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なぜ初心者はEDHを辞め、経験者は初心者を受け入れられないのか。



『結論を言おう!』

 皆さんこんにちは。
 今回はカジュアル統率者の話題、『なぜカジュアルという言葉でコミュニケーションエラーが起きるのか』の記事です。

 仮説と推論なので証明はできませんが、僕の視点から見た分析となります。
 別の視点から意見があれば、その言語化をしてもろて。

 結論から書くと、コミュニケーションエラーは統率者というゲームに対する姿勢と認識の違いに原因があるのではないかというテキストです。
 「勝利する過程のコミュニケーションを楽しむゲームである」という認識の競技性の高いプレイヤーと、
 「コミュニケーションを楽しんだ結果、勝者が決まるゲーム」という認識のカジュアル性の高いプレイヤーが混在することによる齟齬を分析します。

 競技性の高いプレイヤーがそうでない初心者を排斥しやすく、
 結果としてコミュニティに競技的プレイヤーの比率が増していき、多様性が失われていくといくという推測の言語化となります。

 どういうことかというと……記事を読んでください。

『引用物の紹介です。』


 前提となる記事はこちら。
 公式の統率者=EDHのレベル分け、並びにカードショップ晴れる屋さんの提唱するレベル管理の記事です。

 今回の記事では、便宜上、前者の記事における9~10を後者の「THE GAME」、
 同様に7~8を「CHALLENGE」、5~6を「BATTLE」、1~4を「PARTY」として扱います。
 厳密にはこのふたつの指標は対応しているわけではないのですが、概ねにおいて近いものであるため、そのように扱わせていただきます。





『勝つまでの過程を交流するか、交流の結果として勝利するか』


 少し筆者の自己紹介にお付き合いください。
 筆者は対戦経験でいえば、統率者戦は百人とは遊んでいますが、二百人とは遊んでいないくらいかと思います。
 経験豊富というほどではありませんが初心者というわけでもないでしょうし、中級者を自称しています。
 元々、EDHはカジュアルに遊べる気楽なゲームとして先達のプレイヤーにたちに誘われ、《ガルタ》を経てオリジナルデッキ、《スペースゴジラ》を握って色々な場に出向くくことになります。

 卓を囲み、友人や初対面の相手とカードを通し、カードのことを語り合う場としてEDHを行い、感想はひとつ。

 EDHとはなんて楽しいんだろう! 構築とは違うMTGの全く新しい体験!

 率直にそう思いましたし、それが間違いだとは未だに疑っていません。
 そしてフリープレイ会を発起して作り、休日のたびに友達とEDHを遊び、そこに新規の人を呼んで会を広げるというのを繰り返していました。

 ただし、ここにひとつ、他のプレイヤーと隔たりがあることに最近になって気付きました。
 筆者がEDHにおいて楽しいと思ったのは、一つの盤面を共有して、そのことについて言語的にはジョークを交え、非言語的にカードで語り合える場。
 互いに練ってきたアイデアをカードという形で出力して行うゲーム。
 筆者のEDHに抱いていた感覚を例えるなら、水鉄砲の撃ち合いです。
 お互いのアイデアが絡み合うことで生み出す乱痴気騒ぎを楽しむ。
 中には絵の具を入れた水鉄砲を持ってくるヤツ、二丁拳銃をするヤツ、水鉄砲でヌンチャクゴッコをしだすヤツまでいても良いんです。
 結果として勝利者が出ますが、正直、それが自分である必要は皆無であると無意識に感じていました。

 そう。ここ
 筆者は「統率者戦における勝敗とはただの結果であって、ゲームの本質としてはどうでもいい」という考え方で遊んでいました。
 とはいえ、それをゲームの場でわざわざ宣言することはありません。
 なぜなら勝利をするためにしているゲームですからね。
 口に出したところで盛り上がるわけじゃないし、みんなもそんなもんだと思っていたので、わざわざ確認する理由がない。
 水鉄砲で撃ち合い、一番濡れなかった人が勝ちというドンチャン騒ぎをしているような感覚。
 別に僕は水鉄砲を打ちたいのであって、別に負けたとしてもその過程で大笑いしていれば一向に構わないのです。
 ズブ濡れになって終わったとき、「一発も当たらずに終わった!」という人がいたら、「おめでとー!」といって笑い合う。
 それが僕の考えるEDHの楽しみ方なんですが、それが少数派であると最近になって気付きました。
 あくまで体感ですが、「どうすれば水鉄砲で勝てるか」を考えているプレイヤーの方が多いように感じます。

