっちの問題かと問う気はないんですよ。
 そう読めたならそれでいい。読解の統一なんてナンセンスだし。
 文章は発信された段階で読み手に委ねられるからこそ面白いし、全員が同じように読めるわけがない。

 “僕の中”では、高レベル帯ていうのは、僕の友人たちが楽しく真剣に遊んでいるレベル帯で、自然と強化していったデッキがたどり着くところ。
 ゲームとしては素晴らしいし、僕もプレイしていたけど、僕にとって(ここ大事!)最高のプレイ体験ではないので僕は退いているが、友人たちが楽しんでいること自体、否定する余地がなにもない。

 ――高レベル帯には問題もたくさんあるし、指摘もした。
 高額カードへの依存度が高い、初心者が入りにくい、参入障壁も高い、などなど。
 けど、後述するけど低レベル帯にも大量の問題があると僕は考えているし、そもそも欠点や問題があることは素晴らしさのイコールではない
 要素のひとつではあるけどね。完全無欠なものだけを愛したい潔癖症だけがこの世界にいるのではない。
 少なくとも参入障壁を乗り越えた友人たちを僕は否定する気は毛頭ないし、そのレベル帯でのプレイを辞めろということもありえないし、やりたくもない。

 個人的に残念だったのが、「筆者には向いていない」という主訴を「高レベル統率者そのものの否定」と読解する人が多いことそのものだよね。
 誰かが合わないといったところで、そのゲームの性質が否定なんてできるわけがない。
 どっかの誰かがMTGそのものがクソだと思ってもMTGをプレイするのは辞めないでしょ?
 誰かがゴジラはクソだと言っても本多猪四郎と円谷英二のコンビの偉業はブレない。
 誰かがFFなんて楽しくないと言ってもマテリアやGFやジョブに熱中した時間は消えない。
 コラボ楽しみにしてます!

 見ず知らずの誰かが自分に合わないといったくらいで否定された、否定になる、と思うこと自体がもったいない。
 そういう人は胸を張って、「お前が楽しめなくてもこのゲームの素晴らしさは俺が知っているが?」くらいの気概でいて欲しい。
 プライドっていうのはそういうことだから。
 他人がどうだろうとか関係なく、自分の見ているものの素晴らしさを信じて欲しい。
 僕が低レベル帯統率者を進めることと、高レベル帯を進めたい誰かは戦う必要もなければ、どちらかの意見に合わせる必要もない。
 お互いに最適と思えるプレイ体験を追求すれば良いし、MTGはそれができるゲームであると、筆者は信じている。

 自己啓発を安売りするインチキ教祖のような言い回しをするが、信じるということ、誇りを持つこと自体は、筆者はとても大事なことだと思っている。
 プライドを持つ、信念を持つ、っていうのはそういう意味。
 それは簡単でないかもしれない、けど、歩く道は信じてあげて欲しい。それが理想。
 高レベル帯が楽しいと思うなら、「こういう意見が流れているが、これは間違っている」と言いたいのも理解するし否定もしない。
 だが、「そういう意見もあるが、高レベル帯は面白いぞ!」とセットで発信して欲しい。
 せっかく界隈でバズったんだし、そこで高レベル帯に興味を持ってもらおうよ。なんでヘイトだけ広げるのよ。
 MTGていう共通の趣味で、楽しく遊べるという理想のゴールがあるなら、ウィンウィンは成り立つ。
 それが僕のいう理想という概念。
 僕の理想とする遊び場は高レベルも低レベルも、どちらにとっても気軽に最高に楽しいゲームができる空間のことを指します。
 そのために、高レベル帯のプレイヤーも全て同志たりえる。
 僕にはできない高レベル帯を心の底から楽しんでいる人には、その魅力のアピールはガンガンして欲しいと思ってる。
 こんにちは。インチキ教祖です。MTGを広げよう!対戦相手は多い方が良い! MTGはスゴイ! 本当にスゴイんだ!
 ……教祖っていうか、某制作チームの人っぽくねぇか……?

 あと、全然関係ないんだけど、例の晴れる屋さんのレベル区分、CHALLENGER(チャレンジャー)だと思ってたんだけど、CHALLENGE(チャレンジ)だったのね。ゴメンなさい。
 そういうところは重ねて指摘して良いんだけど、指摘は(僕が見た中では)ゼロでした。
 そういうさ、明確に間違っているところはさ。指摘してくれ……。
 

『Q:最初から仲間に下のレベル帯で遊びたいっていえば良かっただけでは?』

 A:最高に的外れであり、同時に最高に正鵠を射る意見である。

 元々、前の記事は僕がなぜか統率者が楽しくないって気付いた経緯なので、上のレベルをやりたくないって最初から答えが分かってるなら悩む必要もなかったし、そもそも高額カードを買ってなかったよね。
 その一連の流れなので、「桃太郎は鬼を退治すればいいよね」みたいなもんなので、的外れといえば的外れ。

