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カジュアル統率者のジレンマ 『統率者をやりたくなくなった話』

 今回は自己分析回。同じような状態の人のための覚書。
 元々、大好きだったフォーマット、統率者をプレイしたくなくなった精神状態の推移とか経緯。
 その辺りの自分なりの整理と言語化。
 公共性があるかは分かりませんが、僕という視点から見た現在の統率者フォーマットの現状分析とかになります。



『自己紹介』


 まず筆者こと僕、84gは店舗やツイッターなんかで他の人に声を掛けて、フリープレイ会とかをやっています。
 僕が仙台市民なので、宮城県民っぽい人だったり、店舗大会で遭遇して打ち解けた人なんかを誘って、遊べるときに遊ぼうぜ、という感じで緩くやっています。
 ツイッターのグループチャットの上限・50人が気になりだすくらいの人数で、気楽にプレイしています。
 筆者には、誰にでも声を掛ける、すぐ仲良くなった気になって馴れ馴れしくするなど、悪癖一歩手前の能力があり、結果として友人に恵まれています。
 なくて七癖を地で行くタイプなので、そんな僕を許容して遊んでくれている友人たちには感謝しかないです。
 今現在、うちのフリープレイ会で一番盛んに行われているフォーマットが統率者で、だいたいレベルは10段階で7~8くらいです。
 ガチというほど振り切っていないものの、カジュアルというにも語弊がある、くらいの状態で、真剣に楽しんでいると思います。
 自画自賛ですが、僕は自身の最大の長所を友人に恵まれる能力だと思っていて、それを確信する程には良いグループと良いメンバーだと思っています。

 そのグループで、統率者が楽しくなくなった話です。
 誰かに問題があるというより、僕自身が統率者に向いていないことに気が付いた話になります。


『パワーカードとモチベーション』


 最初の違和感は、《古の墳墓》というカードを購入して使ってみたときでした。

5000円のキズモノ特価品でした。

 いわゆるパワーカード。
 ライフのみで2マナ出るアンタップインの土地なので雑に強いです。
 1ターンに1マナしか加速できないのを、ただこれを置くだけで1ターン省略できるようなものです。
 色が出ないとか些末な問題ですからね。これを強く使えるようにカードを選べば良いだけなので。
 レガシーや統率者で用いられるカードで、近所のカードショップに特価品が有ったので購入。
 筆者の経済状況は、趣味で5000円は出せますが、考えなしで買えるほどではない、といった感じ。
 スタンダードやパイオニアで出費の多かった月なら買い渋ってたと思います。
 使ってみたらもちろん強かった。初期手札にあるだけでゲームの選択肢が広がる。
 それでその日は普段よりも強くデッキを回せたんですが、手応えがない。
 むしろ、普段より盛り上がらない感覚すらあった。
 その違和感の正体も分からないまま、数か月後、筆者は次なるパワーカードを購入しました。

旅先のカードショップで特価品7000円。

 趣味のママチャリ旅行で仙台から盛岡まで行ったときに、記念ということもあり購入。
 こちらも入れてみて回したら、初手にあるだけでゲームプランが増える。
 土地が少なくてもマリガン基準になりうるし、なるほど。強い。
 そう思いながら使ってみると、もう不思議なほどに楽しくない

 強いカードを引いた、強いカードをプレイした、盤面が強くなった。
 それで楽しくない? なんで? 自分で理由が分からなかったものの、その違和感が、自分が統率者というフォーマットから距離を置く理由でした。



『違和感の言語化』


 そのときの統率者は《ニーキャ。》
 年単位で調整してきた愛用の統率者です。

非生物呪文を使えなくなるものの、マナは倍使用可能。

 勝っても負けても自分の意志で選んだカードで、自分の愛用の統率者です。
 統率者は4人対戦なので勝率25%勝てれば平均的ですが、《ニーキャ》は20%程度だったように思います。
 厳密に勝率の統計を取っているわけではありませんが、一日ずっと統率者をしていて1回勝つかどうか、という感じなので概算、そのくらいだと思います。
 妨害手段の欠如・リソース拡充手段の不足・統率者当人がフィニッシャーたりえない、などなど欠点は目立つものの、自分で選び自分で鍛えてきた自負から楽しく使っていました。