 というか、後述しますが、EDHに勝利を求めないプレイヤーは中長期的にはEDHをプレイし続けるのが難しくなるので、
 相対的にEDHに勝利を求めるプレイヤーが増えていくんだと思います。

 もちろん、筆者も最低限勝てるようにはデッキを組んでいます。
 そうしないとコミュニケーションが成立しません。壊れた水鉄砲では遊べませんからね。
 みんなが遠くまで飛ぶ水鉄砲で撃ち合いたいというなら、それに合わせてちょっと良い水鉄砲を用意するためにデッキを組みます。
 僕のだけ水が出なかったり、タンクが小さかったら相手にしていてつまらないでしょうしね。

 つまり、筆者は「コミュニケーションを取るためにデッキを強化」していたんですが、「ゲームに勝利するためにデッキを強化」しているユーザーが多いようなのです。
 便宜上、筆者のような「コミュニケーション前提」を交流派
 大多数と思われる「勝利前提」を実戦派とします。

 勘違いのないように注釈しておきますが、もちろん、筆者も勝利を目指すこと自体が悪いこととは思っていませんし、むしろ多数派であると認識しています。
 「9~10(THE GAME)」というのはそういう思考の元で遊ぶゲームだと思いますが、最上位のパワーのデッキを持ちながらも交流派的な感覚を持っている人もいるでしょう。
 ヒャクゼロではありません。
 所有デッキと本人の嗜好が必ずしも合致するとも限らず、かつ明文化するには人間の趣味趣向は複雑怪奇。
 厳密な分類は到底不可能であるという前提の元、読み進めていただけると幸いです。
 (またSNSで曲解した人が石を投げてくるんだろうなァ、という諦めを含みつつ

 で。
 勝利を目指しつつ好きな統率者を使いたいという場合、「7~8(CHALLENGE)」辺りだと比較的コミュニケーションエラーが少ない印象があります。
 勝利を目指しながらも、好きなカードを使う。
 ある程度最適化したり、その統率者に固有の勝ち手段がある場合、マイナーな統率者でも「7~8(CHALLENGE)」まで押し上げることは比較的容易です。

 で。問題は「5~6(BATTLE)」なのです。
 実戦派が「勝利をするにはこれくらい使いたい」と組んだリスト、
 交流派が「カジュアルなんだから緩めにしとくか」で組んだリストでかなり差が出てしまう。

 ここ、本題。
 元々競技的ではないレベル帯で、ある程度の競技的な遊び方をしたいプレイヤーが構築した結果、コミュニケーションエラーが生じるという現象ですね。
 メインで遊びたいのが「7~8(CHALLENGE)」の実戦派プレイヤーは、「勝利体験は欲しいが9~10ほどではないからカジュアル」という言い方になり、
 「5~6(BATTLE)」層と戦う場合は、勝利体験ができるのでデッキパワーを落とさないし、
 落とすとしても「交流派の5~6を相手に勝てる5~6」を組みやすいので、結果的に「強めの5~6」を仕上げやすい。強さの上限ギリギリを狙ってくる。

 繰り返しですが、少なくとも筆者の周囲においては実戦派はEDHプレイヤーの大多数であると認識しています。
 だから、現実的にレベル帯管理において「5~6(BATTLE)」帯が荒れやすいという話であるのだと思います。

 以前、交流派である筆者が公式基準や晴れる屋基準をそのまま読解して『これくらいが「5~6(BATTLE)」』として提出しました。
 すると、友人との会話やいただいた意見の中で最も多かったのが、84g(筆者)の言っている「5~6(BATTLE)」とは「1~4(PARTY)」であるというものでした。
 まあ抽象的なもので「感じ方が違いますね」で終わっても良いんですが、全体の意見の中で比率としてその指摘が多すぎる。
 

 前提として『運が良ければ早く終わるが明確な勝利パターンはあるが勝利に時間が掛かる』で、『強力なコンボを搭載して勝利を意識しだした』辺りなので、
 日本語としては「5~6(BATTLE)」になるように定義したはずなのですが、これだと弱すぎると思う層が一定数いるらしい。
 それ自体は読解と説明の差異の話なんですが、多すぎる。