 なんだけど、反面、すごく正論。
 僕の問題点は「好きなデッキを使って良いよ」って言い続けてたことだから。
 最初からレベルの概念を知りながら、そこを放置していたわけだからね。
 完全に筆者の問題で、なんでそれをしなかったの、って話だから。

 そもそも、7以上を楽しく遊んでいる人にそれを伝えるのって、筆者としてはすごく難しかった。
 俺が対人コミュニケーションの達人じゃないのは理解してるけど、それって平然と言えるのが当たり前か?
 捉え方ひとつだけど「お前のデッキと遊ぶと面白くないわ」の同義語にもなりかねない。
 しかも「楽しくない」の理由は相手の落ち度じゃなく、完全に筆者側の趣味に起因する。
 俺のやりたい統率者じゃないからお前とは遊ばないよ、って友達に平然と言えるのが当たり前か?
 じゃあ無言で遊ばなくなるか、無理して統率者のレベルを合わせようとするかにしようとするのって、そんなに変かな。
 同じような状態の人って他にもいるんじゃないかな、という気はしてるよっていうのが前回の記事の主旨だからね。
 再三にはなるけど、前回と今回の記事、「筆者が統率者に向いてない」っていう話だから。
 その趣向と対人下手も含めて、向いてないっていう話。
 お互いに強い方向にチューンすれば完結する高レベル帯に比べて、低レベル帯は逆にデチューンを要求されるからね。
 潔癖症な人ほど、高レベル帯の方が居心地が良いだろうし、僕自身も性質自体は強くしていくことの方が性に合ってる。
 ただ、統率者に求めることの違いで、そこで理想と僕自身の特性のギャップがストレスになっているっていう話。

『Q:統率者は勝利が最優先じゃいけないの?』


 A:いけなくない。(筆者の個人的感想)
 繰り返しになるけど、それで全員が楽しいなら何の問題もない。
 ただ、そこでレベル差で特定の誰かが他のプレイヤーが動くより前に毎回のように勝ってしまうと面白くない。
 注意点は、強いデッキを作った方には何の責任もない。敗けた方に責任がないのと同じように

 で、レガシーやモダンのような構築戦では弱いデッキが使ってる方が強くすのが自然だと言われるけど、どうして統率者だけ毎回この議論が出るのか。
 それは公式でパーティゲームであると断言されているから、と結論しても良いんだけど、そこで思考停止してしまうのももったいない。
 少し深掘りしてみましょう。

 筆者の結論としては、統率者は比較的容易に独特の強さを見せつけられるから、だと思う。
 構築戦では2枚コンボですらザラに決まらないものの、統率者本人がコンボパーツである場合、あと1枚を引くだけ。
 更に構築戦ではどの環境でも一定数存在するバーンやアグロ系のデッキが120点を削るという基本構造から相対的に弱体化している。
 構築戦においては金太郎飴構築とも揶揄される「どこを取っても強い」グッドスタッフ的なビートダウンがメタの一角を占めるが、それがない。
 いうなれば、コンボ対コンボが肯定される環境
 レガシーやヴィンテージもそれに近いものがあるけど、予算的にも競技人口的にも、統率者は両者に比べて圧倒的に参入障壁が低い。
 ――余談だけど、この言い方でヴィンテやレガシーへのヘイトであると読解するような読者が前回いたので一応注釈。その意図はない――

 結果として、高額のマナ加速カードを連打、統率者を安定着地、必殺コンボ、と高い再現性を達成するのが比較的容易。
 だが、それに対して負けるのが三人いるのである。
 勝利を至上命題とする4人が集まってしまうと、このゲームは1人しか勝利という目的を達成できないゲームになってしまう。
 勝利を目指すなら勝率25%の四人対戦である統率者よりも、最初から勝率50%のスタンやパイオニア、モダンなどの構築戦の方が勝利という目的を達成できる期待値が高いということになってしまう。
 つまり、統率者で勝利を最優先するという考え方は、前提から高いハードルに挑むことを義務付けられるのだ。

 「統率者で勝利を優先する」。
 それには論理的には、期待値の低い行動という矛盾を含むが、なんのことはない、万能であり唯一の解答は常に『統率者というゲームを愛しているから』だ。
 好きだって言っちゃえよー、告っちゃえよー。統率者のことが好きだって言っちゃえよー!
 僕もそうだ。気が合うな。
 その内、上のレベル帯と下のレベル帯で口論続けていると統率者ちゃんが「やめて! 私のことで争わないで!」って入って来るぞ。

 なにを当たり前なことを、という感じである。
 しかしながら当たり前ではあるものの、「統率者は勝利だけを追求するなら三人は報酬を得られないゲーム」ということになる。
 卓に四人必要なのに、である。
 繰り返しになるが、『四人全員が勝利というただひとつのトロフィーを目指して戦う』という高レベルのゲーム環境にはなんの文句もない。
 素晴らしい環境だと思う。

 だが、結局のところ、「高額カードを買えなかったり、買いたくない」っていう筆者みたいな層だったり、
 「そこまで真剣にやりたくないし構築済みをちょこちょこ弄って遊びたい」ていうライト層が、そこには入っていけない。
 このライト層が重要で、遊んでいる中で「強くなりすぎた」と上のレベル帯を目指せるような人は良いんですが、最初から上のレベルではEDHにハマる前に辞めてしまうかもしれません。
 遊んで遊んで、その中で「もっと高額カードが欲しい」と思うのが自然だし理想だと思います。
 低レベル帯でEDHにハマり、そして高レベル帯に登って行く、そんなコースが有ってもい良いでしょう。
 下流で泳いでいた鯉が、滝を登ってウギンやボーラスになって良いんです。
 鯉は少しずつ強くなれば竜にもなれるでしょうが、最初からウギンやボーラスと戦える鯉ばかりだと思いますか?