 自分なりに工夫をしてリストを見直し、統率者のフリープレイをする都度、カードを入れ替えてきました。
 あるカードは上振れもあるが統率者の性能を引き出せない、
 あるカードは強いがヘイトを稼ぎすぎる、
 あるカードはロマンしかないがなんとか入れたい……。

 そんな風にカードを入れ替えて、これが統率者の醍醐味であるなぁ、と、とても楽しくやっていました。
 その筆者の楽しさの根源的な部分。
 《古の墳墓》を使ったときの違和感、そして《波止場の恐喝者》を使ったときの退屈さが、そこに起因することに気付きました。

 自分が攻撃に移る1ターンを捻出するためにしてきた工夫は、たった1枚のパワーカードを採用すれば、それだけで解決される問題だった。

 《ニーキャ》という統率者は、先述した通り、単独では勝てない統率者です。
 カードも引けません、トランプルや速攻すらありません、固有コンボもほとんどありません、相手を縛ることもできず、それどころか自分は非クリーチャー呪文に使用制限が掛かります。
 カード単独では何もせず、勝利するにはフィニッシャー、マナ加速、ドローソースをバランスよくドローする必要があり、更にそれらを円滑に用いるために速攻を付与する必要もあります。
 引きムラに左右されざるをえない統率者であり、その不自由な中での調整こそが楽しみであると筆者は思っていました。

 結果、筆者はマナカーブの調整、土地枚数、各カードのシナジー、速攻付与カードの枚数、リソース拡充カードの枚数と種類、フィニッシュ手段の選定と妨害カードとそのサーチ手段……。
 様々なカードを選び、調整し、取捨選択して自分で納得のいくリストを調整していきました。
 そんな統率者の楽しみだと思ってやってきたことは、なんのことはない。パワーカード1枚分以下の些末なことだった。

 殴らなければ勝てない統率者で、1ターンを捻出するためにしてきた様々なこと。
 カードごとのシナジーではなく、ただ強いカードを引いた瞬間、その構築が許容される。
 悩み選んだ1枚ではなく、ただ強いという理由で入れた1枚のカードが構築の是非を定義する。

 今まで僕がやってきたものは無意味ではない、ではないが、些末なことになった。
 “今まで微調整でやってきた作業は、全て些末で果てしなく意味の小さなことになった”
 そう言語化したとき、統率者をやる理由が揺らいでいることに気付きました。

『そもそも統率者は勝利を目指すべきか?』


 筆者の回答はイエスでありノー
 統率者とはパーティゲームであり、いわゆるガチ統率者、C・EDHと呼ばれる場でなければ、勝利とは結果にすぎない。
 カジュアルEDHの真の勝利とは、参加者4名が爆笑しながら楽しかったといえれば、それに勝る結果は存在しないと筆者は確信します。

 とはいえ。
 最低限の勝利を目指さなければ前提が成り立たないし、「勝利なんてどうでもいい」という参加者がいるなら、それは盛り上がる要素ではないでしょう。
 デッキを組んだ以上、そのデッキの良いところを見せつけて完走することも、もちろん楽しみのひとつですからね。

 この辺りで、筆者には統率者をやるジレンマが生じます。
 卓に座る以上は、他の参加者と一緒にそのゲームを最高のものにするという共通の目的と責任が生じる。
 勝利のために妥当と思われるデッキを組む必要は有り、所有している以上、最適解であるデッキを使うのが自然だと思います。

 使いたくなくても、これらのカードを抜くのは勝利のために妥当性のある行動ではない。
 それは勝利という大前提を否定したデッキとなり、相手を侮ったデッキともいえる。
 入れておけば、引くだけで楽しくないカードがデッキに入り、その状態では嬉々として回したいデッキではない。
 どちらにせよ、筆者の美学・理想とする統率者というゲームではない。
 抜いても入れても、満足のいくリストにならない。