 ここで「日本語読めねぇヤツがいっぱいいるなァ」で終わるわけにいかない。それじゃあ、それこそコミュニケーションにならない。
 つまるところ、実戦派のやりたい(やってもいい)「5~6(BATTLE)」の強さの下限値を割っている、ということのように思えるし、これが「5~6(BATTLE)のレベルが合わない」の要素の一つだと思う。
 レベルを下げても勝利体験を求める層と、そもそも勝利に重きを置かずプレイしたい層だから、そりゃ意見が分かれる。

 で。
 今回の文章の主旨は、実戦派や交流派の非難や分断ではない。
 まずは、各自が自分自身のスタンスを理解するための言語化である。
 各自が自己のスタンスを客観的に理解する。相互理解の基本である。

『で、結局何が起こる?』


 まず、実戦派と交流派の差分を僕の感覚から定義化を試みたいと思います。
 別に答えとかありませんが、方針としてどっちが近いとか、自己認知として気楽に「どちらかといえばどっち」とやっていってください。

 1:印象に残っているのは、
 実戦派:自分が勝った(負けた)ゲーム。
 交流派:対戦中の雑談。

 2:ロングゲーム(グダグダ展開)は、
 
実戦派:早く終わらせたい。
 交流派:会話する時間が増えるし苦じゃない。

 3:理想的なゲーム展開は、
 実戦派:やりたいことをやり切って勝利。
 交流派:4人全員に見せ場があるデッドヒート。勝敗は二の次。

 4:カジュアルデッキを構築中、投入するカードをどちらにするか、どっちでも良い気がするが、
 実戦派:少しでも勝率が高いと思われるカード。
 交流派:対戦相手のリアクションが面白そうな方、珍しい方・マイナーな方。

 5:空間に身内が5人いて卓を囲むのに余ったひとりになったので、
 実戦派:次のゲームは俺だからな!
 交流派:ジュース買ってきて観戦しながらヤジ飛ばすわ。入っても良いし入らなくても良い。

 6:カジュアルプレイの中盤、ひとりは倒せそうだが、さて……。
 実戦派:倒せるときに倒すのが常套手段。
 交流派:楽しいことをしてくれそうだから、他を殴るか!(これが敗因になっても気にしない)

 7:カジュアルEDHに勝利!
 実戦派:運も有ったし、調整した成果が出た! やったぜ!
 交流派:ヘイトが向かなかったし、巡り合わせよね。お疲れー。

 8:カジュアルEDHに敗けた! じゃあ次は……
 実戦派:次は俺が勝つ番だ! もう一回!
 交流派:楽しかったなァ。次は何やる?

 9:複数個のデッキを作ることにしたので、次に作るのは、
 
実践派:違う勝ちパターンがやりたいな。
 交流派:色んな人と遊べるようにレベル帯分けるか。


 まあ、ケースバイケースですが、筆者はほぼ交流派です。
 いくつ該当したらどっちとか、そういう具体的な指標は出せないんですが、なんとなく自分がどっち側かの目安として。
 上の例を見てわかる通り、別に実戦派は悪いことを思ってないんです。
 むしろ、勝敗のあるゲームで舐めプとも取れるような思考パターンをしているのは、筆者のような交流派の方です

 じゃあ、何が起こるか。
 まず、実戦派は傾向として低レベルのデッキを作りたがりません
 主戦場が「7~8(CHALLENGE)」の実戦派なら「5~6(BATTLE)」は勝率が下がるので作りたがらないし、
 作ったとしても「これぐらいいいだろう」で強めに調整する傾向があるように思います。
 なぜなら勝利体験がしたいので、自分の描いた勝利のパーツを削ると楽しめない話になる。
 で、結果として、実戦派は構築済みデッキを回しているような初心者相手にも「7~8(CHALLENGE)」を使うという挙動が発生します。
 
または、『任せな!「5~6(BATTLE)」を持ってきたぜ!』といった直後に高額パワーカードが連打されて初心者のデッキを叩きのめしたりするわけです。

 これは僕のフリプ会で実際に何回かあったりしたんですが、このときの筆者は「勝利よりも相手にレベルを合わせることを優先するのは当たり前」という認識でいるので、
 単純に「コイツは何やってるんだ?」と理解すらできない状態でした。
 交流派の筆者からすると、とりあえず『コイツがいるときに僕はもう初心者を連れてこれないし、なんなら一緒に卓囲みたくねぇな』とは思うわけで。
 この辺り、僕の側にも相手への理解が足りてませんね。
 