 下のレベル帯の人口が増えるというのは、結局のところ、上のレベル帯の競技人口の増加にも繋がると筆者は考えます。
 何度でも言いますが、筆者は低レベルでプレイしたいし、そのプレイ環境を整えたいと思っている。
 そしてそれは、上のレベル帯を否定する意図は皆無であり、敵対する気は毛頭ない。
 同じものを愛している者同士であり、そのゴールにウィンウィンが見えている以上、感情的にも実利的にも敵対するメリットがない。

 「最初から竜しかいない場所で泳げる鯉だけしか要らない」という意見もあるかもしれませんが、筆者は「どっちもいた方が楽しい」と確信します。

『Q:レベルごとだったり、グループごとに禁止カードを設ければよくない?』

 低レベル帯だったら、前回矢面に立たせたカード、《波止場の恐喝者》や《古えの墳墓》を禁止にしておけばいいよねって話ですね。
 これ、いくつか問題があって、まず第一に、『通りがかりの友達の友達が入れない』が挙げられます。
 自分のフリープレイ会はカジュアルな会なので、メンバーが友達を連れてきてフラっと遊んでいくっていうことが結構多いです。
 他にも、筆者がカドショの大会に出て、そのまま対戦相手と仲良くなって、カドショの反対側でフリープレイしている友達にそのまま紹介して遊んだりしてます。
 飛び入りの人に、アレは禁止、コレは禁止とか言いたくないし、遊ぶのが面倒。
 統率者自体は禁止推奨なので全然問題は無いんですけど、現実的に手間が多い。
 そもそも、どのカードを禁止にしても、プレイ環境が良くなるわけじゃない。
 デモコンタッサとかわかりやすいですね。

デッキがこれの信心以下なら勝利。
デッキが全部吹っ飛ぶ。

 よくカジュアル・ガチ論争の槍玉になったりしますね。
 2枚が揃うだけで3マナで突然死するため、印象が悪い人も散見しますね。
 ただ、このコンボそのものが悪いわけではない。
 具体的には固有の勝ち手段のない統率者を後押しできているんです。

単独ではかなりパワー不足な統率者だが、
相手の墓地からコンボパーツやサーチカードを拾うことでデモコンタッサで走り切れる。
無限ルーティングのルートが複数あるものの勝ちきれない。
すごいコンボに入って、そのまま流れで勝つにはこの《信託者》が理想。

 そういう意味では、独自の立ち位置のある統率者を確立するために必要なカードではあります
 コンボそのものの悪さというわけではない。
 ないのだが、とりあえず入れておけば勝率が上がるというカードであるのも事実です。
 なので、特定のカードを禁止したりするのは、統率者本来のパーティ性を阻害していると筆者は認識しますし、意味がないように思います。

 個人的にはこれらのカード採用する場合、《悪魔の教示者》や《吸血の教示者》といった軽量汎用サーチの枚数を絞る方が妥当に思えますけどね。


『BATTLE(レベル5~6)とは何者か?』


 先週も引用した晴れる屋さんの優良記事はこちら。

 要約すると、10段階で1~4の初心者や構築済みランク、『PARTY』。
 5~6のステップアップしたカジュアル帯、『BATTLE』。
 7~8のカジュアルとガチの中間層、『CHALLENGE』。
 9~10、勝利に特化した競技性の高い『THE GAME』。

 構築済みや、それと互角くらいと思われるデッキが『PARTY』。
 最適化して競技統率者に胸を張って持ち込むリストが『THE GAME』。
 で、統率者が有力でなかったり、統率者は有力だが高額カードや汎用カードの欠如、個人的な拘りなどから一歩劣るリストが『CHALLENGE』。

 この3つって、そこまで意見が割れないんですよ。
 構築済みより弱ければ3だし、大概の統率者は最適化が進めば自然と7になる。
 大会入賞リストとやりあえたら8や9でしょう。
 ですが、「BATTLE(5~6)って何?」は急に哲学です。

 これ、多分、ラーメン大盛りみたいな話なんですよね。
 0.5玉って小盛りですよね。4玉なら大盛りで良いと思います。10玉なんて言ったら、もう爆盛ですよ。
 ラーメンを主食にしている部族の筆者としても10玉は追加ライスを諦める量ですからね。
 んじゃあ、1.5玉って並盛りですか?
 店によっては、並盛りが1.5玉だったり1玉だったりする。
 