 もちろん、パワーカードを使わなくても勝てるデッキは多々存在します。
 パワーカードと言えどそれぞれに弱点もあります。
 とはいえ。筆者の《ニーキャ》のように愚直に殴って毎回違うフィニッシャーで決めるというオールドスタイルのプランニングをする場合、
 1ターンを捻出して殴らないことには勝てないので使うべきでしょう。

 そもそもの話。
 統率者は勝率25%のゲームです。75%は負けます。
 で、裏目を引いたときに勝てないことを心配するより、走り切って勝利する目にオールインした方が勝率が高くなります。
 ビートダウンという統率者では細い勝ち筋である以上、それはなおさらです。
 2位だろうと4位だろうと同じなので、妨害手段のないデッキならば自分の勝利プランを押し切って完走すべきだと筆者は考えます。
 そもそも、パワーカードが登場するたびに『使わない理由』を探し続けることは、別に楽しい作業ではない。
 5秒で入れるメリットが分かるのに、入れない言い訳を1時間掛かって考えて、それが楽しいわけがない。
 疲れた。
 高額カードを使わない理由を考えながらデッキを組むことを娯楽とは思えない。
 ただやりたい理由がやりたくない理由を上回っただけ。僕には向いてないだけ。

 僕以外の参加者が『入れたくないから入れない』とか言ってても気にしませんし、《墳墓》も《波止場》も使っていても気にしません。
 身内はギリギリカジュアル勢というか、割りとレベルの高めの環境なので使われることは多いですし、それ自体は別に良いです。
 ただ、それに合わせるとなると、持っているのにそれらのカードを抜いてそれの差で負けるというようなゲームにはしたくないし、自分はレベルを合わせるべきだという意識もある。

 ゲーム速度を落とすべくマナ加速を絞ってヘイト系のカードを多めに採用するプランも考えてもみましたが、現在のプレイ環境は1ゲームごとを早めに終わらせて次々と回すことを好む場なので、
 ヘイト系の方向で調整するのも、僕の中で妥当性があるとも思えなかった。

 フリープレイ会を主導して得たのは、「みんな好きなデッキを使ってね」という方針が、初心者さんにとって遊びやすい環境ではなかったという気付きと後悔。
 筆者は他フォーマットでの経験から、どう工夫すれば戦えるかの最低限を知っていたものの、完全に統率者から入った人はそんなことがわかるわけもない。

 結果。
 初心者が取れる選択肢は三つ。
 1:「勝たなくても良いから遊ぶ」。
 2:「高額カードを買って追いつく」。
 3:「そのコミュニティから去る」。

 どれも筆者が求める回答ではない。
 筆者が求めるのは、4:「好きなカードを使って勝ち負けの戦いができ、気が向いたら高額カードを買う」という環境。
 もちろん、これは筆者の結論であり、それ以上のことではありません。
 ただ、同じようなモヤモヤを言語化できていない人に届けばいいという気持ちもあります。

『EDHというゲームの現状』


 《波止場》や《墳墓》を買わなくても、どのみち、どこかでEDHというゲームが自分から離れていくのは時間の問題ではあったように思います。

 99枚という上限がある中に、汎用の高額パワーカードだけが年々増えていく。
 《ニーキャ》の良いところは高額カードを採用しなくても良い理由付けが簡単なところ。
 ――それって自然なことか?――

 筆者がはじめた段階で再録禁止カードや高額汎用カードの存在に辟易としていましたが、その枚数は限りがあるだろうと思っていました。
 ……ですが、実際は毎年のように増えていく。参入障壁は厚くなっていく。
 ――自分でカードを選べるゲームではなかったのか?――

 筆者より更に遅れる後発プレイヤーには、更に高額カードが積みあがっていく。
 日々、99分の1の自由枠が日々削られていく。
 実際はどんなパワーカードも取捨選択の範囲にあるのですが、それがわかる経験を積むには何枚かは買うしかない。
 ――苦労して買っても使わない選択をするゲーム?――

