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それが、ワタシに教えてくれたこと~海外経験編~

久しぶりのリアルなマラソンレース、気持ちよかった。
サルの親子が道を横切ったり、スラムの子供たちが座り込んでいる脇を走ったり
インドのマラソンは日本では味わえないことばかりです。

ランニングの、自分の身体を使って、記録を作っていく感覚って何とも言えない面白さがあますよね。
食べるもの、身体のコンディション、日々の練習、メンタル、全てを上手く調整しての結果。
体調管理にも一層力が入る、とってもいいサイクルだと思います。

今日は、先週お風呂に入りながら思いついたネタをお話ししようと思います。
英語圏に留学経験がない私の、各国で学んだことを国ごとに紹介したいと思います。

振り返りすること

書きながら思ったのは、振り返りの大切さ。
中学生の頃は何かと「振り返り」をさせられて、何を学んだかとか記録に残したりしていた。
でも高校、大学、社会人になると強制的な振り返りはなくなった。

その時自分が何を得たのか、どう感じたのか
明確にしなければ曖昧な記憶になってしまう。
「良かった」「楽しかった」「辛かった」それだけになってしまうのは勿体ない。
改めて振り返って、もう一度感じることが学びに繋がると思います。
(私はそうだったので、お勧めです)


タイ留学がワタシに教えてくれたこと

・年齢、タイミングは自分次第であり、皆一緒はないこと。

・結果は自分の努力次第、場所を変えるだけでは何も解決しないこと。

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「当たり前という概念からの解放」

大学三年生の冬から半年間、タイの大学に留学しました。
元々英語は得意ではなく、ただ父親が仕事で海外を飛び回っており
海外の存在は身近だった。
大学三年生の春に「何か大学でやり残したことはないか?」と自問自答した時に浮かんだのが「留学」だった。

情報収集もあまりせず、父親に相談。知り合いがタイの大学で教授をやっていたので、紹介を受け、留学できることになった。
なとなく、海外での生活とか、英語ができたらいいな、くらいの気持ちだった。元々英語の成績は良いほうではなかったし。

留学先に来ていた外国人はドイツ、フィンランド人が多くてしかも年齢が様々だった。
すでに社会人の方もいれば、奥さんと子供を母国に残してきている方もいた。それにまず衝撃を受けた。日本の王道は、留学=学生のすること。だと思っていたから。
国によって考えかたが違うんだ、と身をもって感じた瞬間だった。


「結果は自分の努力次第、場所を変えるだけでは何も解決しないこと」

正直タイは英語圏ではないので、授業以外で英語を聞く機会は少ない。
タイ人同士の会話はタイ語で、「何の話しているの?」ときくと、
英語で要約した内容を教えてくれた。
いやいや、海外留学の「いわゆる英語のシャワー」(たくさんの英語を日常的に大量に聞くこと)
が、全くない。。。

もちろん他力本願のその恩恵を期待していた私の英語力は、まったく伸びず。
悶々とする日々が続く。
そんなある日、二日酔いのドイツ人に言われた一言
「君って僕たちの言っていることの半分も分かっていないよね。分かったふりして頷いているけど。もっと勉強したほうがいいよ」すごくショックだった。もっともなことだし、自分でもなんとかしないと駄目だと思っている矢先のこれだ。
分からなくても、なんとなくにこにこして頷く悪い癖が完全に、見透かされた瞬間。

正直ね、英語でコミュニケーションするのがとても怖くなった。
彼は何も悪くないけど、ドイツ人やほかの留学生を避けるようになってしまった。
できるだけ人に会いたくないと思ってしまった。授業以外は部屋にこもって勉強する日々が始まった。
友人や親には弱音は吐けない。できるだけ楽しそうな写真をFacebookにUPしよう。
完全に心がおれないように、なぜか私は全力で「普通」を装った。

とにかく集中して、相当勉強した。それがその後英語力向上に大きく影響することになった。

辛い時期だったけど、でもそれでよくわかったのは、場所を変えても変わらないことは変わらないし。
本気で変えたいなら、努力を惜しんじゃだめだということ。
(そもそも英語圏じゃないところで英語を習得しようとしたことは置いておいて。)
どうにかなりたいなら、どうにかする努力をしなければ、誰も何もしてくれない。