 例えが分かりにくい?
 トイプードルは小型犬、スタンダードプードルは大型犬なわけですよ。
 じゃあ、ちょっと大きめのミディアムプードルは中型犬ですかでも良いです。

 単行本2冊とかで打ち切られたら大作とは呼べませんし、100巻超えたワンピースやこち亀は間違いなく大作でしょう。
 そこで人気は有ったけど単行本は20冊ないドクタースランプや幽遊白書は大作かでも良いです。
 ちなみにこれ、初稿時にドクタースランプとスラムダンクを誤表記してお叱りをいただいています。
 スラしか合ってねぇじゃん。スゲェな、あッはッは!
  ……ごめんなさい。気を付けます……。

 MTGユーザーでラーメンも犬もマンガも、全て興味のない人はいないと思われるので、どれかは通じるでしょう。(差別的発言)
 実際、ニュアンスは通じてると思いますし、無限に脱線するのでそういうことだと思って下さい。
 ちょっと強くしすぎるとすぐに7になってしまうし、下手したら構築済みより弱い可能性すらある、それが『BATTLE』。

 今回は『BATTLEとは何者か』に焦点を置きたいと思います。
 強すぎず弱すぎずを目指すテキストとなります。


『統率者戦における再現性とは何か』


 筆者が統率者というゲームに熱中していた要素、それは再現性の低さでした。
 同じ4人が集まっても、毎回異なるゲーム展開になる。
 それこそが統率者がパーティゲームとして優れている点であり、これがあるからこそデッキに各種1枚しか同じカードは入れられない。
 最近ではシングルトン、俗にハイランダーと呼ばれる要素であり、EDHのHもハイランダーのことですね。

 EDHを代表する強力カード、《太陽の指輪》も99分の1なので、初手に出せるとは限らず、それが初手にあればラッキーな1枚。
 でもですね?

 色拘束がなく《太陽の指輪》に匹敵しうるマナ加速のカードは、一部ですがこれくらいあります。
 99枚のデッキから初手7枚引く中、色拘束のないマナ加速が複数枚ある。
 それぞれに弱点はあるものの、低リスクでマナ加速ができるという特性はおおよそ共通します。
 再現性が低いと言いつつ、実質的には色拘束のないマナ加速のある初手をキープすることは難しいことではなくなっています。
 統率者のデッキは99枚しかないものの、新しいパワーカードは年々出続けているのです。
 現状、統率者は歴代のパワーカードの上澄みの集積になっていく構造になっていきます。
 例えば《ラノワールのエルフ》はハイランダーじゃないと揶揄されることがあります。

 完全な同型再販で、他にも《極楽鳥》などを加えると固有色にもよりますが、10枚程度の1マナクリーチャーを搭載することも可能です。
 緑系のデッキを回していると1ターン目にマナクリーチャーを置くのは別に珍しくもなんともないですが、《極楽鳥》が入ってるからレベル7!なんて主張は見たことなく、マナ加速=高レベルというわけではないです。

 しかし。
 先述の《太陽の指輪》の親戚たち。
 現在の統率者のカードプールでは、高額カードを購入さえすれば、現状の統率者ではどの色でもできる状態になっています。
 緑のマナクリーチャーはカラーパイであり、かつクリーチャー除去で流される宿命。
 それが緑という色の強みであり弱みであり様式美的なものとして許されているように思います。
 黒の《暗黒の儀式》系統、赤の《ジェスカの意志》や《波止場の恐喝者》もその色の特性です。
 《太陽の指輪》は価格も安く構築済みにも必須カードのように入っていることでヘイトは集まりにくく、何より99分の1のスタートダッシュです。
 統率者においては上振れと下振れがあること自体は問題ではありません。
 毎回違うゲーム展開が起きるのが統率者ですから強い動きであること自体が直接の問題ではありません。
 問題は資金をつぎ込めば99分の1を何倍にもでき、かつ統率者ではフリーマリガンもあり、統率者自身があるので実質的な手札が8枚と1~2マリガンまでなら許容しやすい。
 《太陽の指輪》と《古えの墳墓》と2枚体制になるだけでスタートダッシュ確率が《指輪》だけに比べて倍、《魔力の墓所》も含めれば3倍のスタートダッシュが可能。

 3枚にすると再現性3倍。
 課金すると初心者の構築済みデッキの3倍のフィーバー。
 
 かといって。
 この辺りを全部入れれば、即座にレベル7なのかというと、それは違う
 例えば、1ターン目に《墳墓》、《太陽の指輪》、《魔力の墓所》、更に《印鑑》やら《メダル》、《極楽鳥》まで置くロケットスタートをキメたとします。

 手札を吐き切り、初手からのブン回り。
 他のプレイヤーは次なる驚異の出現に戦慄しながらも、「BATTLE」のデッキで対応手段が間に合うはずもなくターンを回す。
 そして《魔力の墓所》にライフを削られながらも、そのプレイヤーは意に介さず颯爽と叫びます。