 で。
 『実戦派って悪い派閥だなァ』で終わったら何も進まない。
 問題はここからです。

 じゃあ、この実戦派さんは「趣味で遊んでいる統率者というゲームで他人にレベルを合わせるために回したい最適解ではないデッキを自腹切って揃えるべきか」という話になります。
 そうなんです。
 「5~6(BATTLE)を強く作りすぎちゃう問題」も、根本的に自分が回しても良いと思うリストを作っているからであって、
 初心者に合わせるために弱いデッキを作って貴重な休日を削って新人勧誘に付き合え、というのも話として破綻しています。
 そんな会、誰が楽しいんだ。
 回したいデッキを遊べずして、なにがフリープレイか。
 
ジレンマ。
 筆者のスタンスとして身内にレベルを下げろと発信したくない根本がコレです。
 なので、結果的に『他人と協調してデッキレベルを合わせたり、他の人が組みやすいパワー帯・価格帯でデッキを組む』という近い感覚の人としか統率者を遊びたくない、というくらいにメンタル的にギリギリになっています。

 さらに言えば、実戦派はレベルの合う実戦派相手だと延々統率者を楽しめますし、
 交流というゲーム外の要素に魅力を見出している交流派よりも真っ当にゲームに熱中しているとすらいえます。

 とどのつまり、交流派と実戦派の住み分けさえできれば、何の問題もないっていうシンプルな帰結へ。
 そもそも、新規の初心者さんが将来的に「7~8(CHALLENGE)」をプレイしたくなったとき、その受け皿としてコミュニティに実戦派がいるのはプラスにこそなってもマイナスでは決してないんです。

 ちなみに、「じゃあ初心者相手のときだけ構築済みを回せば良いんじゃない」って話なんですが、
 コレはなくはないんですが、僕は解決策になっていないと思っています。
 というのも、じゃあその初心者さんが次に組んできたデッキが、「5~6(BATTLE)」だった場合、相対できるデッキが存在しないんです。
 そもそも、実戦派がデッキパワー不足のデッキを回すのが楽しい体験なのかって話ですし、結局、実戦派には自分の回したいデッキを回してもらうのが一番なんです。

 それで初心者がデッキレベルを経験者たちに合わせて一気に上げざるをえないのも問題です。
 実際問題として、コミュニティに所属はしているが、デッキレベルが高い相手に合わせるために無理のある構築をしている人というのも見たことがありますしね。

 ここで排斥されやすいのは「高額カードを使わない実戦派」と「高額カードを使わない交流派」ですね。
 高額カードを使わない理由は、経済的理由・家庭環境・個人的ポリシーなど様々ですが、長いので『安価実戦派』並びに『安価交流派』と呼称します。
 安価実戦派は、安価なカードで勝てるように工夫してデッキを組んだりしますが、結構無理な構築や制限があり、窮屈なゲーム体験になる傾向にあるようには思います。
 自分が組みたいデッキではなく、スタートが先達たち相手に勝てるデッキパワーのデッキ、ですからね。
 筆者からすればカジュアルと呼べる環境ではありませんし、こういう環境に初心者を誘いたくはないですね。
 それ自体も楽しいと思える安価実戦派の方なら良いプレイ環境だと思いますが、呼んでみなくてはわからない、は無責任が過ぎる。

 安価交流派は、レベルを上げてプレイするモチベーションがそもそもなく、ただコミュニケーションというよりデッキパワーの差で負け続けるだけのゲームをグルグル繰り返すだけならコミュニティから離れやすく、そのまま統率者を辞めることも多い気がします。
 筆者のように「勝利? 割りとどうでもいいわ」って層を10:0で勝利軽視とするなら、
 7:3くらいの勝利軽視の人からすれば、負け続けるゲームはさすがに面白くないわけですからね。
 別のコミュニティを探すモチベーションもなければ、そりゃそうなりますよね。

