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一般的にオレンジ
僕は「エモい」がどういう意味か知っている。
そこらへんの大学1年生とは違う。
夕方の鉄塔でしょ?
夏の終わりの花火でしょ?
インスタントカメラで撮った灰皿でしょ?
ほら。
僕はエモを完全に理解(わか)っている。
とはいえ、実際に僕がこれらの現象を見て感情が動かされるのかと言われればまた別である。
夕方の鉄塔を見ても夕方の鉄塔ですねとしか思わない。
中学生の時、理科の先生が色覚異常だった。
ただ別に日常で不便を感じている様子はなかった。
チョークの色も「わかんねーけどこれはオレンジだよな?」とよく生徒に確認していたが、大体正解だった。明暗の微妙な差からチョークの色くらいは識別できるらしい。
ただ、僕はこの確認作業が行われるたびに妙な感覚に陥っていた。
誰もが同じチョークを見て、
誰もがそれをオレンジだと言ったとしても、
全員が同じ景色を知覚しているとは限らない。
ならば「オレンジ」という色にも明確な定義なんかないんじゃないだろうか?
ならばここにいる全員、オレンジが何なのかわかんねーんじゃないだろうか?
正直、僕のエモに関する理解にはこれに近い感覚がある。
オレンジそのものを感じることはできないが、一般的にオレンジとされているものは識別できる。
エモそのものを感じることはできないが、みんながエモいって感じそうなものは識別できる。
大学に入って何らかの事象がエモいと評されているシーンを大量に目撃し、単語帳的に「エモい」か「エモくないか」を仕分けられるようになった。
その程度でエモを分かった気になるなとチャットモンチーに怒られそうだが、よく考えるとそんなに理不尽なことは言っていない。
僕はエモいとされている情景のパターンをいくつも知っているので、たとえ何も感じていなくても夕方の鉄塔を見て「エモいなァ…(まあ俺はわかんねーけど)」と愛想エモいすることができる。
実際に感傷的になっている人と同じリアクションを演じられるならそこの差異はそんなに重要じゃない気がする。
そして、僕以外の人間も本当の「エモさ」を感じることはできていないんじゃないだろうか?
「感情を動かされる」なんてこの上なく主観的な概念に共通項がある時点で怪しい。「面白い」や「美しい」とされるものは人によってぜんぜん違うのに、「エモい」とされるものは何となく一致している気がする。
もしかして、誰もが僕と同じようにエモさを記号でしか理解していないんじゃないか?
よく考えたら夕方の鉄塔なんかで感情が1ミリでも動くはずがないのではないか?
誰か声のでかい人が「エモ」の概念をテキトーに提唱しだし、そこからはずっと「わかんねーけどこれはエモだよな?」を暗黙に確認しあってるのではないか?
愛も恋も夢も友情も、誰も何もわかってねーのではないか?
エモさに明確な定義なんかない。
あるのは事例だけである。
「完全に理解(わか)っている。」なんて言っていた自分が恥ずかしい。
休みの日なのに部屋から一歩も出ず、学生のくせに何の勉強をするわけでもなく、テキトーであやふやな俗語についてダラダラ考えていた時間は何だったんだ。
何だったんだ。
何だったんだろう…
あれ、なんだっけな。
脳内の言語化が限界を迎えたこんなとき、白旗として使える言葉があったような…
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