「不遜なる狂気の器、我らが前に立ちはだかりし全ての愚かなる者に等しく滅び与えんために開け地獄の門! 太古のキイェルドーより降臨せよ、我が魂! 《甲鱗のワーム》っっ!」

 確実に許されます。
 むしろこれにカウンターとか吐いたら、そいつの方が人の心がないです。

 そうなんです。
 どれだけマナ加速をしても、そのゴールで盛り上がるならば、それは許されるんです。
 しかしながら、カジュアルな統率者において問題となるのは、統率者本人です。

手掛かりを大量生成できる。
本体が殴るだけでドローできる。
共闘する相方もいるので2ドローまで視野。
手札は増えないが、マナさえあれば呪文を打てる。
本来はハズレ牌になりうる土地によってドローができる。
1度攻撃を通せば最大4枚の呪文を踏み倒すマスト除去。

 統率者本人がリソース拡充能力を持つ場合、マナ加速は有れば有るだけ強くなります。
 なぜなら、統率者領域に戻る限り、マナを支払えば何度でもキャストできるのが統率者の基本原則であり、マナフラッドという概念が基本的にありません。
 統率者本人が強力なリソース拡充能力を持つ場合、汎用マナ加速は数枚入れるだけで7に近い性能になってしまうように思います。
 なぜならば、マナ加速から早く繰り返し統率者を叩きつけるというゲーム展開が毎回可能だからです。
 それがゲームのブレを取り除き、安定した勝率を導きやすい再現性の高さと呼べます。
 そのため、下レベルにとっては統率者本人の性能によって汎用マナ加速が許容される枚数が変わると言えると思います。
 極端な話、6ターン掛けて《エターリ》を着地させる分には全然カジュアルです。
 ただ、1~2ターン目に着地したら、それは「THE GAME」でしょう。
 それが50回に1回なのか、5回に1回なのかでまた違いますけどね。

 《エターリ》本人が打点が高く統率者ダメージでのノックアウトも視野に入れられるのも強いですが、
 《エターリ》とは似て非なるパターンとして、明確に本人が勝ち手段になっている場合も再現性が高いと言えますね。

人間でないクリーチャーとコレが揃うだけで勝ちパターンに入れる。
《リッチの熟達》と2枚コンボで必殺。
デッキを引き切り、あとは《タッサの神託者》なりなんなり。
白と黒が入るのでエンチャントである《リッチの熟達》をサーチしやすい。

 評価が難しいのが『リソースは拡充するが手札は増えない』タイプの統率者と『リソースは拡充するが前提が多い』カード、『リソース拡充してもアタリ幅が小さい』などですね。

墓地リソースと盤面の生物は拡充するが、手札は増えない。

 活かすためにはブリンクやコピーなどで誘発を増やさないといけない。

相手からパーマネントは奪えるが、そのために海賊を盤面に並べないといけない。

 デッキに海賊を増やすというリスクを負い、攻撃を通さないといけない手順が有る。
 リターンは有るがリスクもある統率者といえる。

手札は増えるが他のカードの援護が必要で、かつ毎ターン1枚しか増えない。

 このカードを強く運用するには宝物生成のようなカードが別途必要になるし、そこまでやっても3マナで毎ターン1ドロー。

 《サウ口》、《ベケット》、《アカル・パカル》は本気で改造すれば、問題なく7を超えるでしょう。
 しかし、逆に言えば、1枚か2枚、《墳墓》級のカードを入れても即座に高レベルというわけではないように思います。

 活躍するために墓地シナジー、海賊やアーティファクトを要求するものは、俗に「要求値が高いカード」と呼ばれます。
 《ティムナ》は自分が殴るだけでドローできるので、そういう自分だけで仕事ができるカードを「自己完結しているカード」と呼びます。

 ここまで来て、強い統率者の定義がなんとなく出そろいましたね。

 :手札がなくなってもカバーできる能力がある。
(=マナ加速カードを強く使える)
 :統率者本人が強力な勝ち手段になり、同じようなゲーム展開ができる再現性を持つ。
 :要求値が低く、ある程度、自己完結している。

 上記の内、1つも満たさないなら《太陽の指輪》以外に複数枚マナ加速カードを搭載しても許される気はします。
 1~2個を満たすなら割りとすぐに高レベルになりますので、低レベル帯では多くて3枚程度かな、という感じがします。
 もちろん、上記の条件をすり抜けて強い統率者もいますので、ひとつの目安ですね。

『筆者の愛用の統率者から分かるレベル差の弊害』


 実例として、筆者愛用の長年使っている統率者を挙げてみます。

1:マナは伸びるが手札がないと何もできない。
2:本人はトランプル付与だけなので他のアタッカーが必要。
3:改善生物がいないと何もしない=構築段階で制約がある。
1:マナは伸びるが手札がないと何もできない。
2:本人はただの5/5なので勝てない。
3:デッキに非生物を入れにくく構築段階で要求値が高い。
1:変容先の生物がいないと何もしない。
2:変容先の生物がいないと勝てない。
3:変容先の生物がいないと活躍できず要求値が高い。