 根本的に実戦派は、特に安価交流派の存在を認知しにくいように思います。
 自分の楽しいEDHを追求できているし、勝てないなら改造すればいいじゃないかと考える。
 ある意味で健全なMTGプレイヤーで、競技的な考え方をします。
 勝つのが自分の実力なので、敗けたのは相手の実力という考え方をしやすいので、安価交流派がデッキ改造をせずに統率者を辞めることが共感しにくい。

 結果として、交流派の筆者からすると、実戦派のメンバーばかりが揃って遊び続けるフリープレイ会が出来上がった。
 そのことに関しては自負も誇りもあるが、結局、新規の安価勢を受け入れる能力が失われていることに気が付き、手の打ちようがない状態になっているわけですね。

 そのことについて誰が悪いというわけではないんですよ。
 馴染んだ人が残り、馴染まなかった人が去った。
 今度は、発起人である僕自身が「馴染まない人」になった。

『僕の話』

 もし、「合うコミュニティを探す」ほどにEDHにハマれていなかった初心者が、筆者に声を掛けられて最初に遊んだのが僕のコミュニティだったなら。
 そこで実戦派と熱量の違いでEDHにハマれず、そもそもEDHを諦めてしまったら。

 ――自分が声を掛けず、他の場所で遊んでいたなら、自分なりのEDHの遊び方を見つけられたのではないかと考えると、人を誘うのが怖い。
 その人がEDHを続ける道を自分が誘うことで絶つのではないか、その考えが頭から離れない。

 友人には考えすぎだと言われたし、出会いは一期一会で全部好転するわけはないと分かってもいる。
 僕が誘ったことで馴染んで遊び場にしてくれている友人もいる。
 自分のやったことが全てがマイナスでないのはわかっている。
 わかっていても怖い。僕は幸運だった。楽しいEDHをできた。だが不幸な出会いをさせたくない。
 せめて、理不尽な差がない交流派的な構築をした「5~6(BATTLE)」の卓を担保できなければ、人を誘うのが、ただ怖い。


『じゃあどうすれば良いのか?』


 実戦派だと思った人は、TPOに合わせてレベルや楽しみ方を変えられるかを考えてみて欲しい。
 勝率が高くない下のレベルのデッキを作りたくないのであれば、それはもう仕方ない。
 もう、「ガチでやりたいです」って言った方が良い。
 7~8を嗜好する勢は、「俺はカジュアルだぜ!」よりも「C・EDHほどじゃないけど本気でやってるぜ」とか、スタンスを明確化した方が良い。
 この層が「カジュアル」を名乗るのはコミュニケーションエラーしか呼ばない。

 交流派だと思った人は、自分が意外と少数派であることを知ると良いと思う。
 みんながそうではないし、レベルを合わせたりしない実戦派に対して苛立つのは無駄なことである。
 そういう楽しみ方をしている人たちで、何かを強制してしまったら、それは多分、楽しいEDHではない。

 で。
 その辺りを僕の心の中で整理できないままだったとはいえ、皆が遊べるようにチューニングしたつもりのルールが、先述したゴロゴロEDHだった。

 割りと真面目に「これじゃ遊びたくない!」って意見が外野からめっちゃ来た。
 まあ、遊べと言っているわけではないので、ご自由に。僕は公式でもなんでもない叩き台を置いてるだけだし、そこで『コレは1~4(PARTY)では?』って意見がでたからこの記事が発生しているわけだし。

 僕としては実戦派側に率先してハウスルールを発信して貰えば良いと思うんだけど、問題は実戦派は通常ルールに不満を持ちにくい。
 なぜなら勝てなければ勝てるように調整するだけだし、他のプレイヤーもそうすればいいと思ってるからね。
 つまり、危機感を共有しにくく、かつ満足度が高い側なんだよね。
 それに対して苛立ちやすい交流派っていう構図。

 改めて交流派は、疲れてもしょうがないし、結局、自分がそのコミュニティから離れるのが手っ取り早い。
 他のカジュアルコミュニティを探してみて欲しい。

 実戦派の人は、周囲に自分と同じ感覚のプレイヤーと遊び続けると平和だと思う。
 ただ、もし、そこで仲間を増やしたいと思ったならば動いてみるべきだと思う。


当記事はファンコンテンツ・ポリシーに沿った非公式のファンコンテンツです。
画像はMTG日本公式より引用しています。
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題材の一部に、ウィザーズ・オブ・ザ・コースト社の財産を含んでいます。
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