結局自分次第ということ。


フィリピンがワタシに教えてくれたこと

・明るい人が得をする。オープンでいることの大事さ。
・他人を思いやるために自分を思いやること

フィリピン

「明るい人が得をする」

タイ留学後に英語を使ったワークキャンプというプログラムに参加した。
英語を使いながら、社会問題を肌で感じ、学ぶという内容だ。
フィリピンはスペインの植民地時代があってか、東南アジア独特の暖かい気候のせいか
かなりラテンな国民性です。
楽観的で、なんくるないさ~的な。とりあえず踊っとくかみたいな感じです。

彼らはとてもコミュニケーション能力が高くて、ホスピタリティにあふれてます。
ワタシはタイ留学後にその国に入ったので、その気質にとても驚きました。

数日過ごしてから思ったのが、
言語ができるできない以上に、
面白い人、明るい人が彼らを引き付けて輪を作っていることだ。
自分を見せることで相手の警戒心をなくして、相手も心を開いてくれる。
そもそもそこまで社交的でない私も、待ちの姿勢を辞めて思いっきり自分をさらけ出してみた。

面白いことに、どんどん輪が広がって、あっという間に溶け込んだ。

あ、明るいほうが得だな。そう思った。
静かにしていること、目立たないようにすることが私にとっては安全で、
波風の立たなくて、正義だと、強く思っていたけどそうじゃなかったかも。そう感じた瞬間だった。

元気印のキーちゃんはここから始まったのかもしれません。


「他人を思いやるために自分を思いやること」

フィリピンは8割以上がキリスト教の国です。
信仰心は厚く、日常にも浸透しています。

その中で感じたのが、誰かのために何かをするという姿勢の強さ。
キリスト教の教えで、「隣人愛」というものがあります。
※「隣人を自分のように愛しなさい」という意味らしいです。

これがとにかく生活になじんでます。
彼らは何かとおせっかいで、とても相手を思いやる気持ちが強い。
それと同じくらい自分のことも大好きなんです。
Facebookで友達になると、ほぼ毎日彼らのセルフィーをみることになります(笑)
自分を好きで、自分を認めていて、それと同じくらい他人に愛を注げるんじゃないかな。
なんて、勝手に解釈しています。

日本人は極端に自己肯定感の低い国なので
フィリピン人の国民性とのギャップは大きいと思います。

ヒトのために自分を犠牲にする。それが、美徳になっているのが日本の考えで私もそれは正しいと思うことが時々あったりします。

そんな自分がフィリピンの地で、彼らと寝食ともに12日間過ごすことで気づいたこと。
自分を認められない、自分を愛せない人に本当に他人を愛せることができるのか。自分をもっともっと好きと思ってもいいんじゃないか?ということです。

別にそれを公言する必要もないけど、
自分をもっと肯定してあげることが、結果的に他人を受け入れて、愛せることにつながるんじゃないかと思うんです。
まだまだこれは検証中だけど、私はそう感じました。

英語を使ってコミュニケーションをとる面白さ


カンボジアがワタシに教えてくれたこと

・看板を下ろした自分には、何もないということ
・自分は何も知らない、何もないこと。

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「看板を下ろした自分にあったもの」

大学卒業後に私はすぐ就職しませんでした。
タイ留学を経て、働くってなんだ?という中二病的な疑問が浮上し
納得できないまま就職したくないというわがままでのこと。

卒業して、半年間は長野の農家でバイトをして
その後にカンボジアでインターンしました。
海外での就業に興味があったからです。

卒業後の自分には大学名も、企業名もなく、名前の前に肩書がありませんでした。当たり前ですが。
ただ、私がワタシだというだけでした。

自分で選んだなりにも、多くの友人とは違うことをしていたので
少し不安に感じたりする時期ももちろんありました。

そんなこんなでカンボジアに渡り、約半年間インターンをしました。
そこで働くことでさらに自分の肩書の無さを強く意識しました。
肩書を無くした時に自分には何があるんだろう、
そう考えてみたら、何もありませんでした。

ただ明るい、活発な若い女性。それだけ。

そう認識した時に、自分の強みとか、稼ぐ力とか、何か価値を探したくなりました。
私はそんなにできる子でもないので、自分で起業するとかそういう考えもなくそれなら一回就職して、働くこと、自分で稼ぐことをまずできるようになろうと考えました。