 筆者が愛機と呼ぶメイン3体が全部3項目非該当。
 
そんなことある?
 ギャグみたいな話だが、この3体で無自覚に上のレベル帯を相手にしていた筆者の脳の構造そのものがカジュアルという気しかしてきませんね。
 もちろん高額カードで補強すればまだまだ強化できるけど、それが疲れるっていうのが前回の話でしたね。
 むしろ、この《ニーキャ》に《波止場》や《墳墓》を入れただけで面白さが逸したと感じていた筆者が、どれだけ下のレベル帯でグダグダ統率者をやりたいのか、というのも透けて見える気がしますね。
 あまりの結果に、他人事のように客観視するしかやることがねェな! 

 ここでも低レベル帯の問題点が出てます。
 ここでレベルを合わせろというのは「俺、弱い統率者使いたいからさ、お前の面白くない統率者を辞めて、弱いの使ってくれよ!」ですからね。
 初心者に低レベル帯をやらせるのと、経験者に低レベルをやらせるのは根本的にここで異なります。
 相手に使いたいデッキを放棄しろというわけですからね。
 この辺りで筆者が、統率者とかもう辞めた方が楽と思うのも共感は別としてご理解はいただけると思います。
 レベルを合わさせるのも申し訳ないし、自分が合わせるのも限界というね。
 タイトルのジレンマってそういう意味ですからね。
 同じような気分の低レベル帯プレイヤーだけならストレスフリーだし、その空間なら遊びたいので、もう少し頑張る……。
 頑張らないと遊べないというのが既にやりたくない、でも頑張る……うううう……。
 そんなこんなで、「統率者やりたくねぇ」と「頑張らなきゃ」が行き来して億劫になってます。

 まあ、とはいえ、上記の逆のパターンで統率者を選定すれば、低価格でも7以上にしやすい統率者を選べるように思えます。
 リソースを稼ぎやすくて固有の勝ち手段があり、自己完結している統率者なんていくらでも有りますからね。
 ――ここでお気づきかもしれませんが、『そもそもレベルを上げにくい統率者を選びたがる人種が存在する』ということです。
 逆に勝ち手段から選ぶと、必然的に2番を満たせますし、2番を満たすなら3番を構築段階でカバーすることもしやすいです。

 というわけで筆者の認識だと、《墳墓》や《波止場》で強化し、かつ安価カードとはいえ最適化してある《ニーキャ》が6~7。
 《墳墓》と《ウルザの物語》を搭載する《西樹》が6、《墳墓》のみ持つ《スペゴジ》が4~5という認識です。

 ――《スペゴジ》。
 最初に作ったオリジナル統率者で、筆者の統率者暦とイコールのデッキです。
 デモコンタッサや無限コンボを搭載してしまうと《スペゴジ》を出さない方が強くなってしまうので抜きました。
 そのため、勝ち手段がマジで殴るだけなので、構築済みと戦っても怪しいレベル。
 ――そう、筆者は勝利よりも《スペゴジ》らしさを追求したい人種です。
 青と黒が入るからとりあえずデモコンタッサを搭載しようという発想にならないというか、勝率より大事なものがあると思ってしまう人種。

 ――そりゃァ、グダります。
 《スペゴジ》で勝てる試合はグダらないと勝てません。
 高レベル帯での『グダらずテンポよく遊ぼう』なんてできるわけがない。

 パワー6なので4回パンチしないといけません。3人殺すなら12ターン掛かります。
 感染付けるなり強化するなり、他のカードで介護しないといけません。
 コイツが『CHALLENGE』帯に座ったら負けるだけだし、そもそも他の高レベル参加者からしても楽しいのかが怪しいです
 他のメンバーが拳銃で一撃必殺の戦いをしている中、当たり所が悪ければ死ぬ程度の木のブーメランを投げてますからね。

 ――この辺り、卓のレベル調整が必要な理由が如実に表れている気がします。
 《スペゴジ》は初心者勧誘の場で使うと良い感じの動きになります。
 超生命体になって猛威を振るいますが勝ち切らないし、実はマスト除去にも中々ならないのですが、除去の吐くタイミングとして結構重要にはなる。
 統率者デッキに搭載されている一発逆転カードで負けたりするので、デッドヒートのロングゲームになりやすい。

 しかし、サクサク遊びたいグダらない高レベル帯で使うと、もう何もしません。
 相手の除去を何回か喰らい、他の統率者に普通にひき殺される。
 筆者の《スペゴジ》を処理したプレイヤーが若干不利になるくらいの妨害装置になるだけです。
 高レベルデッキ相手に低レベルデッキで挑むと、除去を喰らうか除去を撃つかしかやることがなくなりがちには感じます。

 低価格・低レベルデッキで高レベルに対抗するには除去や妨害手段が増やさないと、すぐに負けてしまうものの、
 除去や打消し、妨害は統率者などの多人数戦においては慈善事業と揶揄されます。
 そりゃあ、自分が1枚使って敵ひとりが1枚損失して、残る二人は損失ゼロですからね。
 しかもピッチスペルなんて高額カードのない低レベル、かつ自力でリソース拡充できる統率者でもない場合は、除去を何回か打ってリソース切れ、除去を構えて自分の動きはできず勝ち手段はない、妨害を吐かれなかった高レベルが走り切り勝利。
 ……ナニコレ?
 