 大会で優勝したリストを参考にして丸々コピーすれば余計な買い物もないかもしれませんね。
 ――カジュアルに適当に組んで遊べるゲームじゃなかったのか?――

 筆者は後発プレイヤーの中で統率者に興味を持った人をフリープレイに誘ったり、一緒に店舗大会に出たことは、何度かあります。
 何人かは今も遊んでくれています。
 そして、何人かは統率者への興味を失くしたか、カードショップでも顔を見なくなりました。
 原因はわかりません。
 直接聞き取りをしたわけでもありませんし、色々な理由があると思います。
 ただ、自分が一緒にしていたゲームではパワーカードの性能で負ける展開――少なくとも初心者にはそう感じられるような展開――を多く見ました。

 自分がフリープレイ会を主導していてやっていたのは、新規の初心者さんに遊ぼうと誘って、先達のプレイヤーたちは万単位のカードを連打して盤面を構築していく場。
 ――経験者側がなんで強いカードを使うんだ? 経験者が弱いデッキを使って勝つとかじゃないの?――
 筆者はレベルを合わせたデッキを使っていたつもりでしたが、使いたいデッキを使うという趣旨のため、他プレイヤーには冗談半分にデッキが強すぎると伝えても、所詮冗談半分でした。
 ――僕が作った場は、既に僕が作りたかった初心者を受け入れる能力を持っていなかった――

 統率者は商業的にMTGの中心になりつつあるフォーマット。
 商業である以上、商材となりうる汎用カードは出さなければならないのでしょう。

限定発売のカードが既存カードの上位互換で欲しいと思う前に呆れた。



『今までと、これから』


 そんなこんなで、こういう記事があります。

 晴れる屋さんの優良記事で、区分がかなり優秀です。

 初心者や構築済みが該当する「PARTY」(10段階だと1~4)。
 カジュアルゲームの「BATTLE」(10段階だと5~6)。
 真剣に勝利を目指す「CHALLENGER」(10段階だと7~8)。
 勝利を最優先する「THE・GAME」(10段階だと9~10)。

 上述する記事の中だと、自分は上から3番目「BATTLE」くらいのゲーム感が良いのでしょう。
 身内が上から2番目の「CHALLENGER」の感覚の人が多いので、それで疲れていたんだと思います。
 店舗大会のレベルもそれくらいのところが多いので、自分としては「BATTLE」「PARTY」くらいを1~2時間かけてゆっくりやる統率者が好きなんだと思いました。

 無限コンボも勝ち手段も薄いし、高額なマナファクトもないんだから初動が遅くて当たり前。
 付いて来れなかった――付いて来れるわけもないんだけど――初心者さんに申し訳なさを感じていた。

 統率者というフォーマットの意味が変わった。
 デッキを強化した先にあるものが汎用カードの搭載と、それに付随する財布との相談というのは、あまりにも筆者の理想とはかけ離れている。
 思うに、上のレベルを目指す人はエターナル範囲の高額カードを使えばデッキを強化できるということにロマンを感じられるかどうかな気はします。
 高額カードを苦労して買った! 強いカードを使う! デッキを最適化する!
 それを楽しいと思えるなら買えばいいんだと思います。
 筆者は、MTGというゲームでそれが度を超していると感じるので、少なくとも統率者用の高額カードをやりくりするのはもうしません。

これを引いて勝って楽しいと思える自分が想像できないなら要らない。 

 自分が所属するフリープレイのコミュニティや、よくいく店舗のレベルが自分のやりたい統率者のレベル帯より高めなので、そこに合わせて疲れていたんだと思います。
 現状、自分の身の回りのコミュニティで「THE GAME」「CHALLENGER」帯が充実しています。

 あくまで僕の感覚ですが、

 「ゲームはグダグダさせずに終わらせよう」
 

 「(CHALLENGER以上の人間の)自分たちがやっているのはカジュアル」
 このふたつの言葉は、初心者のいる空間で使って良い言葉ではないと思う。
 まず、「BATTLE」以下はほぼゲームがグダります。
 