自分のバックに何も無くなったとき、
自分のバックに何かを構えるために、何かできるようになろう。

そう思えたのは、物理的に後ろ盾を0にしたからだったと思います。
大きな成果じゃなくてもいい、小さい気づきでも
それが次に活かせればいいと思ってます。

インドがワタシに教えてくれたこと


・まずはトライしてみる精神
・何もないところで工夫して最大限楽しむ
・自分で考え、行動し、主張すること。

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お待たせしました、インドです。
これは途中経過なので、全てを書くことは難しいですが
現状学んだことを書いていきます。

「トライトライトライ」

とにかく、まずトライすること。
これってすごく簡単そうに見えて、できている人は少ない気がします。
なにか言い訳して、やめたり、諦めたり。

インド人はその点凄いです。
「このメニューはできなのか」「このやり方は通せないのか」
「例外はないのか」
とにかく、不可能、無理。という考えがないのか、それとも図々しいのか。
日常的にこんな調子なので、インドに住んでる外国人のワタシも
知らないうちに、そのトライ精神が少しずつ身についてます。
日本だったら、「そこにあるだけ」「メニューが書いてあるだけ」が当たりまえで、
トライすることもしないのに。

きっとインドの人は日常からこういう精神だし、仕事でもそれが延長線になっているんだろうな。


「何もないところで工夫して最大限楽しむ」

まだまだ発展途上の国、インドは日本と比較し娯楽が極端に少ないです。
生活インフラもまだまだなこともあります。家の不具合もあります。
便利すぎる日本からくると、さらにそれを感じます。

ただ、ここに住んでいると無い中でどうするか、
少ない中でどうするか。
そんな工夫の精神が育ちます。
私は結構こういう考え好きなんです。
身体が不自由だったり、体調不良だと、この不便さは堪えるものがあるのだけど。
無い中の幸せを見つけるのも、なかなかいいもんです。


「自分で考え、行動し、主張する」

これは仕事に関係するのですが。
人材紹介のお仕事って、自転車操業の部分もかなりあって
何もしないと何も動かない怖いお仕事なんです。(当たり前か)
何もしないというのは、自分でとにかく能動的に動いていかないと、求人も増えないし、候補者も集まらない。
特にまだまだ設立間もない拠点だと認知度も低く、勝手に仕事が入ってくることはないです。

どうやって仕事を増やすか自分とチームで考えて
とにかくトライ。

人材紹介のビジネスモデルってとてもわかりやすくて、
在庫を持たずに始められます。

候補者を口説いて、企業の魅力付けをして、志向性を磨き上げる。
企業の課題に人材の力でサポートできれば、採用いただく。

大手で、すでに出来上がっている拠点だとお得意様がいて
なんとなくオーダーがもらえる。そんなフェーズの拠点もありますが
インドはまだまだこれから。


どうやったら、候補者にインドの魅力が伝わるか。
どうやったらうまく採用のお手伝いができるか。
どうやったら自社の存在を知ってもらえるか。

なにからなにまで、自分たちで考えます。
ベンチャー企業みたいですね。
でも、だからこそ自主性も育つし、やりたい、やろうという主張も増えました。

「主張してなんぼ」

主張といえば、インドで仕事していると、
主張の大事さを感じます。

何も言わなければいないと同じ。

打合せでただ座っているだけだと、本当に空気みたいな存在ですね。
どんどん主張しないと、置いていかれます。
インド人の弾丸トークに、主張全開で自分の意見をぶつけに行きます。
インドに来るまではそんなこと、できるようになるとは思いませんでした。
でも生き抜くためには多少の強引さは必要ですね。

インドはまだまだたくさん教えてくれそうな予感です。


何もなかったことにするか、しないかは自分次第

私はそんなに大それたことできてないし、得られていないかもしれない。

でも大小は関係ないと思う。
自分がそこで、何を感じて、どう学んだか。それが大事

感じ方は人それぞれで、学びもそれぞれ。
それがいいんだと思う。

だから、一度振り返ってほしい。そこで何を得られたか。

何もなかったことには、自分次第でできてしまうけど
何かあったことにも、自分次第でできると思う。


そんな国インドで走り続ける、きいでした。


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