 コレ、低レベル側も消化不良だし、高レベル側からしても楽しいか怪しい展開です。
 相手が弱いから勝っただけ説すらありますからね。

 で。
 ゲームの内容よりもまず走り切って勝つのが楽しい人、自然と勝ち手段から統率者を選べる人、レベルを落としてデッキを組むという発想の人も、率直に7以上を目指すのが良いでしょう。
 その方が自然だと思いますしね。
 主戦場を「CHALLENGE」に置くと良いでしょう。
 
 逆に筆者のように勝ち負けよりも内容に拘りたいタイプだったり、イラストで統率者を決めたり、漠然と「これを使いたい」から入る人は6以下でゴロゴロしながら遊べば良いと思います。
 その内、デッキを強化していって自然にレベル7以上かもと思った段階で上のレベルに挑戦するというのがストレスがないように思います。



『統率者の特異点』


 筆者がモダンをはじめた頃から時折、聞く話がある。
 それは『モダホラのカードは使用不可能でモダンをやりたい』という意見。
 筆者はモダホラ発売後にモダンデビューしておるのでピンときませんが、
 モダホラことモダンホライゾンは、カードパワーが高くそれ以前とそれ以降でメタゲームが変わってしまったので、それ以前のカードだけで遊びたいという話ですね。
 

カスケードクラッシュの看板カード。
想起系の看板カード。
カウンターモンキーのフィニッシャー。
モンキーこと《ラガバン》やチャネラ―こと《怒りの媒介者》もモダホラ。

 実際、トップメタを牛耳る看板カードの大半はモダホラ1・2が初出のカードばかり。
 多くのデッキがモダホラでの強化を受け、むしろ強化を受けられなかったアーキタイプは苦境に立たされているイメージもあります。
 とはいえ、モダホラ系パワーカードはモダンにおいてはしばしば禁止になります。
 

最強の墓地利用カード。
0マナ8/8が手札すら使わずに繰り返し出てくる。
《悲嘆》の相棒。
幅広いフォーマットで禁止にされている壊れカード。


 などなど、頻繁とは言えませんが、それなりの枚数が規制を受けています。
 それに対して、統率者の禁止指定はかなり稀です。
(統率者は厳密には禁止推奨だが、実質的には禁止指定と同義)
 モダホラだけでなく、コンスピラシー、各種統率者デッキ、統率者マスターズや指輪物語など数多くの特殊エキスパンションのカードがリーガルとなり使われるが、禁止されることはかなり少ない。

 筆者がダーッと見たところ、エターナル環境向けエキスパンションが初出のカードの中で禁止推奨されているのは、この2枚のみ。
 統率者はどのカードでも使える幅広さが魅力であり、禁止ということ自体が不穏当というのも確か。
 この2枚もゲームを大幅な遅延を生むことからの規制ということで、やむを得ずということらしい。
 ほとんど禁止指定をしないという特性は、とある問題を生む。
 今後、パワーカードが出れば出るほど、デッキの固定パーツは延々と増えていくってことじゃね?

 統率者は土地30枚前後は、ほとんど固定パーツ。
 基本土地と特殊土地の枚数差、フェッチの枚数などで多少の前後はあるものの、大差がでることは特殊なデッキでもない限り存在しない。
 《太陽の指輪》のような固定パーツも、無色のカードに限定しても10枚程度はあるだろうし、各色にも必須パーツも増えていく。
 

 各色には「とりあえず入れたい」カードが並ぶ。
 もちろん、そこから取捨選択が入るわけだし、全部がそのまま入るわけではない。
 ただ、固定パーツや強力な候補はどんどん増えていく。禁止されないんだから。
 筆者がそれを強く意識したのは、《宝石の睡蓮》が発表されたときでした。

 つまるところ、重くて使いにくかった統率者もこれを買えば簡単に出せる!ってこと。
 まだEDHを真剣にプレイしていた頃の僕でしたが、このフォーマット大丈夫か?と率直に思ったのは覚えてます。
 重い統率者は出すのに苦労をするという個性であり、それを解決したらその統率者の魅力が減ると考えるのがカジュアル脳の僕ですからね。
 ――スーパーロボット大戦というゲームがあります。
 版権ロボットアニメ、ガンダムやマクロスみたいなのが同じ世界観で戦うゲームなんですが、
 大昔のソフトだと主役機でも使い物にもならないキャラクターが無数にいたりしてファンからは不評だったりもしたんですが、近年のものだとどれも強い、くらいのバランスになっています。
 筆者は、クソ弱くても使う、気合とアイデアで使う、ということに情熱を燃やすタイプだったので、弱い・遅いというのも個性だと判断していた節があります。