だって、3人まとめて倒せるコンボが入ってなかったり、入っていたとしても汎用マナ加速パーツが少なく、時間が掛かる。
 コンボは有ってもそのコンボの再現性が低くて勝ちきれなかったりする。それが6以下です。
 ゲームを早く終わらせようとするというのは、もう初心者に「お前は勝つな」と言っているようなもんです。

 「THE GAME」=最上位でないからカジュアルという理論は、あくまでも自己申告の統率者のレベルとしては間違いではありません。
 ですが、そのデッキは初心者が構築済みデッキを改造したくらいのリストが持つカジュアルという言葉とは意味が違います。

 高い再現性と安定した戦術があり、それは構築済みデッキを買ったばかりの初心者には対処困難であるか、あるいは対処不能に見えるデッキです。
 それを見た初心者の反応は、「これがカジュアルなら俺はこれに合わせて同じようなカードを買うのか」です。
 高額カードを買わなくても勝てるオリジナルデッキを組める初心者はいませんし、求める方がおかしいです。

 勘違いされそうなんですが、筆者は高レベル帯で遊ぶこと自体が問題とは思ってないです。
 自分が主導するフリープレイ会でそのレベル帯が充実していること自体は、自分の行動で今まで他人だった人同士が卓を囲める機会になれており、誇りと呼べる自負でもあります。

 全員が「CHALLENGER」帯で、かつ全員が「グダグダせずにサクサク何回も遊ぼう」という意識なら何の問題も無いんです。
 ただ、唯一の問題点は、主導している人間(つまり僕であり俺であり筆者)が、気楽にレベルとか考えずに遊ぼう、と言い続けてきたこと。
 その結果として高レベル帯をやりたい参加者には居心地のいい空間になった反面、低いレベル帯で遊びたい人を排斥しかけているということを自覚していなかったことで、それが巡り巡って僕のストレスと統率者離れになっていた。

 ……と。
 そこまで考えたところで、僕がやりたいことが見えてきた。
 「BATTLE」「PARTY」帯を充実させれば良いだけ。
 今までのレベル関係なしに気楽にやろう、という方針が間違いとはいえないけれど、最適解ではなかったと気付けた。
 自分がやりたいことが見えてきた。
 少しだけ、楽しくなってきた。


『統率者が分からなくなったどこかの僕へ』



 「みんなと遊ぶために統率者のデッキが必要」。

 そんな気持ちも確かにあり、有名無実とはいえフリープレイ会のリーダーですし、
 我慢して「CHALLENGE」「THE GAME」を目指してデッキを強化し続けようと考えたりもしました。
 ただ、それはそれで僕の理想から離れていくのは明白でしたし、楽しくないなら、それこそやる意味はない。

 「EDHは楽しくなければEDHじゃない」。

 どれだけ統率者というフォーマットの意味が僕の中で変わっても、それは確かなことでした。
 もし、他にも同じように統率者というフォーマットから自分が離れてしまった人がいたとしたら、僕は気軽にできるほど完成したアドバイスを持っていない。
 そのグループの、その人の、統率者の付き合い方があると思うし、正解は多分違う。
 少なくとも、僕は統率者が理想のフォーマットではなくなっても統率者を手放すことはないと思う。
 統率者との関わり方が変わったと気付いたとき、最初、デッキを崩そうとしたんですが、愛機と呼んだデッキはどうにも気が進まなかった。
 今まで磨き続けたデッキがウソになったわけではなく、そこに確かに百枚の束がある。
 それで友達と遊ぶことまで否定する必要は、ないように僕には思えた。

 僕は汎用カードや高額カードで勝利へ最適化するEDHに向いていなかった。

 汎用カードという概念は、ただただ僕には窮屈。
 他人とは違う99分の1のカードで、毎回違うゲームがしたい。
 自分の好きなデッキを、自分の方法で強くしたい。
 ストレージから拾った使いたいカードを抜いて汎用カードを増やすゲームがしたくなかった。

 見えていなかった問題が見えた。
 自分が行きたい場所に行こう。


 それはそれとして続編が出ました。



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