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好物論


僕はスパゲッティーが好きだ。

もうファミマのスパゲッティーなら全種類食べたと思うし、子供の頃からサイゼに行けば必ずスパゲッティーを頼むと決めている。

しかし、そんな僕でも良さが理解できないスパゲッティーが存在する。



それは高い店のスパゲッティーだ。



高い店のスパゲッティー、少なくないか。




高い店なら高いなりの量を提供してほしいのだが、スパゲッティーに至っては値段が上がれば上がるほど麺が減っている気がする。

あんな盛り塩レベルのボリュームで胃が満たされるとでも思ってるのだろうか。本気出せばフォーク一巻きで全部絡め取れそうだ。

形状からして「アタシちょっとしかスパゲッティー盛りません」と宣言しているようなパスタ皿も好きになれない。なんだあの麦わら帽子みたいな皿は。食器をつば広にする必要などないだろう。

対してファミマのスパゲッティーはどうだ。

器いっぱいに麺を放り込み、上げ底までしてボリューム感を演出している。おまけに極太ウインナーまでつけた太っ腹なメニューもある。ワンコインでここまでの満足感を得られるだろうか。高級店も少しはスパのコスパを考えた方がいい。

長々と御託を並べたが、本当に言いたいことは1つだ。





こんな趣向で、「スパゲッティーが好き」とか言っていいのか?





本当にスパゲッティーが好きな人は、高くて少ないスパゲッティーが出てきても質に期待して文句は垂れないのではないか。

あとなんか、本当にスパゲッティーが好きなら「スパゲッティー」じゃなくて「スパゲティ」って言うと思う。

正直スパゲッティーなんてほとんどの人がある程度までは好きなはずだ。その中でも抜きん出てマニアだからこそ「好き」を名乗れるわけで、ファミマやサイゼで満足している自分は結局ワンオブゼムの域を出ないのではないか。

「僕はスパゲッティーが好きだ。」なんて堂々と書き出してしまったが、自分にスパゲッティーを語る資格などなかったのかもしれない。





何かを好きと称するのはこんなに難しいことだっただろうか。

子供の頃なら、好きな食べ物を聞かれれば素直に満面の笑みでスパゲッティーと答えられたはずだ。たとえサイゼの味しか知らなかったとしても、ワンオブゼムなんて回りくどい言葉はよぎらなかっただろう。

いつからか自分の中で「本当にスパゲッティーが好きな人」の虚像を設定し、勝手に好きのハードルを上げてしまっている。

実際は、何かを好きかどうかなんて本人が決めればいいのだ。

ジャンクな方が好きならスパゲッティー好きとは言えないなんて、いくらなんでも器が小さすぎる。高い店のパスタ皿じゃないんだから。

たらこスパしか知らなくてもそれが美味しかったなら「スパゲッティーが好き」と言えるだろう。

いや、スパゲッティー自体何かわからなくてもなんか見た目がそそるとか、言葉の響きがいいと思ったとか、とにかく前向きな感想を抱けたのならそれだけで最高だ。


嘘のない感情を吐き出すことに資格は不要だろう。

外聞は気にせず、自分の気持ちに素直になればいい。

僕の今の正直な想いはこれだ。








ピザの方が好きかもな……
















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