 《古えの墳墓》、《魔力の墓所》、《宝石の睡蓮》と繋げば1ターン目に7マナの統率者だって出せる。
 ちなみに3枚の総額だけでスタンダードやパイオニアのそこそこ良いデッキが組めます。


 指輪物語のリリースでも、似たような感想を持ったのも覚えてます。 

うーん、この……。

 これが進んでいく場合、競技思考の統率者の自由枠は徐々に減っていきます。
 もちろん、その中でメタゲームが回るし「THE GAME(9~10)」では大して問題ではありません。
 問題としてはギリギリカジュアルであるはずの「CHALLENGE」の採用カードが「THE GAME」との差異がなくなっていく点。
 入れる理由より入れない理由を考える方が難しいカードたちですからね。
 するとどうなるか?
 後発プレイヤーの参入障壁がどんどん厚くなっていきます。
 先達のプレイヤーたちは自然とデッキを強化していくので、意識しなければ速度はどうあれレベル7以上のデッキになりやすいです。
 (実例としては筆者の《ニーキャ》について、前回の記事を参照)

 長期間、統率者をやっているプレイヤーはそのために資金を捻出して遊べる人間が多いです。好きなんだから。
 問題は7以上を自然と遊んでいるユーザーが増えたあと、構築済みで新規参入した層は、それに追いつくカードは山積みになっています。

 『先達が苦労して買ったんだから新規層も苦労して買わないと追いつけないのは当たり前』。

 それは一理あります。間違っていません。オモチャを買うのにおカネが掛かる。当たり前です。
 ですが、それが積みあがっていく場合、どこかで新規で入る人間はいなくなるんじゃない?

 構築済みで参入した初心者さん。
 先達たちは数年がかりで強化したデッキで相手をします。
 高額カードのオンパレード。その総額はX万円。よくある光景ですが、それが数十万円、数百万円なら?
 《ひとつの指輪》とか、再録しなければ更に高額化もありえますよね。

 ――カードゲームの終末論。チープなよくある話――
 ――楽しく遊べればカードゲームの将来なんてどうでも良い――
 ――高額カードを誰も買わなければMTG自体がなくなるかもしれない――

 正解なんてないのでしょう。
 だが、筆者は何年使っていても、構築済み統率者と良い勝負ができてしまう、それくらいの統率者をやっていたい。
 冒頭の話に戻りますが、最初から竜になれる鯉ばかりではないし、その鯉に求められる能力がどんどん上がっていくって話です。

 ここで「BATTLE」が出ます。
 構築済みよりちょっと強いが、圧勝できるわけではない。
 初心者さんがその気になれば、気楽に買える数百円、数十円のカードを加えただけで追いつけるくらいのゲーム。
 そこで統率者への愛をこじらせて、その上で竜になれば良い。
 繰り返しになるけど、ゲームがグダらないと勝てない相手=構築済みを相手にして圧勝できないって、そういうことだよね。
 どちらかというと、コンボ前提のカードより、高額汎用サーチカードとかの方がデッキの高レベル化を進めるカードな気がします。

 無限や必殺コンボははあっても良い。
 しかし、その枚数が統率者含む2枚とか必要マナが3とか言うなら汎用サーチの枚数は多くできないかもしれません。

 無限もなく殴って120点与えたり、統率者ダメージを21×3なんて非合理的すぎる。
 その非合理を筆者はやりたがっています。
 再三になりますが、統率者はコンボ環境です。
 《ウィノータ》のように殴りでも高レベル化する統率者ももちろんありますし、例外もたくさんいますが、アグロで勝ちたいなら最初からパイオニアでもやっておけって話です。
 ちげぇんだよ。俺は統率者で殴りコマンダーをやりたいんだよ。統率者が好きだから。
 先述の内容に戻りますが、勝利だけを優先するなら構築戦をやった方が効率的。なにせ統率者では25%しかない勝利の期待値が一気に50%になる。
 それでも統率者でなぜ統率者で勝利を追求したいか? 平たくいえば統率者が好きだからに集約されるでしょう。
 それと同じベクトルで、俺は統率者で殴って遊びたいんだよ。

 牧歌的な統率者。それを僕は目指したいです。
 明確な基準なんてわからないし、統一するのに苦労するし、強すぎたり弱すぎたりするかもしれない。
 ちょっとずつ、楽しみながら、頑張っていこうと思います。
 今のところ、通常の統率者でプレイ環境を整えることの難しさに辟易としています。
 パイオニアEDHやパウパーEDHに惹かれてます。
 深刻にBATTLE帯は定義が面倒なので、「だいたい構築済みよりちょっと強い」くらいならパイオニアEDHを目安に、出来る範囲でやろうと思います。

 結局のところ、統率者に向いていない筆者が統率者を辞めるか、頑張るかだけの話です。
 どこかで同じ悩みを持つどこかの僕と、答えが違うかもしれません、
 ただ、同じ悩みを持っている誰かが、こうやって声を大にして良いだろう。
 




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